繹史兵戎(兵戎)

兵の起源と意義

  • (史記より)兵とは聖人が強暴を討ち乱世を平らげ、危難を救うための手段であるとする。黄帝の涿鹿の戦、顓頊の共工討伐、成湯の南巣の伐など、古来の名将・兵法家(晋の咎犯、斉の王子、呉の孫武など)の事績を挙げ、兵を用いることの巧拙・順逆によって国の存亡が分かれるとする。桀紂・秦二世の例を引き、力や勢いがあっても道を誤れば滅びに至ることを説く。

礼と刑罰・軍制の由来

  • (漢書より)人は万物の霊として智を頼みに群れをなし、聖人が敬譲の徳によって人心を得て王となったとする。礼を制して敬を崇め、刑を作って威を明らかにするのは天地の理に則ったものであり、五礼・五刑(甲兵・斧鉞・刀鋸・鑽鑿・鞭扑)は天の秩序・誅罰に対応するという。
  • (漢書より)井田制に基づく軍賦の仕組み(井・通・成・終・同・封・畿の単位と、それぞれに応じた戎馬・兵車・甲士の数)を詳述し、天子・諸侯・卿大夫それぞれの軍役規模(万乗・千乗・百乗)を示す。四季に応じた蒐・苗・獮・狩の軍事教練の制度も記す。
  • (漢書より)周の衰退後、斉の桓公が管仲を用いて軍制を改革した経緯(内政と軍令を一致させ、什伍の連帯による戦意向上を図った)、続いて晋の文公が被廬の法を定めて覇を唱えた経緯を記す。魯の丘甲・哀公の田賦など、後世の軍制が正道を外れたことを春秋が譏っているとする。
  • (漢書より)戦国以降、孫武・孫臏・呉起・商鞅ら権謀の士が台頭したが、荀子(孫卿)は孫武らの兵法を「利を上として詐変を貴ぶ、暴乱昏嫚の国にのみ通用するもの」と批判し、仁義に基づく王者の兵にこそ真の強さがあるとした論を引く。斉の技撃、魏の武卒、秦の鋭士など各国の兵制を比較し、いずれも桓文の節制する兵に及ばず、桓文の兵も湯武の仁義の兵には及ばないとする段階的評価を示す。
  • (漢書より)「善師者は陳せず、善陳者は戦わず、善戦者は敗れず、善敗者は亡びず」の格言を、舜の百官整備、湯武の征伐、斉桓の伯業、楚昭王の亡国からの復興などの故事で例証する。秦が四世の勝ちに乗じ白起・王翦らを用いて六国を併呑したものの、酷薄な統治のため士民が離反し、かえって滅亡を招いたとし、兵を用いる者は存亡継絶・除害を目的とすべきであり、詐力によって貪残を極めれば孫呉・商鞅・白起のような末路をたどると結ぶ。

兵器・武具の名称

  • (説文より)刀・㦸(戟)・戈・殳・鉞・矛・盾など主要な兵器の字形と原義を説く。
  • (小爾雅・釋名より)戈・矛・剣などの各部(鋒・環・削・琫・琕など)の名称とその由来、および名剣(干将・莫邪・鉅闕など)の異名を列挙する。
  • (爾雅・釋名より)鏃・弓・弩の各部の名称(簫・弣・淵・臂・牙・郭など)とその由来を、身体の部位に喩えて説く。矢・弓の材質による異名(金鏃・骨鏃・玉飾りの弓など)も記す。
  • (小爾雅・博雅・方言より)矢を収める道具(弢・箙・鞬)や、地域による矢・弓・箙の呼称の違いを列挙する。