繹史楊朱・墨翟の言(上)(墨者)(楊朱墨翟之言(上)(墨者並附))

  • 履歴: 戦国期の思想家、楊朱と墨翟(墨子)の言説を集めた項目の前半。楊朱については『列子』楊朱篇を中心に、墨子については『墨子』前半の諸篇(親士・尚賢・尚同・辭過・兼愛・三辯・非樂・莭葬・天志)を要約して収める。

楊朱と老子の教え

  • (列子より)楊朱が老子に見えたとき、驕った態度を戒められ、「大白は辱の如く、盛徳は不足の如し」と諭されて改心した。宿の主人夫婦がへりくだって仕えるようになった様子を通じて、驕らぬことの効用が示される。
  • (荘子より)陽子居(楊朱)が老耼に明王の政を問い、「功は天下を覆っても自らのものとせず、万物を化育しても民に頼られたと意識させない」統治の理想が説かれる。

太古への無関心と生の享受

  • (列子より)楊朱は、太古から今日に至る膨大な時の流れの中で賢愚・成敗の差はすべて消え去ることを説き、名声に汲々として身を苦しめることの空しさを述べた。人は爪牙も毛皮も持たぬ弱い存在ゆえに知恵によって物を役立てるべきであり、「身も物も我が私有物ではない」として、聖人は天下の身と物を私しないと論じた。

寿・名・位・貨への囚われを離れる

  • (列子より)人が休まらぬ原因は寿・名・位・貨の四つへの執着にあるとし、天命に逆らわず、これらを羨まない生き方こそ「順民」であるとした。田父(農夫)が贅沢な暮らしに適応できずかえって病むという寓話や、日向ぼっこの暖かさを王に献じようとした愚か者の話を引き、身の丈に合わぬ贅沢の害を説いた。

豊屋美服と忠義への懐疑

  • (列子より)豊かな衣食住は外に求めるべきものではなく、限りない欲は陰陽の害であるとした。忠も義も、それを尽くすことが必ずしも身の安全や利益にならぬとし、君臣が互いに安んじ利し合うことこそ古の道であるとした。

舜・禹・周公・孔子と桀・紂の対比

  • (列子より)天下に名声を残した舜・禹・周公・孔子は、いずれも生前は労苦・危難・遑遽に満ちた人生を送り、死後の名声も株や土くれと変わらぬものとした。逆に桀・紂は生前の欲を存分に満たしたが死後に悪名を残した。楊朱は、名声と実質の生の充実とは別物であり、どちらも結局は死という同じ終着点に至ると論じた。

生死は命、寿夭は時

  • (列子より)楊朱は季梁の病を見舞い、医者矯氏・俞氏・盧氏のそれぞれ異なる治療観(病を人事とするか、宿業とするか、天命とするか)を通じて、生死は天命に属するという達観を語った。楊布との問答でも、賢愚・寿夭・貴賎はすべて「命」によるものであり、命を信じる者には是非も逆順も安危も超越した境地があるとした。

治大国は治小家に非ず

  • (列子より)楊朱は梁王に「天下を治めるのは掌を動かすが如し」と説き、羊飼いの喩え(多数を治めるには童子で足りるが、賢者を並べればかえって進まぬ)を用いて、大を治める者は細事にこだわらぬべきだと論じた。

生を貴ぶことと速やかな死への反論

  • (列子より)孟孫陽との問答で、楊朱は「生を貴んでも久しく生きられるわけではなく、身を愛しても長生きできるわけではない」とし、速やかな死を望むことも誤りであり、生死ともに天に任せて執着しないのが正しいとした。

一毛を抜かざるの論

  • (列子より)伯成子高・大禹の故事を引き、「人ひとりが一毛を損なわず、人ひとりが天下を利しなければ、天下は治まる」という利己不干渉の理を説いた。禽子(禽滑釐、墨家)が「一毛を犠牲にして世を救うか」と問うたのに対し楊朱は答えず、弟子の孟孫陽が「一毛は肌膚の、肌膚は一節の万分の一であり、軽んじるべきではない」と論じ、両者の立場の違いが浮き彫りにされる。

多岐亡羊

  • (列子より)楊朱の隣人が分かれ道の多さゆえに逃げた羊を見失った故事を通じて、学問の道もまた多方に分かれることで本質を見失う危険を説いた(多岐亡羊)。仁義の解釈が三人の兄弟でそれぞれ異なった寓話(愛身・殺身成名・身名並全)も併せて示され、いずれが正しいかは一様には定め難いとされる。

名と実、偽と誠

  • (列子より)楊朱は魯に遊んだ際、孟氏との問答で「名は実を伴わねば偽りである」としつつも、堯・舜が天下を譲った「偽の名」がかえって長く栄えを保ち、伯夷・叔斉の「実の譲り」が国を滅ぼし餓死に至った逆説を示し、名と実の関係の複雑さを説いた。

美と醜、驕りを戒める寓話

  • (列子より)楊朱が宿で美しい妾が賎しまれ醜い妾が貴ばれるのを見て、「自ら賢と誇らねば、その徳は行く先々で愛される」と弟子に教えた。弟の楊布が衣の色の違いで自分の犬に吠えられて怒った故事を通じては、自身が変われば周囲の反応も変わる道理を説いた。

墨子(親士):賢者を用いる要

  • (墨子より)国に賢士を軽んじれば国は亡ぶとし、文公・桓公・勾践の例を引いて、艱難の中でこそ名を成した君主の姿を示す。君主は諫言する臣を持たねば国が危うく、優れた者ほど早く損なわれやすい(比干・孟賁・西施・呉起の例)ため、有能な人材を大切に用いるべきだと説く。

墨子(尚賢):賢を尚び能を用いる

  • (墨子より)国家が富み治まらぬのは、為政者が賢者を尊び有能な者を登用する政治を行っていないからだと説く。身分によらず有能な者を挙用すべきとし、堯が舜を、禹が益を、湯が伊尹を、文王が閎夭・泰顛を登用した故事を挙げ、「尚賢は政の本なり」と結論づける。骨肉の縁のみで用いるべきでないことを、牛羊の宰や弓の修理を良工に任せる喩えで説く。

墨子(尚同):上下の義を一にする

  • (墨子より)人がそれぞれ異なる「義」を持つために生じる争乱を鎮めるため、賢者を選んで天子・三公・諸侯・正長を立て、下は上の是非に従い、善悪はすべて上に報告するという「尚同」の制度を説く。天子もまた天に同じることで、天下の秩序が保たれるとする。

墨子(辭過):宮室・衣服・飲食・舟車・蓄妾の節度

  • (墨子より)古の聖王は宮室・衣服・飲食・舟車のいずれも実用に足るだけで満足し、過度な装飾や贅沢を避けたため国が富み治まったが、後世の君主は民から重税を取り立てて奢侈にふけり、国を貧しく乱れさせたと批判する。蓄妾の多さが男女の均衡を崩し民を減らす害も指摘し、五事すべてに「節度」を持つことを説く。

墨子(兼愛):分け隔てなき愛

  • (墨子より)世の乱れは互いに愛し合わないことに起因するとし、父子・兄弟・君臣がそれぞれ自分だけを愛することが不孝・不慈・盗賊・侵略の根源であると論じる。「別」(差別的な愛)と「兼」(無差別の愛)のいずれが天下を利するかを対比し、文王・禹・湯・周の詩書の言葉を引いて兼愛が聖王の道であったことを論証し、兼愛は理想論ではなく実行可能であることを、荊の霊王の細腰嗜好や勾践の勇敢さの教化の例で示す。

墨子(三辯):音楽を廃すべき理由(前段)

  • (墨子より)程繁の「聖王も労苦の後には音楽で休むのに、なぜ聖王は音楽をなさぬと言うのか」との問いに対し、堯舜以来の音楽が徐々に繁多になるほど政治が乱れたと答え、質素な政治ほど音楽も簡素であるべきだと説く。

墨子(非樂):音楽への浪費を非とする

  • (墨子より)鐘鼓琴瑟など楽器の製作・演奏は民の衣食の財を奪い、農耕・紡績・政務を妨げるとし、聖王が舟車を作ったのとは異なり音楽は民の実利に資さないと論じる。音楽に耽ることで王侯が朝政を怠り、士は職務を怠り、農婦は仕事を怠ることになるとし、湯の官刑や武観の故事を引いて、音楽への耽溺が国を滅ぼす兆しであると結論づける。

墨子(莭葬):厚葬久喪を非とする

  • (墨子より)厚い葬儀と長い服喪の習慣は、家産を浪費し、農事や紡績を妨げ、国を貧しくし、人口を減らし、政治を乱すとして厳しく批判する。棺は三寸、衣は三領で足り、埋葬は浅すぎず臭気が漏れぬ程度でよいとする「節葬」の法を示し、風習として厚葬・火葬・水葬など様々な形がある異民族の例(越の東の国、楚の南の炎人国、秦の西の儀渠国)を挙げて、葬礼の風習は絶対的なものではなく、節度をもって定めるべきだと論じる。

墨子(天志):天の意志に従う政治

  • (墨子より)人は家や国の主君に罪を得ることは恐れるが、天に対する罪を軽んじていると批判し、天は義を欲し不義を憎むとし、天下の治乱・貧富はすべて義・不義によって定まるとする。禹・湯・文・武は天意に従って賞を得、桀・紂・幽・厲は天意に逆らって罰を受けたと論じ、政治とは規矩(コンパスと定規)のように、天意という基準に従って測るべきものであるとして、諸侯・士君子の言動を測る「天下の明法」として天志を提示する。