隋書卷八十六 原跋

隋書編纂の経緯

  • 隋の開皇・仁寿年間、王劭が類別にまとめた『隋書』80巻を著したが、これは編年・紀伝の体裁を備えていなかった。
  • 唐の武徳五年、起居舎人の令狐徳棻が梁・陳・斉・周・隋の「五代史」編纂を上奏し、同年12月、中書令封徳彝・舎人顔師古に隋史編纂の詔が下ったが、数年を経ても完成せず中止となった。
  • 貞観三年、改めて秘書監魏徴に隋史編纂の詔が下り、左僕射房喬(房玄齢)が総監となった。魏徴はさらに中書省に秘書内省を置くよう奏請し、前中書侍郎顔師古・給事中孔穎達・著作郎許敬宗に編纂を命じ、自ら総括して簡潔・公正を旨に取捨した。序・論はすべて魏徴の手による。帝紀5巻、列伝50巻が完成し、貞観十年正月壬子、魏徴らが宮中に献上した。
  • 貞観十五年、さらに左僕射于志寧・太史令李淳風・著作郎韋安仁・符璽郎李延寿に「五代史志」の編纂が命じられ、十志30巻にまとめられた。顕慶元年五月己卯、太尉長孫無忌らが朝堂に献上し、詔により秘閣に収蔵された。後にこれを『隋書』に編入したが、実際は別行の書物であり「五代史志」とも呼ばれる。

宋代の校勘

  • 天聖二年五月十一日、御薬供奉の藍元用が聖旨を奉じ、禁中の『隋書』一部を崇文院に付した。六月五日、勅命により校勘官が任命され、臣綬・臣燁が提点、右正言・直史館の張観らが校勘にあたった。張観がのち度支判官に転じたため黄鑑が代わって続けた。あわせて宮中より版式が出され彫造された。