隋書卷六十四 列傳第二十九 陳茂
出自と高祖への忠勤
陳茂、河東猗氏の人。家柄は寒微だが質直恭謹で郷里に敬われた。高祖が隋国公のとき僚佐となり圓通と同様の待遇を受け、家事を任され常に意に称った。斉軍との晋州の戦いで高祖が挑戦しようとした際、茂が固く止めて馬の轡を掴んだため高祖は怒って刀で額を斬りつけたが茂は屈せず、高祖は感じて厚く礼遇した。以後、上士に至り、丞相時代は心膂として用いられた。受禅後、給事黄門侍郎・魏城県男として機密を掌り、10余年在官の後、益州総管司馬、太府卿、伯に進んだが数年後任地で卒去。子の政が嗣いだ。
陳政――劉居士の獄と煬帝への出仕
陳政、字は弘道。倜儻で文武の大略あり鐘律に通じ弓馬にも巧みで、宮中で養われ17歳で太子千牛備身となった。京師の大俠劉居士に才気を重んじられ交遊し、李圓通の子孝常とも親しく居士と交わったが、居士が獄死した際は連座しつつも功臣の子として鞭打200のみで赦された。以後不遇であったが煬帝時代に協律郎・通事謁者・兵曹承務郎となり才を愛された。宇文化及の乱の際は太常卿とされ、後に唐に帰し梁州総管で卒去した。