周の三典・五刑の制
- (漢書より)周の法は三典(新邦には軽典、平邦には中典、乱邦には重典)を建てて刑を用いたとする。中典としての五刑(墨・劓・宮・刖・殺、各五百条)の内容と、罪の軽重に応じた処遇(守門・守闗・守内・守囿など)を記す。爵位ある者・七十歳以上・未成年者は奴とされない特例も述べる。
- (漢書より)周の穆王の代に甫侯が刑を定め、墨・劓・髕・宮・大辟の五刑計三千条に及ぶ重典(呂刑)を作ったのは、当時すでに王道が衰えていたためとする。
子産の刑書と叔向の批判
- (漢書より)春秋時代、鄭の子産が刑書を鋳造したのに対し、晋の叔向が「先王は事に議して刑を定めず、民に争心を生じさせぬようにした。刑書を公にすれば民は法の文言に頼って争うようになり、獄訟が増え賄賂が横行する」と批判した論を引く。子産は「自分は不才であり子孫のことまでは考えられない、今の世を救うためである」と返答したとする。
- (漢書より)戦国期には韓の申子・秦の商鞅が連座法や参夷の誅を定め、肉刑・大辟を加重した。秦始皇に至っては礼義の官を廃し刑罰のみに頼る政治を行い、天下の民の怨嗟を招いて秦の滅亡につながったとする。
刑・法に関する語彙
- (爾雅より)典・彝・法・則・刑・範・矩・庸・恒・律・戛・職・秩・常・柯・憲などが、いずれも「法」を意味する語であることを列挙する。
- (小爾雅・博雅より)幾・蔡・模・臬(法の意)、犯・肆(罪を犯す意)、放・辟(追放・除く意)、讁(責める)、俘(罰する)、奸(犯す)など、刑罰に関わる語を列挙する。