隋書卷六十三 列傳第二十八 元壽
出自と隋朝での経歴
元壽、字は長壽。河南洛陽の人。祖の敦は魏の侍中・邵陵王、父の寶は北周の涼州刺史。9歳で父を喪い孝行で知られた。北周武成初、隆城県侯に封じられ後に儀隴県侯・儀同三司。開皇初、伐陳の議で淮浦での船艦監修に才を発揮、漕渠の役にも参督し尚書主爵侍郎、晋王の伐陳では行台左丞を兼ね、平陳後は尚書左丞となった。開府蕭摩訶が妻の危篤を理由に子を江南へ財産回収に行かせようとしたのを御史が見過ごした際、壽は御史や検校治書侍御史劉行本の不作為を上表で弾劾し、高祖に嘉納された。
晩年
太常少卿、基州刺史として公廉の誉れを得、太府少卿・開府を経た。煬帝嗣位後、漢王諒の乱で楊素の長史として従軍し先陣を務め功により大将軍・太府卿。大業4年、内史令となり吐谷渾討伐に従い金山に3百余里の連営を築いて渾主を包囲した。右光禄大夫、7年には左翊衛将軍を兼ね遼東遠征に従うも涿郡で病没、63歳。帝は深く哀悼し尚書右僕射・光禄大夫を追贈、諡は景。子の敏は才弁があるが軽険で、化及の反乱に謀を授け内史侍郎を偽授されたが沈光に殺された。