- 履歴: 列子(列禦寇、鄭の人、鄭繆公と同時代)は黄帝・老子の学を受け継いだとされる道家の思想家。荘子(荘周、BCE369年頃-BCE286年頃)は宋の蒙の人で、漆園の役人を務めたのち、梁恵王・斉宣王と同時代に活動し、その学は老子に由来する寓言によって著された。以下、両者の書に見える主要な寓話・議論をまとめる。
列子・天瑞篇
- 列子は鄭圃に40年隠棲したのち衛へ移ろうとした際、弟子に「不生不化」の道(生じさせるもの自体は生じず、化するものの根源自体は化しない、陰陽・四時として絶えず巡る)を語った。
- 「天地に全功なく、聖人に全能なく、万物に全用なし」として、天は覆い地は載せ聖は教化し物はその宜しきに従うという、それぞれの分限を説く。
- 衛への途上で見た百年の髑髏をめぐり、生と死は連続した変化の一部にすぎないとし、蛙が鶉になり、烏足の根が蠐螬に、その葉が胡蝶になるといった万物流転の連鎖を列挙して、生と死もまたこの循環の一環(機からの出入り)にすぎないと説く。
- 天地の崩壊を憂えて寝食を廃した杞の人の逸話(杞憂)。曉す者は天地を積気・積塊にすぎないとして安心させたが、長廬子・列子はいずれの立場も断定できないとし、生死・壊不壊は知り得ないものとして心にかけないと結んだ。
- 斉の国氏と宋の向氏の「盗み」をめぐる寓話。国氏は天地の恵み(時・利・雨露)を分け合うことを「盗み」と称して繁栄したが、それを真似た向氏は他人の財を盗んで罪に問われた。東郭先生は「公の盗み(天地の恵みを享受すること)と私の盗み(他人の物を奪うこと)の違いにこそ道理がある」と解説した。
列子・黄帝篇
- 列子は老商氏に師事し伯高子を友とし、9年の修行を経て是非・利害の分別を超越し、風に乗る境地に至った。性急に奥義を求めた弟子尹生が退けられた逸話を通じ、修養の階梯の重要性を説く。
- 列禦寇が伯昏無人の前で見事な射を披露したが、高所での度胸を欠くことを指摘され、真の至人は生死を超えた境地にあると諭された。
- 神巫季咸が列子の師壺子の人相を見誤り続けた寓話。壺子は地文・天壌・太沖莫朕という四つの相を見せて相師を煙に巻き、外見による判断の限界を示した。
- 子列子が旅先で漿売りに過剰にもてなされたことを恐れた逸話(内心が定まらぬと小さな利にも人に見透かされ利用される)。
- 「聖人は童智(本質の共通性)を取り童状(外見の類似)を捨てる」として、外見の異同によらず本質を見る重要性を説き、黄帝・炎帝が禽獣を使役した故事を引く。
列子・周穆王篇
- 覚醒には八つの徴(故・為・得・喪・哀・楽・生・死)、夢には六つの候(正夢・蘁夢・思夢・寤夢・喜夢・懼夢)があるとし、陰陽の消長が夢を生む機序を説く。
- 古莽国(夢と覚が逆転した国)・中央之国(夢と覚が調和する国)・阜落国(覚めたまま眠らぬ国)という三国の対比を通じ、夢と現実の相対性を論じる。
- 周の富豪尹氏に酷使される老僕が夜毎に国君となる夢を見て満足する一方、尹氏自身は夜毎に僕となる夢に苦しめられたという、苦楽が夢と現に相補う逸話。
- 鹿を得た夢を巡る鄭人の訴訟(覚夢の境を明確に知る者はいないとの寓意)。
- 健忘症の華子を儒生が奇術で治したところ、記憶の回復がかえって苦悩をもたらし、華子は激怒したという逸話(忘却の効用)。
- 燕に生まれ楚で育った人が、同行者に故郷と偽られて感傷し、後に本物の故郷を見ると感情が薄れたという逸話(真実と虚構が情に及ぼす影響の逆説)。
列子・仲尼篇
- 列子と隣人南郭子との「無言・無知」の境地を巡るやり取り。得意の境地には言葉も知も要らないとの教え。
- 列子の「遊」についての壺丘子との問答。外物を観る遊びより、自らの内を観る遊びこそ至高であると説く。
- 「道」による生死観として、無所由にして常に生きる者と、有所由にして死ぬ者との違いを論じ、季梁の死には楊朱が喜び、随梧の死には楊朱が哭いたという対照的な逸話を引く。
列子・湯問篇
- 殷の湯王と夏革の問答。物の有無・古今の始終・上下八方の極限について、いずれも人知の及ばぬものとする懐疑論的議論。
- 女媧が五色の石で天の欠けを補い、共工が不周山にぶつかり天柱地維を折ったため天は西北に傾き地は東南に低くなったという神話。
- 渤海の東の五神山(岱輿・員嶠・方壺・瀛洲・蓬莱)を巨鼇十五頭が支えていたが、龍伯国の巨人がこれを釣り上げたため二山が北極に流されて沈んだという神話。
- 万物の大小・寿命の相対性を、僬僥(小人)・冥霊・大椿(長寿の木)・朝菌・蟪蛄(短命な生物)・鯤鵬(巨大な魚と鳥)等の例で示す。
- 太形・王屋の二山を移そうとした愚公の話(愚公移山)。子々孫々尽きぬ努力に天帝が感動し、二山を移させたという結末。
- 大禹の「神霊が万物を生む」との説に対し、夏革は「神霊にも陰陽にも依らず自然に生じるものもある」と応じた。
- 禹が治水の途上で迷い込んだ終北国のユートピア的描写(争わず耕さず、神瀵の水で養われる理想郷)。周穆王がこの国を訪れ三年帰らず、斉桓公も慕ったが隰朋の諫言で思いとどまったという逸話。
- 瓠巴・師文・薛譚・韓娥・伯牙と鍾子期らの音楽の逸話を通じ、技芸が己の心と完全に一体化する境地(知音)を説く。
- 甘蠅・飛衛・紀昌の弓術修行の逸話(目を動かさぬ訓練から極小を見る訓練へと段階的に極める話)。
- 来丹が父の仇黒卵を討とうとした際、衛の孔周から授かった三剣(含光・承影・宵練)のうち最も効力の弱い剣しか使えず、実際には人を殺せなかったという寓話(至高の武器は殺傷そのものを超越するとの逆説)。
列子・力命篇
- 「力」と「命」の擬人的問答。寿夭・窮達・貴賤・貧富は力の及ぶところではなく、すべて命によると説く(彭祖の長寿と顔淵の早世等の対比)。
- 北宮子と西門子の貧富の対比を巡り、東郭先生が「厚薄は才徳の差ではなく徳と命の違いによる」と解き、北宮子の煩悶を解いた逸話。
列子・説符篇
- 「持後」の教え。影が形に従うように、屈伸は物に任せ我にはないとし、身を後に置くことがかえって先んじることになるとする。
- 宋人が三年かけて玉で楮の葉を精巧に作った逸話を引き、天地の生成力の速さには到底及ばぬとし、聖人は智巧より道化に頼ると説く。
- 魯の施氏と隣人孟氏の二子の運不運の対比。同じ学問・武芸で仕官しても、時運の有無によって結果が全く異なったという教訓。
- 不死の道を説いた者が死んだ逸話を巡り、術を実行できずとも道自体は伝わりうるとの反論(衛人の数術の喩え)。
- 上地の大儒牛缺が盗賊に遭っても泰然としていたため、かえって危険視されて殺され、後に同じ目に遭った弟が抵抗して殺された対比の逸話。
- 富豪虞氏が侠客を侮辱したことで一家を滅ぼされた逸話。
- 狐父の盗人からの施しを、盗人という理由だけで拒み餓死した爰旌目の逸話(名実を混同する誤りを指摘)。
- 鈇(斧)を盗まれたと疑い隣人の子の一挙一動を疑わしく見たが、後に自分の鈇が見つかると疑いも消えたという逸話。
- 金を欲するあまり人前で盗みを働いた斉人の逸話(欲に目がくらむと他人が見えなくなる)。
- 子列子が貧窮していた際、鄭の宰相子陽からの施しの粟を、他人の口添えによる恩恵として固辞し、後に子陽が民の反乱で殺されたことでその判断の正しさが証された。
- 史疾が楚王に「鵲を烏と呼び変えられないように、実質を伴わぬ官職の呼称に意味はない」と説き、正しい治世の要諦を論じた。
荘子の伝記(史記より)
- 荘子は宋の蒙の人。漆園の役人となり、梁恵王・斉宣王と同時代に生きた。その学問は老子に基づき、寓言を用いて著述し、王侯にも器とされなかったが、その言説は洸洋自恣で世俗の学者もこれに応えることができなかったと評される。
荘子・逍遥遊篇
- 北冥の巨魚鯤が化して巨鳥鵬となり、南冥へ飛び立つ寓話。小さきもの(蜩・鷽鳩)には大鵬の遠大さが理解できないという小知と大知の対比。
- 朝菌・蟪蛄のような短命なものと、冥霊・大椿のような長寿なものとの対比を通じ、大年・小年の相対性を説く。
- 宋栄子の境地(世評に動じない)や列子の御風而行の境地をも超える、「至人は己を無くし、神人は功を無くし、聖人は名を無くす」という究極の境地を説く。
- 恵子との「無用の用」の問答。大瓠を実用に囚われず舟として活かす発想、無用に見える大木も何もない郷に植えれば逍遥の場となるとの喩え。
荘子・至楽篇
- 世が尊ぶ富貴・美食・美色を求めても真の楽は得られず、無為こそ至楽であるとの逆説を説く。
- 荘子は妻の死に際し、盆を叩いて歌ったという逸話。生死は気の変化の一過程にすぎず、四季の巡りと同じであると達観したためと説明する。
- 支離叔と滑介叔が肘に瘤ができたことを恐れず、生も死も仮の形にすぎないと語り合った逸話。
- 荘子と髑髏の対話。死後の世界には君臣もなく四時の労苦もなく、南面の王の楽しみにも勝ると髑髏が語り、生への未練を否定した。
荘子・外物篇
- 忠臣孝子であっても必ずしも報われるとは限らないとし、龍逢・比干・伍員・萇弘・孝已・曾参らの不遇の例を挙げる。
- 任公子が巨大な鉤で会稽から東海に釣り糸を垂れ、一年かけて巨魚を釣り上げた寓話。小才による小さな話術(小説)では大道に達し得ないことの喩えとする。
- 儒者が『詩』『礼』を口実に墓を暴く様を風刺する逸話。
- 恵子との「無用の用」問答(大地は広いが人が使うのは足の下だけだが、それ以外を削ってしまえば役に立たなくなるとの喩え)。
- 至人は世に遊びながらも僻することなく、他人に従いながらも己を失わないとする境地論。演門の過剰な孝行が招いた悲劇、堯・許由、湯・務光の譲位辞退の故事、また「筌は魚を得るための道具であり、魚を得れば忘れる」との言葉(言葉は意を得るための道具であり、意を得れば言葉を忘れるべきだとの寓意)で締めくくる。
荘子・繕性篇
- 俗による修養では本来の性を回復できないとし、上古の混沌とした世から燧人・伏羲、神農・黄帝、堯・舜と時代が下るにつれ道徳が衰えていったとする歴史観を示す。
- 真の隠者とは山林に身を隠す者ではなく、時運に恵まれぬ賢者が徳を保ちながら静かに時を待つ在り方であるとし、「軒冕(栄達)は身に寄せられた仮のもの」であるとの得志観を説く。
荘子・齊物論篇
- 南郭子綦が「吾、我を喪う」と語り、風が万物の穴を鳴らす様(地籟)と、天が万物それぞれに自ら選ばせて鳴らす様(天籟)の違いを説く。
- 是非・彼此は相対的なものであり、「朝三暮四」の寓話(狙公の芧を巡る猿の反応)を通じ、名実は変わらぬのに感情に振り回される愚を示す。
- 琴の名手昭文・師曠・恵子の営みを「成すことと虧けることは表裏一体」として論じ、道を明らかにしようとする行為自体が道を損なうとする逆説を説く。
- 瞿鵲子と長梧子の問答。麗姫が晋に嫁ぐ前は泣いたが後に後悔した故事を引き、生を喜び死を厭う態度も同様に迷いにすぎないとし、胡蝶の夢(周と胡蝶いずれが夢か)の寓話で物化の思想を締めくくる。
荘子・秋水篇
- 河伯が大河の広さに自惚れたが、北海に至りその広大さを見て自らの小ささを悟る寓話。北海若は、井の中の蛙・夏の虫・偏った学者の限界を説き、大小・貴賤は道から見れば相対的なものだと諭す。
- 「牛馬に四足あるのは天、馬の頭に絡みをかけ牛の鼻に穴を開けるのは人為である」として、「人為をもって天然を滅ぼすなかれ」と説く(無以人滅天)。
- 夔(一本足の獣)・蚿(百足)・蛇・風・目・心が互いをうらやむ寓話を通じ、それぞれの動きの機微は本人にも説明できないものであると説く。
- 恵子が梁の宰相の地位を荘子に奪われることを恐れた際、荘子は「鵷鶵は腐鼠を欲しがる鴟のような俗物とは異なる」との寓話で応じた。
- 濠水のほとりで荘子と恵子が魚の楽しみを巡って交わした「子非魚安知魚之楽」の問答。
荘子・寓言篇
- 荘子の著述は寓言(他に託した話)が十のうち九、重言(権威に借りた話)が十のうち七、巵言(その場に応じた自在な言葉)が日々出るとの自己解説。
- 「孔子は60歳にして60回考えを改めた」との評を通じ、真の言葉とは人を心服させるものであり口先の弁論ではないと説く。
- 顔成子游が東郭子綦の教えを受けて9年で「大妙」に至ったという修行の階梯、また影がさらにその影に問われても「自分でも動く理由が分からない」と答える寓話(罔兩問景)で、万物が互いに依存し合いながらも各々の意志を持たぬことを示唆する。