隋書卷六十六 列傳第三十一 鮑宏

梁・北周での経歴

鮑宏、字は潤身。東海郯の人。父の機は梁の治書侍御史。7歳で父を失い兄に養育され、12歳で文章をなし湘東王蕭繹に賞され中記室に登用された。江陵陥落後は北周に帰し明帝に麟趾殿学士として礼遇され、遂伯下大夫として杜子暉と共に陳へ使いし対斉同盟を謀った。陳の対斉出兵を実現させ、伐斉策を武帝に問われ「汾・潞から直に晋陽を衝く」策を献じ採用された。斉平定後、少禦正・平遙県伯。

隋朝での経歴

高祖作相の頃、山南への使いの途中で王謙の乱に巻き込まれ達奚期に捕らえられ成都へ送られたが節を屈しなかった。乱平定後に急ぎ入京し高祖に金帯を賜った。受禅後、開府・利州刺史・公に進み邛州刺史も歴任。尉義臣(尉崇の子)への賜姓を議した際、項伯・秦真の故事を引いて皇族の楊姓を勧め採用された。均州刺史を経て目の病で免官、96歳で家に卒去。北周武帝の勅命で『皇室譜』(帝緒・疏属・賜姓の三篇)を編纂し、文集10巻が世に行われた。