総序
- (鄭玄「詩譜」序より)詩の起源は上古に遡るが記録がなく、虞書の「詩言志」に始まるとする。夏殷の詩は伝わらず、周の后稷・公劉から太王・王季・文王・武王に至り徳が積まれ、成王・周公の太平の世に頌が興ったとする。
- 懿王・夷王以降、周室が衰えるにつれ変風・変雅が生まれ、孔子はこれを陳霊公の淫乱の事に至るまで収録し、勧善懲悪の鑑とした。夷厲以前は年代不明だが、共和以降は春秋の紀年により譜を立てたとする。
周南・召南譜
- 周召の地(岐山の南)と太王・王季・文王の建国の経緯を記し、周公・召公が分治した地の詩を周南・召南と呼び、二公の徳化の及んだ「風の正経」と位置づける。后妃・夫人の徳を詠う詩篇の意義を述べる。
邶鄘衛譜
- 殷の旧都圏を邶・鄘・衛の三国に分け、周初に管叔・蔡叔・霍叔(三監)を置いた経緯、武庚の乱後に康叔を衛に封じた由来を記す。頃侯の代に衛の政が衰え変風が始まったとする。
王譜・鄭譜
- 周の東遷後、王城の詩が「王国の変風」とされた経緯、鄭の桓公が史伯の勧めに従い済洛河潁の地に遷った故事(虢・鄶を滅ぼして建国)を記す。
斉譜・魏譜・唐譜・秦譜
- 斉は太公望の建国から哀公の代に変風が始まったこと、魏は舜・禹の遺風を残すも君主が吝嗇であったこと、唐(晋)は堯の故地で節倹の風があったこと、秦は伯翳の後裔が周孝王に馬を養い封を受けた由来と、平王東遷を助けて諸侯に列した経緯を記す。
陳譜・檜譜・曹譜・豳譜
- 陳は太皥・舜の後裔の国で巫鬼の風があったこと、檜は祝融の後裔の地であったこと、曹は周武王の弟叔振鐸の封国で堯舜の遺風を残すこと、豳は后稷の曽孫公劉が開いた地で、周公が東征中にその労苦を思って詩を作った経緯を記す。
小雅・大雅譜
- 小雅・大雅は周室が豊鎬にあった時代の詩で、后稷から文王・武王に至る徳業を述べる大雅と、内治・外治を歌う小雅を「正経」とし、民労・六月以降を変雅とする。天子・諸侯の饗宴における用い方(大雅・小雅の使い分け)も記す。
周頌譜・魯頌譜・商頌譜
- 周頌は周公摂政・成王即位の太平の徳を頌えるものとし、礼記「礼運」の政・天・命・仁義の理論を引いて頌の意義を説く。
- 魯頌は周公の功により魯が郊祭・三望の礼を許された特例に基づき、僖公の代に季孫行父が請うて作らせた頌であることを記す。
- 商頌は契の後裔である宋の正考父が周の太師のもとで商の名頌十二篇を校訂し、孔子が五篇を採録して三頌に備えたとする由来を記す。
編者按
- 鄭玄の詩譜序には本来「上下循省・旁行観之」という図があったと考えられるが現存しないため、本書では便宜的に系図を補って掲げた(鄭氏の原図と必ずしも一致しないと断る)。