繹史春申君、楚の相となる(春申君相楚)

  • 履歴: 黄歇(春申君)。楚の頃襄王・考烈王に仕えた大臣。考烈王元年(前262年頃)に相となり、淮北12県を封じられる。のち呉の故地に封を移し、22年間相を務めたが、考烈王の死に際して李園に殺された。

太子帰国の策(史記より)

  • 楚の頃襄王が病んだ際、人質として秦にあった太子(後の考烈王)を、黄歇が秦の応侯を説いて帰国させることに成功する。
  • 黄歇自身は秦に留まって太子の身代わりとなり、死を覚悟して秦昭王に申し出るが、応侯の取りなしにより赦され、楚へ帰る。
  • 太子は無事に王位(考烈王)に就き、黄歇は相となって春申君に封じられる。

汗明との問答(戦国策より)

  • 汗明が春申君に面会を求め、堯と自らを比較する弁舌で寵遇を得る。
  • 汗明は「駿馬も老いて塩車を引かされれば伯楽の目に涙する」という比喩で、賢者が知遇を得られない苦境を訴える。

唐雎の諫言(戦国策より)

  • 唐雎が春申君に対し、「梟碁(黒石)は散碁(白石)の助けがあってこそ勝てる」との喩えで、人材登用の必要を説く。

魯を滅ぼし荀卿を用いる(史記より)

  • 春申君相となって8年、楚は魯を滅ぼし、荀卿を蘭陵の令に任じる。
  • 趙の平原君の使者が春申君の客をもてなしのために誇示したが、春申君の食客(珠履を履く上客)に恥じ入る逸話を記す。

虞卿の献策(戦国策より)

  • 虞卿が春申君に、権臣の封地は君主から遠い地こそ安泰であると説き(商君・冉子の例)、楚に燕を討たせて自らの封を固めることを勧める。

呉の故地に都す(史記・越絶書より)

  • 淮北12県を郡とする代わりに江東を求め、旧呉の地に城を築いて自らの都邑とする。
  • 越絶書には春申君が呉の地で市場・倉庫・堤防などを整備した業績が伝えられる(越絶書の記述は年代に混乱がある旨、注記あり)。

李園の陰謀(戦国策・史記より)

  • 考烈王に子がないことを憂い、李園はその妹(李園女弟)を春申君に近づけて身籠らせ、これを楚王に献上する策を用いる。
  • 生まれた子が太子となり(後の楚幽王)、李園は権勢を得るが、密かに死士を養い春申君暗殺を企てる。
  • 食客の朱英が「無妄の福・無妄の禍・無妄の人」の警句で危険を予告するが、春申君はこれを軽んじる。
  • 考烈王の死に際し、李園が先手を打って春申君を棘門で殺害し、一族も滅ぼされる。生まれていた子は楚幽王として即位する。

越絶書所伝の異説

  • 越絶書には、李園の妹(女環)が策を用いて自ら王に近づき寵を得た経緯が別伝として記され、春申君・幽王をめぐる年代の食い違いが史書間にあることが注記される。