荘子・養生主篇
- 「生には限りあり知には限りなし。限りある身をもって限りなき知を追えば危うい」として、名にも刑罰にも近づかず、督(中庸の道)に従って身を保つべきだと説く。
- 庖丁が文恵君の前で牛を解体する様を通じ、目で見ず神(精神)で捉え、牛の自然な筋目に従って刃を進める境地を語り、「これこそ養生の道」と評される(庖丁解牛)。
- 片足を失った右師の姿を見て「これは天が定めたことで人為ではない」と論じ、また野生の雉が籠の中で楽に食べられるより自由を選ぶ様を、真の養生とは何かの喩えとする。
荘子・達生篇
- 生の実情に達する者は生に不要なものを求めず、命の実情に達する者は知に不要なものを求めないとし、養形にとらわれず世を棄てることで真に生を全うできると説く。
- 祝官が豚に「三月の養い」より「糠を食べて牢にいる」方が幸せだろうと語りかける寓話を通じ、豚と人間の価値観の違い(人は死後の栄誉を望むが豚はただ生を望む)を対比する。
- 梓慶が木を削って鐻(楽器の架)を作る際、賞罰や毀誉、さらに自らの身体の存在すら忘れる斎戒を経て、天と天とを合わせるように自然に作品が生まれる境地を語る。
- 孫休という人物が、努力しても報われない不遇を扁子に訴えたのに対し、扁子は至人の境地(肝胆・耳目を忘れ塵垢の外に彷徨う)を説くが、かえって孫休を惑わせたことを憂え、「魯の鳥を人の養い方で養えば鳥は苦しむだけだ」との喩えで、教えを与える難しさを語った。
荘子・刻意篇
- 山谷の士・平世の士・朝廷の士・江海の士・道引の士という五種の生き方をそれぞれ紹介し、いずれも何かに囚われた生き方であるとし、刻意せずして高く、無仁義にして修まり、無功名にして治まる「聖人の徳」こそ天地の道に適うと説く。
- 恬淡寂漠虚無無為こそ天地の平にして道徳の質であり、心が憂楽に動じず純粋であることが養神の道であるとする。
荘子・人閒世篇
- 匠石が斉に赴く途中、巨大な櫟の神木を「不材の木だからこそ長寿を保てた」として一顧だにしなかった逸話。夢に現れた木は「有用な木はその実用性ゆえに命を縮める。私は無用であることを大用としている」と語った。
- 南伯子綦が見た巨木も同様に、あらゆる用途に適さぬがゆえに大木となり得たとし、「神人はこの不材をもって己を保つ」と評される。
- 支離疏という体の不自由な人物が、その障碍のために兵役や労役を免れ、かえって身を全うできたという逸話。
- 山中の大木は不材ゆえに伐られず天寿を全うしたが、主人の家の雁は鳴けぬために殺されたという対照的な逸話を通じ、荘子は「材と不材の間に身を置く」との立場を示しつつ、真に道徳に浮遊する者はそのいずれにも囚われないとする。
- 異鵲を追った荘子が、蝉・螳螂・異鵲が互いに利を追って己を忘れる連鎖(物固相累)を見て反省した逸話。
荘子・山木篇(前半、達生・人間世に併せて記載)
- 上記「材と不材の間」の逸話および異鵲の逸話は山木篇のもの。
荘子・天地篇
- 天地は大きくとも化は均しく、万物は多くとも治は一つであるとし、道に基づく治世(無為にして天下足り、無欲にして万物化す)を説く。
- 「泰初に無有あり」として、道から徳、命、形、性へと展開する宇宙生成論を示す。
- 門無鬼と赤張滿稽が武王の軍を評した対話。至徳の世には賢を尚ばず能を使わず、上は標枝のごとく、民は野鹿のごとく自然であったとし、堯・舜による治世すら「秃に髢を施す」ような対症療法にすぎないと評する。
- 五色・五声・五味・趣舎による性の喪失を説き、楊朱・墨翟の説もまた性を害するものだと批判する。
荘子・庚桑楚篇
- 「宇泰定なる者は天光を発す」として、学ばずして学び得ぬものを学ぼうとせず、己の知り得ぬところで止まる境地を説く。
- 兵は志より憯(むごき)ものなく、寇は陰陽より大なるものはないとし、道の分(区別)と成(形成)は同時に毀(崩壊)を伴うと論じる。
- 古の真人の知の段階(未だ物あらずとする境地が最上)を示し、名実を巡る是非の議論の空虚さを説く。
- 羿の巧みさは的を射ることに長じても人に自分を忘れさせることには拙いとし、湯が伊尹を庖人として召し抱え、秦穆公が百里奚を羊の皮で得た故事のように、人が好むものによってこそ人を得られると説く。
荘子・徳充符篇
- 足を切られた闉跂支離無脤や瘿(こぶ)を持つ甕㼜大癭が、それぞれ衛霊公・斉桓公に気に入られた逸話を通じ、「徳に優れれば形の欠損は忘れられる」と説く。
- 恵子との「人に情なきや」の問答。荘子のいう「無情」とは好悪によって身を損なわないことであり、感情そのものの否定ではないと説明する。
荘子・知北遊篇
- 天地には大美があっても語らず、四時には明法があっても議論せず、万物には成理があっても説かないとし、至人は無為、大聖は不作であると説く。
- 東郭子の「道はどこにあるか」との問いに、荘子は「螻蟻に、稊稗に、瓦甓に、屎溺にすらある」と答え、道が至るところに遍在することを示す。
荘子・列御寇篇
- 「道を知ることは易しいが語らぬことは難しい」とし、古の人は天に従い人為に頼らなかったと説く。屠龍の技を三年で極めながら使い道がなかった朱泙漫の逸話で、無用の技を戒める。
- 曹商が秦王に取り入り多くの車を得たことを誇ったのに対し、荘子は「秦王の癰を舐めた者ほど多くの車を得る」との痛烈な皮肉で応じた。
- 車十乗を得て驕った者に対し、荘子は「驪龍の顎の珠を得るのは龍が眠っている間だけの僥倖であり、目覚めれば粉々にされる」との喩えで戒めた。
荘子・大宗師篇
- 「天の為すところと人の為すところを知る者は至れり」とし、真人の境地(寝ても夢見ず、覚めても憂いなく、呼吸は深く踵に及ぶ)を説く。
- 死生は命であり夜昼の巡りのように定まったものであるとし、舟を谷に隠しても力ある者が担いで去るように、天下を天下に隠す(万物と一体化する)ことこそ真に隠れる道であるとする。
- 女偊が南伯子葵に、道を悟る段階(外天下→外物→外生→朝徹→見独→無古今→不死不生)を説き、「攖寧」(万物との関わりの中でこそ完成する)の境地を示す。
- 子祀・子輿・子犂・子来の四人が生死を一体と見る友情を結び、病に臥した子輿が自らの体の変形を天地の造化として受け入れ、死に瀕した子来もまた「天地は炉、造化は鍛冶屋、我らはその中で鋳られる金属にすぎない」と達観した逸話。
- 子桑が貧窮の中で「父母も天地も自分を貧しくしようとしたわけではない、ただ命がそうさせたのだ」と歌った逸話。
荘子・駢拇篇
- 指の間の水かきや余分な指のように、仁義や聡明・弁論への過度なこだわりも「性を損なう贅物」であるとし、離朱(明)・師曠(聡)・曾史(仁)・楊墨(弁)をいずれも「駢枝」の類と批判する。
- 仁義によって性を害することは、利のために身を殉じる小人と本質的に変わらないとし、伯夷(名に死す)と盗跖(利に死す)のいずれも性を損なった点で同じだと論じる。真の「臧(善)」とは仁義でも聡明でもなく、自らの性命の情に従うことだと説く。
荘子・徐無鬼篇
- 知士・弁士・察士など、各種の人物がそれぞれ何かに囚われて楽しみを得ているとし、真にこだわりのない境地との対比を示す。
- 荘子と恵子の弁論をめぐる問答(羿の喩え、瑟の弦の共鳴の喩え)で、是非の絶対性を疑う。
- 荘子が恵子の墓の前で、匠石が郢人の鼻先の白土を斧で削り落とした故事(郢人立ち去らず質を失わず)を引き、「恵子亡き後、私には語り合う相手がいない」と嘆いた逸話。
- 子綦の子梱をめぐる祥・不祥の予言。九方歅の予言通り梱は国君と食を共にする栄達を得たが、実際には盗賊に囚われ足を切られて売られた末、渠公の街で肉を食べて生涯を終えたという逆説的な結末。
- 暖姝(一つの説に満足する者)・濡需(豚の虱のように狭い安逸に満足する者)・卷婁(舜のように民を慕われ疲弊する者)という三種の人物像を戒めとして示す。
荘子・則陽篇
- 彭陽が王果を通じて楚王に近づこうとしたが、王果は「自分より公閱休の方が適任だ」として辞退した逸話。聖人は困窮しても人に忘れさせ、栄達しても人に爵禄を忘れさせると説く。
- 長梧の封人が子牢に、田畑を粗略に耕せば実りも粗略になるとの農の喩えで、心身を治める道の重要性を説いた。
- 少知と大公調の問答。「邱里の言」(多様な習俗の総体としての公論)や、万物の生成を陰陽の相互作用として論じ、「無為でありながら為さざるはない」との道の働きを説く。
荘子・寓言篇(結び)
- 「或使(誰かがそうさせる)」と「莫為(誰も為さない)」という二つの説について、いずれも物の一面を捉えたにすぎず、道は名づけようのないものだと締めくくる。
荘子・應帝王篇
- 天根が無名人に天下を治める道を問うたところ、無名人は「淡に心を遊ばせ、漠に気を合わせ、物の自然に順って私心を交えなければ天下は治まる」と答えた。
- 至人の心は鏡のようなもので、物を迎えず送らず、ありのままに応じて損なわれることがないと説く。
- 南海の帝儵と北海の帝忽が、恩に報いようと中央の帝渾沌に七竅(目・耳・鼻・口)を穿ったところ、七日で渾沌が死んでしまったという寓話(人為が自然の渾沌を破壊する喩え)。
荘子・天運篇
- 天の運行、日月の交替を誰が主宰するのかを問い、巫咸袑が「天には六極五常があり、帝王がこれに順えば治まり逆らえば凶となる」と答えた。
- 商の大宰蕩と荘子の「仁」を巡る問答。「至仁には親しみなし」とし、孝による親愛より、天下を挙げて互いを忘れ合う境地こそ至上の徳であると説く。
荘子・馬蹄篇
- 馬の本性(草を食み水を飲み自由に駆ける)を無視して伯樂が調教すれば馬の多くが死に、陶匠・木匠が土や木を型にはめれば天下を治める者の過ちと同じだと説く。
- 至徳の世には民に常性があり、聖人が仁義礼楽を掲げることでかえって天下に疑いと分裂が生じたとし、伯樂の罪・聖人の過ちを並べて批判する。
荘子・胠篋篇
- 盗難を防ぐための厳重な戒めが、大盗にはかえって好都合になるという逆説から説き起こし、田成子が斉を奪った際に「聖知の法」ごと盗んだ例を挙げ、聖人の法度自体が大盗の道具になりうると論じる。
- 盗跖の徒の「盗にも道あり」との言(聖・勇・義・知・仁を備えねば大盗たり得ない)を引き、善人が聖人の道を得ずして立たず、盗跖もまた聖人の道なくして行えないと論じ、「聖人が死ねば大盗も起こらない」という逆説的な結論に至る。
- 「聖知を絶ち智を棄てれば大盗はやむ」「至徳の世は結縄を用い、隣国が互いに望んでも老死まで往来しない」として、上古の理想社会を称え、知を好む風潮こそ天下を乱す元凶だと総括する。
荘子・天下篇(諸子百家概観)
- 天下の道術を論じる総論として、天人・神人・至人・聖人・君子・百官の区分を示し、道術が天下に分裂し諸子百家がそれぞれ一面のみを得ている現状を「道術将に天下の為に裂かれんとす」と嘆く。
- 墨翟・禽滑釐の学(非楽・節用・薄葬・兼愛非鬬)を、意図は善いが実行が厳しすぎ、天下の心に反すると評す。
- 宋鈃・尹文の学(侮りを受けても辱とせず、寡欲を旨とし攻めを禁じ兵を止める)を紹介する。
- 彭蒙・田駢・慎到の学(万物を斉しとし、知を棄て己を去り已むを得ざるに従う「棄知去己」の説)を紹介する。
- 関尹・老耼の学(雌を守り辱を守り、虚無を実とする道家の中核思想)を「古の博大真人」と最も高く評価する。
- 荘周自身の学について、「謬悠の説・荒唐の言・端崖なき辞」をもって天下の沈濁を語り、巵言・重言・寓言を駆使して天地の精神と往来したと自己評価する。
- 恵施の弁論(歴物十事:至大無外・至小無内・卵有毛・鶏三足等の逆説的命題)を紹介しつつ、その才は道に達せず「その徳に弱く物に強し」として、才を空費した結末を惜しむ言葉で天下篇を締めくくる。(割注:荘子の逸文として、桃の枝の魔除け、羊溝の鶏、青鵽の子への愛など断片的な小話が多数付記される。)
荘子・説劍篇
- 剣術を好んだ趙の文王に対し、荘子は太子の依頼で王に謁見し、「天子の剣・諸侯の剣・庶人の剣」の三種を説いた。天子の剣は天下を治める理法そのもの、諸侯の剣は忠勇の士を鋒とする統治の喩え、庶人の剣は闘鶏に等しい無益な私闘にすぎないと論じ、文王を諭して剣士による殺伐を止めさせた。(割注:この篇は戦国策に近い文体で、荘子本来の思想とは異なるとの指摘あり。)
荘子の逸話(史記・荘子逸文ほか)
- (史記より)楚威王が厚遇して宰相に迎えようとしたが、荘子は「祭祀の犠牛は肥え飾られても屠られる運命にある。それより溝の中で自由に戯れていたい」と述べて固辞し、生涯仕官しなかった。
- (荘子より)濮水で釣りをしていた荘子に、楚王が国政を託そうとしたが、荘子は「神亀は死して珍重されるより生きて泥の中で尾を引きずる方を選ぶだろう」と答え、これを辞退した。
- 大布の衣に補い当てをした姿で魏王に謁見した荘子は、「これは貧であって憊(疲弊)ではない。道を行い得ぬことこそ真の憊である」と述べ、良木を得られぬ猿の喩えで、乱世に処する士の困難を語った。
- 貧しさから監河侯に粟を借りようとした荘子が、車の轍にいた鮒魚(我は東海の使いだが、今すぐ僅かな水がなければ死ぬ)の寓話を通じ、悠長な援助の申し出を「枯魚の肆で私を探すようなものだ」と痛烈に批判した。
- 荘子が死に臨み、弟子が厚葬を望んだのに対し、「天地を棺槨とし日月を璧とし万物を副葬品とすれば、これに勝る葬儀があろうか」と述べ、地上でも地下でも屍が何かに食われる点で変わりはないとして、厚葬を退けた。