隋唐演義第九十三回 凝碧池で雷海青は節に殉じ、普施寺で王摩詰は詩を吟ずる (凝碧池雷海青殉節 普施寺王摩詰吟詩)
献像・舞馬の演出の失敗
(詞:忠義を語る者ほど土壇場で日和り、賤しいとされた伶人が節義を貫く逆説を詠む)
安禄山は長安占領後、宮中の財宝・梨園楽人らを范陽へ移送させる一方、かつて玄宗が誇った馴像・舞馬の芸を自らも披露させ配下の異民族の首長たちに誇示しようとしたが、像は安禄山に従わず酒杯を投げ捨て、後に処分された舞馬も後年、敵の史思明軍中で音楽に合わせて舞おうとして誤解され打ち殺されるという顛末が語られる。
凝碧池の宴と雷海青の殉節
安禄山は東京へ移る前、凝碧池で盛大な宴を催し、梨園の楽人・教坊の楽工を集めて演奏させた。多くの楽人が悲しみの涙を隠せない中、病と称して出仕を拒んでいた雷海青が強制的に呼び出され、安禄山の傲慢な言葉を聞いて激怒し、楽器を投げ捨てて安禄山を面罵し、殺害された。
安禄山はその後、太廟を焼いた際に煙が目に入り、以後失明していく。
王維の詩と赦免
賊軍に捕らえられ普施寺に軟禁されていた給事中の王維(摩詰)は、雷海青殉節の話を聞いて深く感じ入り、「凝碧池頭奏管弦」の句を含む詩を詠んだ。この詩は密かに粛宗の行在にまで伝わり感銘を与え、後に賊に降った官員の処分が行われた際、王維は弟王縉の嘆願とこの詩によって赦免され、旧官に復した。