- 履歴: 子発(生没年不詳)は楚の将軍。斉・蔡・秦などとの戦で活躍し、士卒との苦楽を共にする厳格な治軍で知られる。
用兵の巧みさ
- (淮南子より)子発は難事に緩急自在に対応し、進撃は矢のように速く、防御は雷電のごとく堅固で、円は規に、方は矩に適うほど正確な用兵を行い、戦えば必ず勝ち攻めれば必ず落としたと評される。それは身を軽んじ死を楽しむからではなく、利を後回しにして功を先んじたからだと説く。
母の厳しい教え
- (列女伝より)秦攻めで兵糧が尽きた際、士卒は豆粒を分け合って食べたのに、子発自身は日々肉や穀物の御馳走を食べていたことを聞いた母は、勝利して帰った子発を家に入れず、越王勾踐が一器の美酒や一嚢の乾飯を士卒と分かち合ったことで士気を高めた故事を引き、「士卒を死地に追いやりながら自らは安楽を貪るのは正しい将の道ではない」と厳しく戒めた。子発が謝罪して初めて母は家に入れた。
盗人の技を用いた奇策
- (淮南子より)子発は身分を問わず技ある者を求め、盗みを得意とする者を礼遇した。斉との戦で苦戦した際、この者を用いて斉軍の将軍の帷帳・枕・簪を夜ごと盗ませては返還し、斉軍を疑心暗鬼に陥らせて撤退させた。「老子」の「不善人は善人の資となる」との言葉に適う逸話として引かれる。
功を辞する謙譲
- (淮南子より)蔡を攻め落とした際、宣王から領地の封と圭の授与を申し出られたが、子発は「国の徳・将の威・民の力によって得た勝利であり、それを自分の功として爵禄を受けるのは仁義に反する」として辞退した。
- (荀子より)同様に蔡侯を捕らえた功を辞した子発に対し、批評は「謙譲そのものは立派だが、賞罰による功臣の奨励という先王の道に反する行いであり、かえって功臣の士気を挫き子孫の待遇にも影響する」として、単純な美談とせず問題点を指摘する。
使者の見た目による誤解(付随逸話)
- (説苑より)蔡の使者、師强と王堅の風采が名にそぐわず醜かったことに楚王が激怒し、蔡討伐の一因となったという逸話(陳の使者敦洽讐麋の類話と関連づけて記される)。
- 同・下蔡の威公が国の滅亡を予見して泣き明かし、諫言が聞き入れられぬ絶望を隣人に語ったところ、隣人は一族を挙げて楚に移り、後に楚軍の将となって蔡を攻めた際、捕虜となった威公を助けたという「言う者と行う者」の関係を説く逸話(子発の逸話に連なる楚の話として付す)。
法を曲げなかった代償(付随逸話)
- (淮南子より)子発が上蔡の令であった時、令尹の面前で罪人に刑を執行しながらも、その罪人に同情の心を寄せたことがあった。後に子発が罪を得て出奔した際、かつて刑を受けた者が恩を忘れず匿い、追手が来ても実情を明かさなかったため、子発は命を全うできたという(子羔の類話に近い逸話として引く)。