生涯
- 趙芬、字は士茂、天水西の人。父の演は周の秦州刺史。芬は少くして弁智に富み経史に通じ、周太祖に相府鎧曹参軍として引き立てられ、記室を経て熊州刺史。降附の民二千戸を撫納し開府儀同三司を加えられた。大塚宰宇文護に中外府掾として召され吏部下大夫に遷った。武帝親政の際は内史下大夫、少禦正。
- 司会として申国公李穆の伐斉に行軍長史で従い淮安県男邑五百戸に封ぜられ、淅州刺史、東京左僕射を経て洛陽に鎮した。
- 高祖の丞相時代、尉迥と司馬消難の陰謀を察知して密告し親任され、東京左僕射に遷り郡公に進んだ。開皇初、尚書左僕射となり郢国公王誼と律令を修めた。内史令を兼ね高祖の信任篤かったが、老病により蒲州刺史に出て金紫光禄大夫を加えられ関東運漕を領し、銭百万・粟五千石を賜って遣わされた。数年後乞骸骨で帰京し、二馬軺車・幾杖被褥を賜って帰宅、皇太子も巾帔を贈った。数年後に卒し、高祖は使を遣わし祭らせ鴻臚が喪事を監護した。
- 子の元恪は揚州総管司馬から候衛長史に左遷。少子の元楷は元恪と共に世事に明敏で、大業中は歴陽郡丞となり廬江郡丞徐仲宗と共に百姓の産を尽くして帝に貢いだ。仲宗は南郡丞に遷り、元楷は江都郡丞に超拝し江都宮使を兼ねた。