繹史内則(家庭内の規範)(内則)
『禮記』「内則」を中心に、「檀弓」「曲禮」「文王世子」「保傅」(大戴禮記)などから、家庭内における親への孝養、夫婦・男女の別、子女の養育と教育に関する規定を集める。
子・婦の朝の勤めと父母への奉仕
- (禮記「内則」より)子は鶏の初鳴きとともに身支度を整え、父母の元へ参じて衣服の暖寒や体調を問い、望むものを進んで満たす。嫁は舅姑(夫の父母)にも実の親と同様に仕え、飲食に至るまで細やかに気を配るとする。
- (禮記「内則」より)未婚の男女や家中の者もそれぞれ早起きし、寝具を片付け室内を掃き清めて役目に就く。父母・舅姑が座に着く際は席の向きを問い、就寝の際も同様に配慮するなど、日々の起居すべてに礼が及ぶ。
- (禮記「内則」より)父母の器(敦・牟・巵・匜)は残り物でなければ子は用いず、父母の在世中は朝夕の食事も父母を優先し、子・婦は残りをいただくのが定めとされる。
父母の前での立ち居振る舞い
- (禮記「内則」より)父母・舅姑の前では、命じられれば直ちに謹んで応え、進退・立ち居のすべてを慎み、あくび・咳・唾を人前でしない。衣に汚れがあれば灰汁で洗うことを願い出て、五日に一度湯を沸かして父母の沐浴を願い出るなど、細やかな配慮が列挙される。
孝行の基本と外出の作法
- (禮記「曲禮」より)冬は温かく夏は涼しく、朝夕に安否を伺うのが子の礼であり、出かける際は行き先を告げ、帰れば顔を見せる。父の友人に会えば求められずとも進まず退かず、問われずとも答えないという礼も記す。
- (禮記「曲禮」より)子は父母の在世中、勝手に私財を持たず、友のために命を捧げる約束もしないとし、父母没後も父の書物や母の器に触れれば、その手沢・口沢を偲んで用いられなくなるという逸話が添えられる。
- (禮記「文王世子」より)世子(太子)は朝夕に内竪(奥向きの役人)を通じて君の安否を問い、食膳の内容にまで気を配り、君が病めば斎戒して薬を自ら味見するなど、天子・諸侯の家でも同様の孝の作法が行われるとする。
病の親への配慮と諫言
- (禮記「内則」より)父母が病めば、冠者は髪を整えず、歩き方も緩やかにし、琴瑟を弾かず、肉食・飲酒も控えめにするなど、日常の楽しみを慎む。
- (禮記「内則」より)父母に過ちがあれば、気を低くし穏やかな声で諫め、聞き入れられなくとも敬意と孝心を尽くし続け、怒って打たれても恨まず、いよいよ敬い孝を尽くすべきだとする。
嫁・妾と宗族の秩序
- (禮記「内則」より)子婦は私財・私蓄を持たず、贈り物を受ければ必ず舅姑に献上し、返却を命じられれば新たに賜ったものとして受け取る。舅が亡くなれば姑が家事を退き、冢婦(嫡子の妻)・介婦(庶子の妻)の間にも厳格な序列があるとする。
- (禮記「内則」より)適子・庶子は宗子(本家の当主)を敬い、たとえ富貴になっても宗子の家に驕った態度で入らず、車馬・衣服なども上等な品を宗子に献じてから自ら用いるという秩序が定められる。
夫婦・男女の別
- (禮記「檀弓」より)夫は昼に内(奥)に居て妻の病を見舞うのはよいが、夜に外に居て弔問するのは大故がなければ許されないとする。
- (禮記「内則」より)男女は井戸・浴室・寝床を共にせず、衣類の受け渡しも直接手渡さない、男は内のことを語らず女は外のことを語らないなど、居住空間から言葉遣いに至るまで峻別される。夫婦の関係も七十歳を過ぎて初めて寝室を共にし続けるとされ、それ以前は五日に一度の当番制で夫に仕える定めが記される。
出産と命名の儀礼
- (禮記「内則」より)妻が出産の月を迎えると別室に移り、夫は使者を通じて安否を尋ねる。男児が生まれれば門の左に弓を、女児なら門の右に手巾を掲げ、三日目に負子(子を抱いて拝謁させる儀)を行う。国君の世子誕生では大牢を供えて告げ、身分に応じて供物の格が異なる。
- (禮記「内則」より)誕生から三月の末、吉日を選んで前髪を整える「翦髪」の儀を行い、父が子の右手を執って名を与える命名の儀礼が細かく定められる。名づけにあたっては国名・日月・隠れた病名・山川の名を避けるという禁忌があり、『大戴禮記』の逸文には胎教(妊婦の心得)についての記述も引かれる。
子女の教育と成長の段階
- (禮記「内則」より)子が食を自らできるようになれば右手で食べるよう教え、六年で数と方角の名を、七年で男女で席・食を共にしないことを、八年で長者に譲ることを、九年で日数の数え方を、十年で外傅につき書算を学ぶ。十三年で楽・詩を、成童で射御を学び、二十歳で冠して礼を学び始めるなど、成長段階ごとの教育内容が定められる。
- (禮記「内則」より)女子は十歳を過ぎると外に出ず、婦徳(従順さ・糸紡ぎ・祭祀の手伝いなど)を学び、十五歳で笄(成人の髪飾り)をつけ、二十歳(事情があれば二十三歳)で嫁ぐとされる。