繹史教学と養老(教學飬老)

『禮記』の「文王世子」「學記」「王制」「内則」「祭義」から、学校制度・教育論と、高齢者を敬い養う「飬老」の制度を集める。

世子・国学における教学の制度

  • (禮記「文王世子」より)世子や学士の教育は季節ごとに定められ、春夏は干戈(武舞)を、秋冬は羽籥(文舞)を学ぶ。楽正・大胥・籥師など専任の教官がそれぞれの科目を指導し、東序・瞽宗・上庠など学ぶ場所も科目により異なる。学舎を新設した際は必ず先聖・先師を祀る「釈奠」を行うと定める。
  • (禮記「文王世子」より)三代の王が世子を教えるにあたっては礼楽を並び用い、礼は外を、楽は内を修めるとする。太傅・少傅を立てて父子君臣の道を示し、師は事をもって徳を諭し、保は身を慎んで道に導く役目を負うとする。
  • (禮記「文王世子」より)天子が国学を視察する「視学」の儀では、まず先師・先聖を祀り、続いて東序で三老・五更(高齢の元臣)を飬老の礼でもてなし、清廟の詩を歌わせて父子君臣長幼の道を語り合わせる。楽が終われば公・侯・伯・子・男・群吏に「東序で老幼を養え」と命じ、仁を終わらせるとする。

『學記』にみる教育論の要諦

  • (禮記「學記」より)玉は琢磨しなければ器とならず、人も学ばねば道を知らない。学んでこそ自らの不足を知り、教えてこそ自らの至らなさを知る、という「教学相長」の理を説く。
  • (禮記「學記」より)古の教育制度(家に塾、党に庠、術に序、国に学)と、一年目から九年目までの到達度評価(「小成」「大成」の基準)を述べ、大学の入学儀礼(皮弁で祭菜を供える、鼓篋で学びを促すなど)、時教と休息を併せ持つ学びの姿勢(藏・脩・息・遊)を説く。
  • (禮記「學記」より)「禁於未発(未然に禁ずる)」「当其可(好機を捉える)」「不陵節而施(順序を乱さぬ)」「相観而善(互いに学び合う)」という四つの教育原則と、その裏返しとなる教育が廃れる六つの要因(発してから禁ずる、時を逃す、順序を乱す、独学で友がいない、悪友に交わる、邪な遊びに惑わされる)を対比して示す。
  • (禮記「學記」より)善き師は導いても引きずらず、強いても抑えつけず、開いても言い尽くさないことで学ぶ者に自ら考えさせるとし、学ぶ者の陥りやすい四つの過ち(多に失する・寡に失する・易に失する・止に失する)を心得て教えるべきだとする。善問は堅い木を切るように易しい所から、善答は鐘を撞くように相手の力量に応じて響かせるべきだとする。
  • (禮記「學記」より)良い鍛冶の子は裘作りを、良い弓師の子は箕作りをまず学ぶという比喩を用い、物事の基本を学ぶことの大切さを説き、大徳は官に限らず、大道は器に限らないと結ぶ。

飬老の制度

  • (禮記「王制」「内則」より)有虞氏は燕礼、夏后氏は饗礼、殷人は食礼をもって老人を養い、周人はこれらを併せ用いたとする。五十歳で郷にて、六十歳で国にて、七十歳で学にて養われ、諸侯にまで及ぶという段階が定められる。八十歳で君命への拝礼は一度で済み、九十歳では使者が代わりに受けるなど、年齢に応じた優遇が細かく列挙される(食事・衣服・杖の使用可能な場所、賦役の免除年齢など)。
  • (禮記「王制」より)有虞氏・夏后氏・殷人・周人でそれぞれ国老・庶老を養う学舎(上庠・下庠、東序・西序など)が異なり、祭祀と養老の際に着る冠服も王朝ごとに違うと注記する。孤(父のない子)・独(子のない老人)・矜(妻のない老人)・寡(夫のない女性)を「天民の窮しくして告げるところなき者」と呼び、常に扶養を与えるべきだとする。

敬老(尚齒)の風と天下の教化

  • (禮記「祭義」より)飬老には五帝の「憲」(気力を養うのみで言葉を求めない)と三王の「乞言」(善言を求めて記録する)の違いがあるとする。虞夏殷周いずれの世も年長者を尊ぶことは怠らず、朝廷では爵位が同じなら年長者を上とし、道では年長者に道を譲り、郷里では年齢によって秩序を保つとする。
  • (禮記「祭義」より)大学で三老・五更を食礼でもてなす際、天子自ら牲を割き醤を執り酒を勧める姿は、諸侯に「悌」を教える意味を持つとし、朝廷・道路・郷里・狩猟・軍旅のあらゆる場に「孝悌」の教えが行き渡ることで天下が治まると説く。天子・卿大夫・士庶人がそれぞれの善行をどこに帰するか(天に譲る、天子に帰す、諸侯に薦める、父母・長老に本づける)という秩序も述べられる。