隋唐演義第七十九回 江采蘋は寵愛を頼みに歓を追い、楊玉環は恩を受けて寵を奪う (江采蘋恃愛追歡  楊玉環承恩奪寵)

梅妃江采蘋の入宮

(詞:麗人が宮中に入れば必ず寵愛を留めようとするが、思いがけず縁が変わることを詠む)

情欲は賢者すら免れぬものであるとの前置きの後、閩中興化県の秀才江仲遜の娘、采蘋の物語が語られる。幼くして聡明で文才に優れ、特に梅を愛したことから後に梅妃と呼ばれる。高力士の採選により入宮し、玄宗の寵愛を得た。玄宗は宮中に梅を植えさせ、梅妃と共に賞玩した。

梅園の宴と寧王の失態

玄宗は諸王を梅園に招き宴を催し、梅妃に「驚鴻の舞」を舞わせた。酒席で寧王が酔って梅妃の繍鞋を踏み、梅妃は立腹して席を立った。恐れをなした寧王は駙馬楊回に相談し、翌日跪いて謝罪して事なきを得た。

楊回の献策と楊玉環の入宮

楊回は玄宗に、後宮に美女は多いが絶世の美貌はいないとして、寿王妃楊玉環の美貌を推挙した。玄宗はこれに心を動かされ高力士に楊妃を召させた。楊妃は寿王と涙の別れを交わし入宮、玄宗はその美貌に魅了され、まず女道士(太真)とした上で正式に貴妃に冊立した。寿王には別に妃を娶らせて体裁を整えた。楊氏一族は一挙に栄達し、従兄の楊釗は玄宗から国忠の名を賜り権勢を振るった。楊貴妃の寵愛が篤くなるにつれ、梅妃は疎んじられていった。

梅妃と楊貴妃の確執

梅妃は高力士から楊貴妃の寵愛ぶりを聞き、南宮へ赴いて対面を求めた。玄宗の取りなしで両者は対面し、酒宴で互いに詩を贈り合ったが、その内容には互いへの当てこすりが含まれ、両者の間に険悪な空気が生じた。高力士は俗謡めいた言葉で場を取り成し、玄宗は両美人を伴い宮に戻った。その後、梅妃は楊貴妃に讒言されて上陽東宮に遷された。

密会の露見

ある日玄宗は梅妃を思い出し、高力士に命じて密かに翠花西閣に召し寄せ、久々に酒を酌み交わし共に休んだ。しかし翌朝、玄宗の来訪がないことに気づいた楊貴妃が押しかけ、閨中の様子から密会を察知し激しく怒って自邸へ引き上げてしまった。梅妃を送り届けた小黄門は玄宗の怒りを買って斬られ、玄宗は楊貴妃への詫びとして真珠を梅妃に贈らせたが、梅妃はこれを固辞し、代わりに寂寥を訴える詩を献じた。玄宗はこの詩に心を痛めつつも感嘆し、楽府に採り「一斛珠」の曲名とした。楊貴妃はこの一件を知り、以後梅妃を除こうと機会をうかがうようになった。