隋書卷四十六 列傳第十一 李雄

生涯

  • 李雄、字は毗盧、趙郡高邑の人。祖の榼は魏の太中大夫、父の徽伯は斉の陝州刺史で周に陥り、雄は軍に従って長安に入った。慷慨な性質で大志を抱き、家は皆学業で身を立てたが雄は独り騎射を習い、兄の子旦に「文を捨て武を尚ぶのは士大夫の道でない」と諭されても「文武兼備でなくして功業を成せる者は少ない、章句を守らぬだけだ」と答え、子旦は言い返せなかった。
  • 周太祖の時、輔国将軍から出発し達奚武の漢中平定・興州平定・汾州の叛胡討伐に功あり驃騎大将軍・儀同三司。閔帝受禅で公に進み小賓部に遷り、達奚武と斉軍が芒山で戦い大敗した際も雄の軍は独り無事だった。武帝の時、陳王純の突厥への迎后に従い奚伯に進み硤州刺史、本府中大夫、涼州総管長史を経て、滕王逌の吐谷渾討伐(青海の戦い)に功あり上儀同を加えられた。宣帝嗣位後は行軍総管韋孝寛に従い淮南を略定、軽騎数百で硤石に至り十余城を説き下し豪州刺史。
  • 高祖の総百揆で司会中大夫、淮南の功で上開府、受禅後は鴻臚卿・高都郡公食邑二千戸。晋王広の并州鎮守に際し河北行台兵部尚書となり、高祖に「わが子はまだ若く経験も少ない、卿の文武の才を頼みにする、北顧の憂いはない」と言われ、涙して忠誠を誓った。当官は正直で犯すべからざる威があり王も敬憚し吏民に称された。一年余りで官に卒。子の公挺が嗣いだ。