隋書卷五十四 列傳第十九 杜整

出自と北周での経歴

  • 杜整、字は皇育、京兆杜陵の人。祖父の杜盛は魏の直閣将軍・潁川太守、父の杜辟は渭州刺史。
  • 整は若くして気概があり、九歳で父を亡くし哀毀骨立して母に孝を尽くした。成長すると驍勇で膂力があり孫子・呉子の兵法を好んで読んだ。魏の大統末、武郷侯を襲爵。周の太祖に親信として引き立てられ、のち宇文護の子・中山公訓に仕え厚く遇された。まもなく都督を授かり、明帝の時に内侍上士となり儀同三司に累遷、武州刺史を拝した。
  • 武帝の斉平定に従い上儀同を加えられ平原県公(食邑千戸)に進爵、入朝して勲曹中大夫となった。

高祖への出仕と晩年

  • 高祖が丞相の時、開府に進み、受禅後は上開府を加え長広郡公に進封、まもなく左武衛将軍を拝した。在職数年、母の喪により去職したが復職を命じられた。
  • 開皇六年(586年)、突厥が塞を犯すと詔により衛王楊爽が総戎として北伐し、整は行軍総管兼元帥長史となった。合川に至ったが虜に遭わず帰還した。整は陳を取る策を密かに進言し上はこれを善しとし、行軍総管として襄陽を鎮させた。まもなく病により卒した。時に五十五歳。高祖はこれを聞いて傷み帛四百匹・米四百石を贈り諡を襄とした。子の杜楷が跡を継ぎ官は開府に至った。

杜整の弟・杜肅

  • 整の弟・杜肅もまた若くして志行があった。開皇初め、通直散騎常侍・北地太守を拝した。