繹史周公楚(周公楚)
- 履歴: 周の卿周公楚。成公十一年(前580年)、恵王・襄王の系統の圧迫と伯与との政争に敗れ晋に出奔した。
政争と出奔
- (左傳より)周公楚は恵王・襄王の子孫に圧迫されることを嫌い、また伯与と政権を争って敗れ、怒って周を去り陽樊に至った。王は劉子を遣わして呼び戻し、鄄で盟わせて復帰させたが、三日後に再び周を出て晋に奔った。翌年、周は周公の出奔を晋に告げるにあたり「周公が晋に出奔した」と記した(本来「周より出づ」ことは記さない慣例だが、周公が自ら私邑から出た事情ゆえに例外的に記された)。
- (公羊傳・榖梁傳より)天子の三公たる周公が「出奔」と記される異例さについて、周の内部で上下ともに秩序を失った結果であると論じる。