隋唐演義第九十四回 安禄山は腸をえぐられ命を落とし、南霽雲は指を噛み援軍を乞う (安祿山屠腸殞命 南霽雲齧指乞師)
安慶緒の弑逆
(詞:逆賊が受けた報いは実の子による弑逆だったこと、忠臣の血涙にも動じぬ将の非情を詠む)
失明後の安禄山は暴虐を増し、寵妾段氏の子・慶恩を偏愛して太子安慶緒の廃嫡を企てた。慶緒は嚴莊に相談し、嚴莊は父を弑してでも身を守るべきと唆す。慶緒の同意を得た嚴莊は、日頃鞭打たれ恨みを募らせていた側近の宦官李猪児を引き込み、共謀して安禄山を弑逆する計画を立てる。ある夜、李猪児が寝所に忍び込み、失明した安禄山の腹を刀で裂いて殺害した(至德二載正月)。嚴莊と慶緒はすぐに遺体を秘して埋め、後に慶緒が偽帝位を継いだことを発表した。慶緒は嚴莊を頼りに暗愚な統治を続けた。
睢陽攻防戦
嚴莊の命で尹子奇が睢陽を攻め、太守許遠は雍丘防禦使張巡に救援を求める。回想として、張巡が雍丘を守った際の奇策(草人による矢の入手、夜襲、雷万春の顔面被弾の逸話など)が語られ、令狐潮を撃退した経緯が描かれる。
張巡は寧陵の戦いでも勝利を収め、睢陽へ入って許遠と合流、南霽雲の射撃で尹子奇に負傷を負わせるなど奮戦するが、糧食が尽きて茶紙・雀鼠・愛妾までも食料とする悲惨な籠城戦となる。
南霽雲の乞師と睢陽陥落
張巡は南霽雲を臨淮の賀蘭進明の下へ派遣し援軍を求めたが、進明は私怨と嫉妬から兵も糧も出さなかった。南霽雲は自らの指を噛み切り血の誓いを示して去った(後世、張睢陽廟に賀蘭進明の裸像が置かれ人々に打たれる由来となったという)。
援軍が来ないまま睢陽は陥落し、張巡・南霽雲・雷万春ら三十六人が捕らえられ、屈することなく全員処刑された。落城の三日後に到着した張鎬は、援軍を送らなかった閻丘暁を処罰した。
評語
冒頭の詞と地の文は、逆賊が実子に弑される因果応報と、忠臣が血涙を流して助けを求めても動かない将の非情さを併せて論じ、後者を乱臣賊子と同罪と断じている。