繹史劉康公(劉康公)

  • 履歴: 周の卿劉康公。成公元年(前590年)、茅戎討伐を強行して敗れた。

茅戎討伐の失敗

  • (左傳より)周の甘歜が戎の酒宴に乗じてこれを破った後、晋は瑕嘉を遣わして王のために戎と講和させ、単襄公が晋に赴いて成立を謝した。劉康公は戎を討とうとし、叔服が「盟いに背き大国を欺くのは不祥であり不義、神も人も助けまい、勝てぬだろう」と諫めたが聞き入れず、茅戎を討伐した結果、徐吾氏で大敗し、秋に王の使者がその敗報を告げた。
  • (公羊傳・榖梁傳より)「王者に敵なし」との建前から、敗れた事実を直接「王師敗る」と書かず、婉曲に表現した経文の書き方について論じる(編者按: 貿戎が破ったとする説もあるが、実際は晋が破ったとする説が妥当と思われるとする)。