元史演義第二十二回 色を漁り財に徇う計臣乱を致し、忠を表し血を流し信国仁を成す (漁色徇財計臣致亂 表忠流血信國成仁)

文天祥の忠節

  • 厓山を落とした張弘範は文天祥に元への出仕を勧めたが、文天祥は「国が亡んで救えなかった以上、死あるのみ」と拒み、燕京へ護送された。

楊璉真珈の暴虐と唐珏の義挙

  • 西僧楊璉真珈は元の権勢を借りて江南で婦女を凌辱し、宋の陵墓百余所を暴いて金玉を奪い、遺骨を牛馬の骨と混ぜて塚にしようとした。
  • 会稽の唐珏は私財を投じて義士を集め、夜陰に紛れて陵骨を密かに他の骨とすり替え、密かに埋葬し目印の木を植えて後世に伝えた。

世祖の皇后の賢徳

  • 弘吉剌氏出身の世祖の皇后は、南宋平定を喜ぶ世祖に対し「亡国は必至、子孫が免れられれば幸い」と諫言し、宋の宝物にも執着せず、宋の全太后への配慮も示すなど、賢明さで知られた。
  • 後継の皇后は先の皇后には及ばず、世祖も晩年は上都に赴いては享楽に耽り、旧宋の妃嬪らとの乱れた関係や宮廷内の風紀の乱れが広がった。

阿合馬の専横と苛政

  • 世祖は回人阿合馬を財政官に登用し、冶鉄と塩の専売で過酷な増税を課し、民を苦しめた。
  • 阿合馬は昇進を重ねて権勢を強め、御史台の廃止を図るなど専横を極め、一族も要職を独占。政敵の崔斌らを冤罪で処刑した。

阿合馬暗殺事件

  • 皇太子真金は崔斌の処刑に心を痛めていた。益都の千戸王著は妖僧高和尚と謀り、偽の皇太子命を用いて阿合馬を宮中に呼び出し、これを撲殺した。
  • 事件は間もなく鎮圧され、王著・高和尚・張易らは処刑された。王著は死に際して「天下のために害を除いた」と叫んだ。

阿合馬一族の断罪と粛清

  • 世祖は当初阿合馬の死を悼んだが、孛羅の弾劾により実態を知って激怒し、剖棺戮屍を命じた。
  • 阿合馬の子忽辛や関係者も次々処罰され、冗官七百余人を淘汰するなど粛正が行われた。

世祖の善政と南方の反乱

  • 世祖は河源の探査、授时暦の制定、儒吏の登用、賦税の減免など善政も行った。
  • 一方で江南各地では陳桂龍・陳弔眼、黄華、林天成、林桂方ら反乱が相次いだが、諸将により鎮圧された。

文天祥との問答

  • 燕京に護送された文天祥は孛羅の尋問に対し、大義名分を説いて屈せず、南宋滅亡後に新帝を擁立した正当性を堂々と論じ、孛羅を言い負かした。

文天祥の刑死

  • 世祖は文天祥の変節を望まなかったが、謠言が続いたため処刑を決意。文天祥は柴市で従容として刑を受け、四十七歳で没した。
  • 衣帯に記された「孔曰成仁、孟曰取義」の辞世が世祖の心を動かし、後に忠武と諡され厚く葬られた。祭壇では奇異な現象も伝えられている。

文天祥の人物と後世の評

  • 文天祥は盧陵の人で文山と号し、詩文に優れた。妻・母の遺体もめぐりめぐって同日に帰葬され、後世忠孝の報いと語られた。
  • 後儒による哀悼詩二首が伝えられている(趣旨:文天祥の忠節と亡国の悲哀を詠んだもの)。

評語

著者は、阿合馬の伝を読めば憤り、文天祥の伝を読めば敬服すると述べ、天道は測り難くとも人心には公理があると説く。本回は前半で阿合馬の奸を暴き、後半で文天祥の忠を詳述することで、平易な語りながら史伝に劣らぬ教訓的意義を持たせたとし、他の事件も善悪の対比を通じて盛衰の感を託していると結ぶ。