隋書卷五十八 列傳第二十三 柳䛒

出自と梁での経歴

  • 柳䛒、字は顧言、もと河東の人、永嘉の乱で襄陽に移住した。祖父の柳惔は梁の侍中、父の柳暉は都官尚書。抃は若くして聡敏で文を能くし読書を好み、その蔵書は一万巻近くに及んだ。梁に著作佐郎として出仕。蕭詧が荊州を拠点にすると侍中に任じられ国子祭酒・吏部尚書を兼ねた。
  • 梁国が廃されると開府・通直散騎常侍を拝し、まもなく内史侍郎に遷ったが、実務の才がないため去職し晋王の諮議参軍に転じた。王(楊広)は文雅を好み、諸葛穎・虞世南・王胄・朱瑒ら百余人の才学の士を学士として招いたが、抃はその筆頭であった。王は師友の礼をもって遇し、詩文があれば必ず抃に潤色させてから人に示した。かつて京師から帰る際『帰籓賦』を作り抃に序文を作らせたが、その文辞は甚だ典麗であった。王は元来庾信体の文章を作っていたが、抃と出会って以後、文体は変化した。

煬帝への出仕と木偶人

  • 仁壽初め、抃は東宮学士に招かれ通直散騎常侍を加えられ洗馬を検校し大いに親任された。しばしば臥内に召され宴に興じ、俊敏な弁舌で常に侍従し問いに即座に応じた。酒を好み言葉は諧謔混じりで、これにより太子にますます親しまれた。仏典を好むことから『法華玄宗』二十巻を撰させ奏上すると、太子は大いに喜び手厚く賞賜し、同輩の誰も比べられなかった。
  • 煬帝即位後、秘書監を拝し漢南県公に封じられた。帝は退朝後、閣に招いて宴談・諷読させ終日過ごした。帝が嬪后と対酒し興が乗った折には常に抃を呼び寄せ、同じ榻・席に座らせ友人のように遇した。夜に召せないことを帝は残念に思い、匠に命じて木偶人を彫らせ機関で座起拝伏させ、抃に似せて作らせた。帝は月下で酒を飲む際、宮人にこれを座に置かせ、酬酢の相手として歓笑を得ていたという。
  • 揚州行幸に従い病を得て卒した。時に六十九歳。帝は長く傷み惜しみ大将軍を追贈し諡を康とした。『晋王北伐記』十五巻、文集十巻が世に流布した。