隋書卷三十五 集部

楚詞

  • 《楚辭》十二巻、目録共(後漢の校書郎・王逸注)
  • 《楚辭》三巻(郭璞注)。梁代には宋の何偃が王逸注を削った十一巻本があったが、亡失。
  • 《楚辭九悼》一巻(楊穆撰)
  • 《參解楚辭》七巻(皇甫遵訓撰)
  • 《楚辭音》一巻(徐邈撰)
  • 《楚辭音》一巻(宋の処士・諸葛氏撰)
  • 《楚辭音》一巻(孟奥撰)
  • 《楚辭音》一巻
  • 《楚辭音》一巻(釈道騫撰)
  • 《離騷草木疏》二巻(劉杳撰)
  • 以上十部、二十九巻。亡失した書を通算すると十一部、四十巻となる。
  • 『楚辞』とは屈原の作である。周室が衰乱してから詩人は沈黙し、へつらいの風が興って諷刺の言葉は廃れた。楚に賢臣屈原がおり、讒言を受けて放逐され、『離騒』八篇を著して、別離の愁いを述べ自らの心情を明かし、無実を自ら明らかにしつつ諷諫を込め、君主が覚醒することを願ったが、ついに顧みられず、汨羅に身を投げて死んだ。弟子の宋玉はその師を痛惜し、悲しんでこれに和した。その後、賈誼・東方朔・劉向・揚雄がその文彩を称え、これに倣って作をなした。屈原が楚の人であったことから「楚辞」と呼ばれる。その気品は高く麗しく、雅致は清遠で、後世の文人も及ばない。かつて漢の武帝は淮南王に命じてこれに章句を付けさせ、命じたその日の食事時までに奏上させたというが、その書は今は亡い。後漢の校書郎・王逸は屈原以下、劉向に至るまでの作を集め、自らも一篇を作り、序を付けて注釈し、今に伝わっている。隋代には釈道騫という僧がおり、これを巧みに読み、楚の発声で朗誦することに長け、音韻が清切であったため、今『楚辞』を伝える者はみな道騫公の音を祖としている。

別集

  • 楚の蘭陵令・荀況集一巻(一部欠損。梁本二巻)
  • 楚の大夫・宋玉集三巻
  • 漢武帝集一巻(梁本二巻)
  • 漢淮南王集一巻(梁本二巻)。あわせて賈誼集四巻、晁錯集三巻、漢の弘農都尉・枚乗集二巻・録各一巻があったが、亡失。
  • 漢の中書令・司馬遷集一巻
  • 漢の太中大夫・東方朔集二巻。梁代には漢の光禄大夫・吾丘寿王集二巻があったが、亡失。
  • 漢の孝文園令・司馬相如集一巻
  • 漢の膠西相・董仲舒集一巻(梁本二巻)。あわせて漢の太常・孔臧集二巻があったが、亡失。
  • 漢の騎都尉・李陵集二巻。梁代には漢の丞相・魏相集二巻・録一巻、左馮翊・張敞集一巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 漢の諫議大夫・王褒集五巻
  • 漢の諫議大夫・劉向集六巻。梁代には漢の射声校尉・陳湯集二巻、丞相・韋玄成集二巻があったが、亡失。
  • 漢の諫議大夫・谷永集二巻。梁代には涼州刺史・杜鄴集二巻、騎都尉・李尋集二巻があったが、亡失。
  • 漢の司空・師丹集一巻(梁本三巻、録一巻)
  • 漢の光禄大夫・息夫躬集一巻
  • 漢の太中大夫・揚雄集五巻
  • 漢の太中大夫・劉歆集五巻
  • 漢成帝の妃・班婕妤集一巻。梁代には班昭集三巻、王莽の建新大尹・崔篆集一巻、保成師友・唐林集一巻、中謁者・史岑集二巻、後漢の東平王・劉蒼集五巻、桓譚集五巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の司隷従事・馮衍集五巻
  • 後漢の徐令・班彪集二巻(梁本五巻)。あわせて司徒掾・陳元集一巻、王隆集二巻、雲陽令・硃勃集二巻、後漢の処士・梁鴻集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の車騎従事・杜篤集一巻
  • 後漢の車騎司馬・傅毅集二巻(梁本五巻)
  • 後漢の大将軍護軍司馬・班固集十七巻。梁代には魏郡太守・黄香集二巻があったが、亡失。
  • 後漢の長岑長・崔駰集十巻
  • 後漢の侍中・賈逵集一巻(梁本二巻)
  • 後漢の校書郎・劉騊駼集一巻(梁本二巻、録一巻)。あわせて楽安相・李尤集五巻、大鴻臚・竇章集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の済北相・崔瑗集六巻(梁本五巻)
  • 後漢・劉珍集二巻、録一巻
  • 後漢の河間相・張衡集十一巻(梁本十二巻、別本十四巻)。あわせて郎中・蘇順集二巻・録二巻、後漢の太傅・胡広集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の黄門郎・葛龔集六巻(梁本五巻、別本七巻)
  • 後漢の司空・李固集十二巻(梁本十巻)
  • 後漢の南郡太守・馬融集九巻。梁代には外黄令・高彪集二巻・録一巻、王逸集二巻・録一巻、司徒掾・桓麟集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の徴士・崔琦集一巻(梁本二巻)。あわせて酈炎集二巻・録二巻、陳相・辺韶集一巻・録一巻、益州刺史・硃穆集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の京兆尹・延篤集一巻(梁本二巻、録一巻)。あわせて司農卿・皇甫規集五巻、太常卿・張奐集二巻・録一巻、王延寿集三巻、五原太守・崔寔集二巻・録一巻、上計・趙台集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の諫議大夫・劉陶集三巻(梁本二巻、録一巻)。あわせて外黄令・張升集二巻・録一巻、侯瑾集二巻、盧植集二巻、議郎・廉品集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の司空・荀爽集一巻(梁本三巻、録一巻)
  • 後漢の野王令・劉梁集三巻(梁本三巻、録一巻)。あわせて鄭玄集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 後漢の左中郎将・蔡邕集十二巻(梁本二十巻、録一巻)。あわせて尚書令・士孫瑞集二巻があったが、亡失。
  • 後漢の太山太守・応劭集二巻(梁本四巻)。あわせて別部司馬・張超集五巻があったが、亡失。
  • 後漢の少府・孔融集九巻(梁本十巻、録一巻)
  • 後漢の侍御史・虞翻集二巻(梁本三巻、録一巻)
  • 後漢の討虜長史・張紘集一巻(梁本二巻、録一巻)。梁代には後漢の処士・禰衡集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 後漢の尚書右丞・潘勖集二巻。梁本には録一巻があったが、亡失。
  • 後漢の丞相倉曹属・阮瑀集五巻。梁本には録一巻があったが、亡失。
  • 魏の太子文学・徐幹集五巻。梁本には録一巻があったが、亡失。
  • 魏の太子文学・応瑒集一巻。梁本は五巻・録一巻だったが、亡失。
  • 後漢の丞相軍謀掾・陳琳集三巻(梁本十巻、録一巻)
  • 魏の太子文学・劉楨集四巻、録一巻
  • 後漢の丞相主簿・繁欽集十巻。梁本の録一巻は亡失。
  • 後漢の丞相主簿・楊修集一巻(梁本二巻、録一巻)
  • 後漢の侍中・王粲集十一巻。梁代には魏国の郎中令・路粋集二巻・録一巻、行御史大夫・袁渙集五巻・録一巻、魏国の奉常・王修集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 後漢の尚書・丁儀集一巻(梁本二巻、録一巻)
  • 後漢の黄門郎・丁暠集一巻(梁本二巻、録一巻)。梁代にはさらに婦人の著作として、後漢の黄門郎秦嘉の妻・徐淑集一巻、後漢の董祀の妻・蔡文姫集一巻、傅石甫の妻・孔氏集一巻があったが、いずれも亡失。
  • 魏武帝集二十六巻(梁本三十巻、録一巻)。梁代にはさらに『武皇帝逸集』十巻があったが、亡失。
  • 魏武帝集新撰十巻
  • 魏文帝集十巻(梁本二十三巻)
  • 魏明帝集七巻(梁本五巻、あるいは九巻、録一巻)。梁代にはさらに高貴郷公集四巻があったが、亡失。
  • 魏の陳思王・曹植集三十巻。梁代にはさらに司徒・華歆集二巻があったが、亡失。
  • 魏の司徒・王朗集三十四巻(梁本三十巻)。あわせて司空・陳群集五巻があったが、亡失。
  • 魏の給事中・邯鄲淳集二巻。梁本には録一巻があった。あわせて劉暠集二巻、侍中・呉質集五巻、新城太守・孟達集三巻、魏の徴士・管寧集三巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 魏の光禄勲・高堂隆集六巻(梁本十巻、録一巻)。あわせて光禄勲・劉邵集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 魏の散騎常侍・繆襲集五巻。梁本には録一巻があった。あわせて散騎常侍・王象集一巻、光禄大夫・韋誕集三巻・録一巻、散騎常侍・麋元集五巻、遊撃将軍・卞蘭集二巻・録一巻、顕陽侯・李康集二巻・録一巻、陳郡太守・孫該集二巻・録一巻、尚書・傅巽集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 魏の章武太守・殷褒集一巻(梁本二巻)
  • 魏の司空・王昶集五巻。梁本には録一巻があった。
  • 魏の衛将軍・王粛集五巻。梁本には録一巻があった。あわせて桓範集二巻、中領軍・曹羲集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 魏の尚書・何晏集十一巻(梁本十巻、録一巻)
  • 魏の衛尉卿・応璩集十巻。梁本には録一巻があった。あわせて王弼集五巻・録一巻、中書令・劉階集二巻、太常卿・傅嘏集二巻・録一巻、楽安太守・夏侯恵集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 魏の校書郎・杜摯集二巻。梁代には毌丘倹集二巻・録一巻、征東軍司馬・江奉集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 魏の太常・夏侯玄集三巻。梁代には車騎将軍・鍾毓集五巻・録一巻があったが、亡失。
  • 魏の歩兵校尉・阮籍集十巻(梁本十三巻、録一巻)
  • 魏の中散大夫・嵆康集十三巻(梁本十五巻、録一巻)。あわせて魏の徴士・呂安集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 魏の司徒・鍾会集九巻(梁本十巻、録一巻)
  • 魏の汝南太守・程暁集二巻(梁本には録一巻)
  • 蜀の丞相・諸葛亮集二十五巻(梁本二十四巻)。あわせて蜀の司徒・許靖集二巻・録一巻、征北将軍・夏侯覇集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 呉の輔義中郎将・張温集六巻。梁代には士燮集五巻があったが、亡失。
  • 呉の偏将軍・駱統集十巻。梁本には録一巻があった。あわせて太子少傅・薛綜集三巻・録一巻があったが、亡失。
  • 呉の選曹尚書・暨艶集二巻(梁本三巻、録一巻)。あわせて姚信集二巻・録一巻、謝承集四巻があったが、いずれも亡失。
  • 呉人・楊厚集二巻(梁本にはさらに録一巻があった)
  • 呉の丞相・陸凱集五巻。梁本には録一巻があった。
  • 呉の侍中・胡綜集二巻。梁本には録一巻があった。あわせて東観令・華核集五巻・録一巻があったが、亡失。
  • 呉の侍中・張儼集一巻(梁本二巻、録一巻)。あわせて韋昭集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 呉の中書令・紀騭集三巻。梁本には録一巻があった。あわせて陸景集一巻があったが、亡失。
  • 晋宣帝集五巻。梁本には録一巻があった。
  • 晋文帝集三巻
  • 斉王・司馬攸集二巻(梁本三巻)
  • 晋・王沈集五巻。梁代には鄭褒集二巻があったが、亡失。
  • 晋の宗正・嵆喜集一巻(一部欠損。梁本二巻、録一巻)
  • 晋の散騎常侍・応貞集一巻(梁本五巻)
  • 晋の司隷校尉・傅玄集十五巻(梁本は五十巻・録一巻だったが、亡失)
  • 晋の著作郎・成公綏集九巻(一部欠損。梁本十巻)。あわせて裴秀集三巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の金紫光禄大夫・何禎集一巻(梁本五巻)。あわせて袁准集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の少傅・山濤集九巻(梁本五巻・録一巻、別本十巻。斉の奉朝請・裴津注)。あわせて梁代には向秀集二巻・録一巻、平原太守・阮種集二巻・録一巻、阮侃集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の太傅・羊祜集一巻(一部欠損。梁本二巻、録一巻)。あわせて蔡玄通集五巻、太宰・賈充集五巻・録一巻、荀勗集三巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の征南将軍・杜預集十八巻
  • 晋の輔国将軍・王濬集一巻(一部欠損。梁本二巻、録一巻)
  • 晋の徴士・皇甫謐集二巻、録一巻
  • 晋の侍中・程咸集三巻。梁代には光禄大夫・劉毅集二巻・録一巻、晋の侍中・庾峻集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の巴西太守・郤正集一巻
  • 晋の散騎常侍・薛瑩集三巻。梁代にはさらに散騎常侍・陶濬集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の通事郎・江偉集六巻。梁代には宣舒集五巻、散騎常侍・曹志集二巻・録一巻、鄒湛集三巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の汝南太守・孫毓集六巻
  • 晋の処士・楊泉集二巻、録一巻。梁代には司徒・王渾集五巻、黄州刺史・王深集五巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の徴士・閔鴻集三巻。梁代には光禄大夫・裴楷集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の司空・張華集十巻、録一巻
  • 晋の尚書僕射・裴頠集九巻。梁代には太子中庶子・許孟集三巻・録一巻、太宰・何劭集二巻・録一巻、光禄大夫・劉頌集三巻・録一巻、劉寔集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の散騎常侍・王佑集三巻、録一巻。梁代には晋の驃騎将軍・王済集二巻があったが、亡失。
  • 華嶠集八巻(梁本二巻)
  • 晋の秘書丞・司馬彪集四巻(梁本三巻、録一巻)。あわせて尚書・庾儵集二巻・録一巻、国子祭酒・謝衡集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の漢中太守・李虔集一巻(梁本二巻、録一巻)
  • 晋の司隷校尉・傅咸集十七巻(梁本三十巻、録一巻)。あわせて太子中庶子・棗拠集二巻・録一巻、劉宝集三巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の馮翊太守・孫楚集六巻(梁本十二巻、録一巻)
  • 晋の散騎常侍・夏侯湛集十巻。梁本には録一巻があった。あわせて弋陽太守・夏侯淳集二巻、散騎侍郎・王賛集五巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の衛尉卿・石崇集六巻。梁本には録一巻があった。
  • 晋の尚書郎・張敏集二巻(梁本五巻)。あわせて黄門郎・伏偉集一巻があったが、亡失。
  • 晋の黄門郎・潘岳集十巻
  • 晋の太常卿・潘尼集十巻
  • 晋の頓丘太守・欧陽建集二巻。梁代には宗正・劉許集二巻・録一巻、散騎常侍・李重集二巻、光禄大夫・楽広集二巻・録一巻、阮渾集三巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の侍中・嵆紹集二巻、録一巻。梁代には銭唐令・楊建集九巻、長沙相・盛彦集五巻、左長史・楊乂集三巻・録一巻があった。
  • 晋の尚書・盧播集一巻(梁本二巻、録一巻)。あわせて欒肇集五巻・録一巻、南中郎長史・応亨集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の国子祭酒・杜育集二巻
  • 晋の太常卿・摯虞集九巻(梁本十巻、録一巻)。あわせて秘書監・繆徴集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の斉王府記室・左思集二巻。梁本は五巻・録一巻。あわせて晋の豫章太守・夏靖集二巻・録一巻、呉王文学・鄭豊集二巻・録一巻、大司馬東曹掾・張翰集二巻・録一巻、清河王文学・陳略集二巻・録一巻、揚州従事・陸沖集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の平原内史・陸機集十四巻(梁本は四十七巻・録一巻だったが、亡失)
  • 晋の清河太守・陸雲集十二巻(梁本十巻、録一巻)。あわせて少府丞・孫極集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の中書郎・張載集七巻(梁の別本は二巻・録一巻)
  • 晋の黄門郎・張協集三巻(梁本四巻、録一巻)
  • 晋の著作郎・束皙集七巻(梁本五巻、録一巻)。あわせて征南司馬・曹攄集三巻・録一巻、散騎常侍・江統集十巻・録一巻、著作郎・胡済集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の中書令・卞粋集一巻(梁本五巻)。あわせて光禄勲・閭丘沖集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の太傅従事中郎・庾敳集一巻(梁本五巻、録一巻)。あわせて太子中舎人・阮瞻集二巻・録一巻、太子洗馬・阮修集二巻・録一巻、広威将軍・裴邈集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の太傅主簿・郭象集二巻(梁本五巻、録一巻)。あわせて広州刺史・嵆含集十巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の安豊太守・孫恵集八巻(梁本十一巻、録一巻)。あわせて松滋令・蔡洪集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の平北将軍・牽秀集四巻(梁本三巻、録一巻)。あわせて車騎従事中郎・蔡克集二巻・録一巻、遊撃将軍・索靖集三巻、隴西太守・閻纂集二巻・録一巻、秦州刺史・張輔集二巻・録一巻、交趾太守・殷巨集二巻・録一巻、太子洗馬・陶佐集五巻・録一巻、東晋の鄱陽太守・虞溥集二巻・録一巻、益陽令・呉商集五巻、仲長敖集二巻、晋の太常卿・劉弘集三巻・録一巻、開府・山簡集二巻・録一巻、兗州刺史・宗岱集二巻、侍中・王峻集二巻・録一巻、済陽内史・王曠集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の散騎常侍・棗嵩集一巻(梁本二巻、録一巻)。あわせて襄陽太守・棗腆集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の太尉・劉琨集九巻(梁本十巻)
  • 劉琨別集十二巻
  • 晋の司空従事中郎・盧諶集十巻。梁本には録一巻があった。
  • 晋の秘書丞・傅暢集五巻。梁本には録一巻があった。あわせて晋明帝集五巻・録一巻、簡文帝集五巻・録一巻、孝武帝集二巻・録一巻、彭城王・司馬褷集二巻、譙烈王集九巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の会稽王・司馬道子集八巻(梁本九巻)。あわせて鎮東従事中郎・傅毅集五巻があったが、亡失。
  • 晋の衡陽内史・曾瑰集三巻(梁本四巻、録一巻)。あわせて驃騎将軍・顧栄集五巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の司空・賀循集十八巻(梁本二十巻、録一巻)。あわせて散騎常侍・張亢集二巻・録一巻、車騎長史・賈彬集三巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の光禄大夫・衛展集十二巻(梁本十五巻)。あわせて東晋の太尉・荀組集三巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の秘書郎・張委集九巻(梁本五巻)。あわせて関内侯・傅瑉集一巻、光禄大夫・周顗集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の太常・謝鯤集六巻(梁本二巻)
  • 晋の驃騎将軍・王暠集十巻(梁本三十四巻、録一巻)。あわせて華譚集二巻があったが、亡失。
  • 晋の御史中丞・熊遠集十二巻(梁本五巻、録一巻)。あわせて湘州秀才・谷倹集一巻、大鴻臚・周嵩集三巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の弘農太守・郭璞集十七巻(梁本十巻、録一巻)
  • 晋・張駿集八巻(一部欠損)
  • 晋の大将軍・王敦集十巻。梁代には呉興太守・沈充集三巻、散騎常侍・傅純集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の光禄大夫・梅陶集九巻(梁本二十巻、録一巻)。あわせて金紫光禄大夫・荀邃集二巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の散騎常侍・王鑒集九巻(梁本五巻)。あわせて晋の著作佐郎・王濤集五巻、廷尉卿・阮放集十巻・録一巻、宗正卿・張悛集五巻・録一巻、汝南太守・応碩集二巻、金紫光禄大夫・張闓集二巻・録一巻、揚州従事・陸沈集二巻・録一巻、驃騎将軍・卞珣集二巻・録一巻、光禄勲・鍾雅集一巻、衛尉卿・劉超集二巻、衛将軍・戴邈集五巻・録一巻、光禄大夫・荀崧集一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の大将軍・温嶠集十巻(梁本には録一巻)
  • 晋の侍中・孔坦集十七巻(梁本五巻、録一巻)。あわせて臧沖集一巻、晋の鎮南大将軍・応詹集五巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の太僕卿・王嶠集八巻。梁代には衛尉・荀愷集一巻、鎮北将軍・劉隗集二巻、大司馬・陶侃集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の丞相・王導集十一巻(梁本十巻、録一巻)
  • 晋の太尉・郗鑒集十巻、録一巻
  • 晋の太尉・庾亮集二十一巻(梁本二十巻、録一巻)。あわせて虞預集十巻・録一巻、平越司馬・黄整集十巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の護軍長史・庾堅集十三巻(梁本十巻、録一巻)
  • 晋の司空・庾冰集七巻(梁本二十巻、録一巻)
  • 晋の給事中・庾闡集九巻(梁本十巻、録一巻)
  • 晋の著作郎・王隠集十巻(梁本二十巻、録一巻)
  • 晋の散騎常侍・幹宝集四巻(梁本五巻)
  • 晋の太常卿・殷融集十巻。梁代には衛尉・張虞集十巻、光禄大夫・諸葛恢集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の車騎将軍・庾翼集二十二巻(梁本二十巻、録一巻)
  • 晋の司空・何充集四巻(梁本五巻)。あわせて御史中丞・郝黙集五巻、征西諮議・甄述集十二巻、武昌太守・徐彦則集十巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の散騎常侍・王愆期集七巻(梁本十巻、録一巻)。あわせて司徒左長史・王濛集五巻、丹陽尹・劉惔集二巻・録一巻、益州刺史・袁喬集七巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の尚書令・顧和集五巻。梁本には録一巻があった。あわせて尚書僕射・劉遐集五巻、徴士・江惇集三巻・録一巻、魏興太守・荀述集一巻、平南将軍・賀翹集五巻、李軌集八巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋・李充集二十二巻(梁本十五巻、録一巻)
  • 晋の司徒・蔡謨集十七巻(梁本四十三巻)
  • 晋の揚州刺史・殷浩集四巻(梁本五巻、録一巻)。あわせて呉興孝廉・鈕滔集五巻・録一巻、宣城内史・劉系之集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 庾赤玉集四巻
  • 晋の尋陽太守・庾統集八巻。梁代には驃騎司馬・王修集二巻・録一巻、衛将軍・謝尚集十巻・録一巻、青州刺史・王浹集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の西中郎将・王胡之集十巻(梁本五巻、録一巻)
  • 晋の中書令・王洽集五巻、録一巻。梁代には宜春令・範保集七巻、徴士・范宣集十巻・録一巻、建安太守・丁纂集四巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の金紫光禄大夫・王羲之集九巻(梁本十巻、録一巻)
  • 晋の散騎常侍・謝万集十六巻(梁本十巻)
  • 晋の司徒長史・張憑集五巻。梁本には録一巻があった。梁代には高涼太守・楊方集二巻があったが、亡失。
  • 晋の徴士・許詢集三巻(梁本八巻、録一巻)
  • 晋の征西将軍・張望集十巻(梁本十二巻、録一巻)
  • 晋の余姚令・孫統集二巻(梁本九巻、録一巻)。あわせて晋陵令・戴元集三巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の衛尉卿・孫綽集十五巻(梁本二十五巻)
  • 晋の太常・江逌集九巻。梁代には謝沈集十巻があったが、亡失。
  • 晋・李顒集十巻、録一巻
  • 晋の光禄勲・曹毗集十巻(梁本十五巻、録一巻)。あわせて郡主簿・王篾集五巻があったが、亡失。
  • 晋の沙門・支遁集八巻(梁本十三巻)。あわせて劉彧集十六巻があったが、亡失。
  • 張重華(前涼)の酒泉太守・謝艾集七巻(梁本八巻)。あわせて撫軍長史・蔡系集二巻、護軍将軍・江䒢集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋・范汪集一巻(梁本十巻)
  • 晋の尚書僕射・王述集八巻。梁代にはさらに王度集五巻・録一巻、中領軍・庾龢集二巻・録一巻、将作大匠・喻希集一巻、呉興太守・孔厳集十一巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の大司馬・桓温集十一巻。梁本は四十三巻。あわせて『桓温要集』二十巻・録一巻、豫章太守・車灌集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の尚書僕射・王坦之集七巻(梁本は五巻・録一巻だったが、亡失)
  • 晋の左光禄・王彪之集二十巻。梁本には録一巻があった。
  • 晋の中書郎・郤超集九巻(梁本十巻)。あわせて南中郎・桓嗣集五巻、平固令・邵毅集五巻・録一巻、太学博士・滕輔集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の苻堅の丞相・王猛集九巻、録一巻。梁代には顧夷集五巻、散騎常侍・鄭襲集四巻、撫軍掾・劉暢集一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の太常卿・韓康伯集十六巻。梁代には黄門郎・範啓集四巻、豫章太守・王恪集十巻、零陵太守・陶混集七巻、海塩令・祖撫集三巻、呉興太守・殷康集五巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の太傅・謝安集十巻(梁本十巻、録一巻)。あわせて中軍参軍・孫嗣集三巻・録一巻、司徒左長史・劉袞集三巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の御史中丞・孔欣時集八巻(梁本七巻)
  • 晋・伏滔集十一巻、目録共(梁本五巻、録一巻)
  • 晋の滎陽太守・習鑿歯集五巻
  • 晋の秘書監・孫盛集五巻(一部欠損。梁本十巻、録一巻)
  • 晋の東陽太守・袁宏集十五巻(梁本二十巻、録一巻)。あわせて晋の黄門郎・顧淳集一巻、尋陽太守・熊鳴鵠集十巻、車騎司馬・謝韶集三巻、金紫光禄大夫・王献之集十巻・録一巻、琅邪内史・袁質集二巻・録一巻、太宰従事中郎・袁邵集五巻・録一巻、車騎長史・謝朗集六巻・録一巻、車騎将軍・謝頠集十巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の新安太守・郤愔集四巻(一部欠損。梁本五巻)。あわせて呉郡功曹・陸法之集十九巻があったが、亡失。
  • 晋の太常卿・王瑉集十巻(梁本には録一巻)
  • 晋の中散大夫・羅含集三巻。梁代には太宰長史・庾蒨集二巻、大司馬参軍・庾悠之集三巻、司徒右長史・庾凱集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の国子博士・孫放集一巻(一部欠損。梁本十巻)
  • 晋の聘士・殷叔献集四巻、目録共(梁本三巻、録一巻)
  • 晋の湘東太守・庾粛之集十巻、録一巻。梁代には晋の北中郎参軍・蘇彦集十巻、太子左率・王粛之集三巻・録一巻、黄門郎・王徽之集八巻、徴士・謝敷集五巻・録一巻、太常卿・孔汪集十巻、陳統集七巻、太常・王愷集十五巻、右将軍・王忱集五巻・録一巻、太常・殷允集十巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の徴士・戴逵集九巻(一部欠損。梁本十巻、録一巻)。あわせて晋の光禄大夫・孫褵集十巻、尚書左丞・徐禅集六巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の太子前率・徐邈集九巻、目録共(梁本二十巻、録一巻)
  • 晋の給事中・徐乾集二十一巻、目録共(梁本二十巻、録一巻)。あわせて晋の冠軍将軍・張玄之集五巻・録一巻、員外常侍・荀世之集八巻、袁山松集十巻、黄門郎・魏逖之集五巻、驃騎参軍・卞湛集五巻、金紫光禄大夫・褚爽集十六巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の豫章太守・范甯集十六巻。梁代には晋の余杭令・範弘之集六巻があったが、亡失。
  • 晋の司徒・王絢集十一巻、目録共(梁本は十巻・録一巻だったが、亡失)
  • 晋の処士・薄蕭之集九巻(梁本十巻)。あわせて晋の安北参軍・薄要集九巻、薄邕集七巻、延陵令・唐邁之集十一巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋・孫恩集五巻。梁代には晋の殿中将軍・傅綽集十五巻、驍騎将軍・弘戎集十六巻、御史中丞・魏叔斉集十五巻、司徒右長史・劉寧之集五巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の臨海太守・辛徳遠集五巻(梁本四巻)。あわせて晋の車騎参軍・何瑾之集十一巻、太保・王恭集五巻・録一巻、殷覬集十巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の荊州刺史・殷仲堪集十二巻、目録共(梁本は十巻・録一巻だったが、亡失)
  • 晋の驃騎長史・謝景重集一巻
  • 晋・桓玄集二十巻。梁代には晋の丹陽尹・卞範之集五巻・録一巻、光禄勲・卞承之集十巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の東陽太守・殷仲文集七巻(梁本五巻)
  • 晋の司徒・王謐集十巻、録一巻。梁代には晋の光禄大夫・伏系之集十巻・録一巻があったが、亡失。
  • 晋の右軍参軍・孔璠集二巻
  • 晋の衛軍諮議・湛方生集十巻、録一巻
  • 晋の光禄大夫・祖台之集十六巻(梁本二十巻)
  • 晋の通直常侍・顧愷之集七巻(梁本二十巻)
  • 晋の太常卿・劉瑾集九巻(梁本五巻)
  • 晋の左僕射・謝混集三巻(梁本五巻)
  • 晋の秘書監・滕演集十巻、録一巻
  • 晋の司徒長史・王誕集二巻。梁代には晋の太尉諮議・劉簡之集十巻があったが、亡失。
  • 晋の丹陽太守・袁豹集八巻(梁本十巻、録一巻)。あわせて晋の廬江太守・殷遵集五巻・録一巻、興平令・荀軌集五巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の西中郎長史・羊徽集九巻(梁本十巻、録一巻)
  • 晋の国子博士・周祗集十一巻(梁本二十巻、録一巻)。あわせて晋の相国主簿・殷闡集十巻・録一巻、太常・傅迪集十巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の始安太守・卞裕集十三巻(梁本十五巻)。あわせて晋・韋公藝集六巻があったが、亡失。
  • 晋・毛伯成集一巻
  • 晋の沙門・支曇諦集六巻
  • 晋の沙門・釈恵遠集十二巻
  • 姚萇(後秦)の沙門・釈僧肇集一巻
  • 晋・王茂略集四巻
  • 晋・曹毗集四巻(重出)
  • 晋・宗欽集二巻。梁代には晋の中軍功曹・殷曠之集五巻、太学博士・魏説集十三巻、征西主簿・丘道護集五巻・録一巻、柴桑令・劉遺民集五巻・録一巻、郭澄之集十巻、徴士・周続之集一巻、孔瞻集九巻があったが、いずれも亡失。
  • 晋の江州刺史王凝之の妻・謝道韞集二巻。梁代には婦人の著作として、晋の司徒王渾の妻・鍾夫人集五巻、晋武帝の左九嬪集四巻、晋の太宰賈充の妻・李扶集一巻、晋の武平都尉陶融の妻・陳窈集一巻、晋の都水使者の妻・陳玢集五巻、晋の海西令劉臻の妻・陳参集七巻、晋の劉柔の妻・王邵之集十巻、晋の散騎常侍傅伉の妻・辛蕭集一巻、晋の松陽令鈕滔の母・孫瓊集二巻、晋の成公道賢の妻・龐馥集一巻、晋の宣城太守何殷の妻・徐氏集一巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋武帝集十二巻(梁本二十巻、録一巻)
  • 宋文帝集七巻(梁本は十巻だったが、亡失)
  • 宋孝武帝集二十五巻(梁本三十一巻、録一巻)。あわせて宋の廃帝景和集十巻・録一巻、明帝集三十三巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の長沙王・劉道憐集十巻、録一巻。梁代には宋の臨川王・劉道規集四巻・録一巻があったが、亡失。
  • 宋の臨川王・劉義慶集八巻
  • 宋の江夏王・劉義恭集十一巻(梁本十五巻、録一巻)。あわせて江夏王集の別本十五巻、宋の衡陽王・劉義季集十巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の南平王・劉鑠集五巻。梁代には宋の竟陵王・劉誕集二十巻、建平王・劉休度集十巻、新渝惠侯・劉義宗集十二巻、散騎常侍・祖柔之集二十巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の豫章太守・謝瞻集三巻。梁代には宋の征虜将軍・沈林子集七巻があったが、亡失。
  • 宋の太常卿・孔琳之集九巻、目録共(梁本十巻、録一巻)
  • 宋・王叔之集七巻(梁本十巻、録一巻)
  • 宋の太中大夫・徐広集十五巻、録一巻
  • 宋の秘書監・盧繁集一巻(一部欠損。梁本十巻、録一巻)
  • 宋の侍中・孔寧子集十一巻、目録共(梁本十五巻、録一巻)
  • 宋の建安太守・卞瑾集十巻(梁本十巻)
  • 宋の太常卿・蔡廓集九巻、目録共(梁本十巻、録一巻)。あわせて宋・王韶之集二十四巻があったが、亡失。
  • 宋の尚書令・傅亮集三十一巻(梁本二十巻、録一巻)。あわせて宋の征南長史・孫康集十巻、左軍長史・范述集三巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の太常卿・鄭鮮之集十三巻(梁本二十巻、録一巻)
  • 宋の徴士・陶潜集九巻(梁本五巻、録一巻)。あわせて張野集十巻、宋の零陵令・陶階集八巻、東莞太守・張元瑾集八巻、光禄大夫・王曇首集二巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の太常卿・范泰集十九巻(梁本二十巻、録一巻)
  • 宋の中書郎・荀昶集十四巻(梁本十五巻、録一巻)。あわせて卞伯玉集五巻・録一巻、中散大夫・羊欣集七巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の司徒・王弘集一巻(梁本二十巻、録一巻)。あわせて宋の金紫光禄大夫・沈演集十巻、広平太守・范凱集八巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の沙門・釈恵琳集五巻(梁本九巻、録一巻)。あわせて宋・範晏集十四巻があったが、亡失。
  • 宋の司徒府参軍・謝恵連集六巻(梁本五巻、録一巻)。あわせて宋の太常・謝弘微集二巻があったが、亡失。
  • 宋の臨川内史・謝霊運集十九巻(梁本二十巻、録一巻)
  • 宋の給事中・丘深之集七巻(梁本十五巻)。あわせて義成太守・祖屳之集五巻、荊州西曹・孫韶集十巻、殷淳集二巻、揚州刺史・殷景仁集九巻、国子博士・姚濤之集二十巻・録一巻、周祋集十一巻があったが、いずれも亡失。
  • 殷闡之集一巻
  • 宋の徴士・宗景集十六巻(梁本十五巻)
  • 宋の徴士・雷次宗集十六巻(梁本二十九巻、録一巻)
  • 宋の奉朝請・伍緝之集十二巻。梁代には宋の南蛮主簿・衛令元集八巻、范曄集十五巻・録一巻、撫軍諮議・範広集一巻、右光禄大夫・王敬弘集五巻・録一巻、任豫集六巻があった。
  • 宋の御史中丞・何承天集二十巻(梁本は三十二巻だったが、亡失)
  • 宋の太中大夫・裴松之集十三巻(梁本二十一巻)。あわせて王韶之集十九巻、宋の光禄大夫・江湛集四巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の太尉・袁淑集十一巻、目録共(梁本十巻、録一巻)
  • 宋の秘書監・王微集十巻。梁本には録一巻があった。あわせて宋の太子舎人・王僧謙集二巻、金紫光禄大夫・王僧綽集一巻、征北行参軍・顧邁集二十巻、魚複令・陳超之集十巻、平南将軍・何長瑜集八巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の員外郎・荀雍集二巻(梁本四巻)。あわせて宋の国子博士・范演集八巻、銭唐令・顧昱集六巻、臨成令・韓浚之集八巻、南陽太守・沈亮之集七巻、国子博士・孔欣集九巻、臨海太守・江玄叔集四巻、尚書郎・劉馥集十一巻、太子中舎人・張演集八巻、南昌令・蔡眇之集三巻、太学博士・顧雅集十三巻、巴東太守・孫仲之集十一巻、太尉諮議参軍・謝元集一巻、南海太守・陸展集九巻、棘陽令・山謙之集十二巻、広州刺史・羊希集九巻、員外常侍・周始之集十一巻、主客郎・羊崇集六巻、太子舎人・孔景亮集三巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の中書郎・袁伯文集十一巻、目録共。梁代には宋の丞相諮議・蔡超集七巻があったが、亡失。
  • 宋の東中郎長史・孫緬集八巻、目録共(梁本十一巻)。あわせて宋・賀道養集十巻、太子洗馬・謝登集六巻、新安太守・張鏡集十巻、兼中書舎人・褚詮之集八巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の特進・顔延之集二十五巻(梁本三十巻)。あわせて『顔延之逸集』一巻があったが、亡失。
  • 宋の東揚州刺史・顔竣集十四巻、目録共
  • 宋の大司馬録事・顔測集十一巻、目録共
  • 宋の護軍将軍・王僧達集十巻。梁本には録一巻があった。あわせて国子博士・羊戎集十巻、江甯令・蘇宝生集四巻、兗州別駕・範義集十二巻、呉興太守・劉瑀集七巻、本郡孝廉・劉氏集九巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の会稽太守・張暢集十二巻(一部欠損。梁本十四巻、録一巻)。あわせて宋の司空・何尚之集十巻があったが、亡失。
  • 宋の吏部尚書・何偃集十九巻(梁本十六巻)。あわせて廬江太守・周朗集八巻があったが、亡失。
  • 宋の侍中・沈懐文集十二巻(一部欠損。梁本十六巻)
  • 宋の北中郎長史・江智深集九巻、目一巻
  • 宋の太子中庶子・殷琰集七巻。梁代にはさらに宋の武陵太守・袁凱集八巻、荀欽明集六巻、安北参軍・王詢之集五巻、越騎校尉・戴法興集四巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の黄門郎・虞通之集十五巻(梁本二十巻)
  • 宋の司徒左長史・沈勃集十五巻(梁本二十巻)
  • 宋の金紫光禄大夫・謝荘集十九巻(梁本十五巻)。あわせて宋の金紫光禄大夫・謝協集三巻、三巴校尉・張悦集十一巻、揚州従事・賀頠集十一巻、領軍長史・孔邁之集八巻、撫軍参軍・賀弼集十六巻、本州秀才・劉遂集二巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の建平王・劉景素集十巻
  • 宋の征虜記室参軍・鮑照集十巻(梁本六巻)。あわせて宋の武康令・沈懐遠集十九巻、裴駰集六巻、刪定郎・劉鯤集五巻、宜都太守・費修集十巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の太中大夫・徐爰集六巻(梁本十巻)。あわせて宋の護軍司馬・孫勃集六巻、右光禄大夫・張永集十巻、陽羨令・趙繹集十六巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋・庾蔚之集十六巻(梁本二十巻)。あわせて太子中舎人(召されて出仕せず)・王素集十六巻があったが、亡失。
  • 宋の豫章太守・劉愔集八巻(梁本十巻)。あわせて宋の起部・費鏡運集二十巻、光禄大夫・孫夐集十一巻、太尉従事中郎・蔡頤集三巻、司空・劉勔集二十巻・録一巻、青州刺史・明僧暠集十巻、呉興太守・蕭恵開集七巻、沈宗之集十巻、大司農・張辯集十六巻、金紫光禄大夫・王瓚集十五巻・録一巻、郭坦之集五巻、会稽主簿・辛湛之集八巻、太子舎人・硃百年集二巻、東海王常侍・鮑徳遠集六巻、会稽郡丞・張緩集六巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の甯国令・劉薈集七巻
  • 宋の江州従事・呉邁遠集一巻(一部欠損。梁本は八巻だったが、亡失)
  • 宋の宛朐令・湯恵休集三巻(梁本四巻)。あわせて南海太守・孫奉伯集十巻、右将軍・成元範集十巻、奉朝請・虞喜集十一巻、延陵令・唐思賢集十五巻、戴凱之集六巻があったが、いずれも亡失。
  • 宋の司徒・袁粲集十一巻、目録共(梁本九巻)。あわせて婦人の著作として牽氏集一巻、宋の後宮司儀・韓蘭英集四巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉文帝集一巻(一部欠損。梁本十一巻)。あわせて斉の晋安王・蕭子懋集四巻・録一巻、随王・蕭子隆集七巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の竟陵王・蕭子良集四十巻。梁代にはさらに斉の聞喜公・蕭遙欣集十一巻、領軍諮議・劉祥集十巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の太宰・褚彦回集十五巻。梁代にはさらに斉の黄門侍郎・崔祖思集二十巻、中軍佐・鍾蹈集十二巻、余杭令・丘巨源集十巻・録一巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の太尉・王倹集五十一巻(梁本六十巻)。あわせて斉の東海太守・謝顥集十六巻、謝瀹集十巻、豫州刺史・劉善明集十巻、侍中・褚賁集十二巻、徴士・劉虯集二十四巻、司徒主簿(召されて出仕せず)・庾易集十巻、顧歓集三十巻、劉瓛集三十巻、射声校尉・劉璡集三巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の中書郎・周顒集八巻(梁本十六巻)。あわせて斉の左侍郎・鮑鴻集二十巻・録一巻、雍州秀才・韋瞻集十巻、正員郎・劉懐慰集十巻・録一巻、永嘉太守・江山図集十巻、驃騎記室参軍・荀憲集十一巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の前軍参軍・虞羲集九巻(一部欠損。梁本十一巻)。あわせて平陽令・韋沈集十巻、車騎参軍・任文集十一巻、卞鑠集十六巻、婁幼瑜集六十六巻、長水校尉・祖沖之集五十一巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の中書郎・王融集十巻
  • 斉の吏部郎・謝朓集十二巻
  • 『謝朓逸集』一巻。梁代にはさらに王巾集十一巻があったが、亡失。
  • 斉の司徒左長史・張融集二十七巻(梁本十巻)。あわせて張融の『玉海集』十巻・『大澤集』十巻・『金波集』六十巻、斉の羽林監・庾韶集十巻、黄門郎・王僧佑集十巻、太常卿・劉悛集二十巻・録一巻、秘書・王寂集五巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の金紫光禄大夫・孔稚珪集十巻
  • 斉の後軍法曹参軍・陸厥集八巻(梁本十巻)
  • 斉の太尉・徐孝嗣集十巻(梁本七巻)。あわせて侍中・劉暄集十一巻、通直常侍・裴昭明集九巻、虞炎集七巻、吏部郎・劉瑱集十巻、梁国従事中郎・劉絵集十巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の侍中・袁彖集五巻、録共
  • 斉の中書郎・江奐集九巻、録共
  • 斉の平西諮議・宗躬集十三巻
  • 斉の太子舎人・沈驎士集六巻
  • 梁武帝集二十六巻(梁の目録では三十二巻)
  • 梁武帝詩賦集二十巻
  • 梁武帝雑文集九巻
  • 梁武帝別集目録二巻
  • 梁武帝浄業賦三巻
  • 梁簡文帝集八十五巻(陸罩撰、録共)
  • 梁元帝集五十二巻
  • 梁元帝小集十巻
  • 梁の昭明太子集二十巻。梁代には梁の安成王集三十巻があったが、亡失。
  • 梁の岳陽王・蕭詧集十巻
  • 梁王・蕭巋集十巻
  • 梁の邵陵王・蕭綸集六巻
  • 梁の武陵王・蕭紀集八巻
  • 梁・蕭琮集七巻。梁代にはさらに安成煬王集五巻があったが、亡失。
  • 梁の司徒諮議・宗夬集九巻、録共
  • 梁の国子博士・丘遅集十巻、録共(梁本十五巻)。あわせて謝朏集十五巻があったが、亡失。
  • 梁の金紫光禄大夫・江淹集九巻(梁本二十巻)
  • 江淹後集十巻
  • 梁の尚書僕射・範雲集十一巻、録共
  • 梁の太常卿・任昉集三十四巻。梁代には晋安太守・謝纂集十巻、撫軍将軍・柳惔集二十巻、中護軍・柳惲集十二巻、豫州刺史・柳憕集六巻、尚書令・柳忱集十三巻、義興郡丞・何僴集三巻、撫軍中兵参軍・韋温集十巻、鎮西録事参軍・到洽集十一巻、太子洗馬・劉苞集十巻、南徐州秀才・諸葛璩集十巻があったが、いずれも亡失。
  • 梁の特進・沈約集一百一巻、録共。梁代にはさらに謝綽集十一巻があったが、亡失。
  • 梁の中軍府諮議・王僧孺集三十巻
  • 梁の尚書左丞・範縝集十一巻
  • 梁の護軍将軍・周舎集二十巻。梁代には秘書・張熾の『金河集』六十巻、劉敲集八巻、玄貞処士・劉訏集一巻があったが、いずれも亡失。
  • 梁・蕭洽集二巻
  • 梁の隠居先生・陶弘景集三十巻
  • 陶弘景内集十五巻
  • 梁の徴士・魏道微集三巻
  • 梁の黄門郎・張率集三十八巻
  • 梁の南徐州治中・王冏集三巻
  • 梁の都官尚書・江革集六巻
  • 梁の奉朝請・呉均集二十巻
  • 梁の光禄大夫・庾曇隆集十巻、録共
  • 梁の儀同三司・徐勉前集三十五巻
  • 徐勉後集十六巻、序録共
  • 梁の吏部郎・王錫集七巻、録共
  • 梁の尚書左僕射・王暕集二十一巻
  • 梁の平西刑獄参軍・劉孝標集六巻
  • 梁の鴻臚卿・裴子野集十四巻
  • 梁の仁威府長史・司馬褧集九巻
  • 梁・蕭子暉集九巻
  • 梁の始興内史・蕭子範集十三巻
  • 梁の建陽令・江洪集二巻
  • 梁の鎮西府記室・鮑畿集八巻
  • 梁の尚書祠部郎・虞㬭集十巻
  • 梁の新田令・費昶集三巻
  • 梁・蕭幾集二巻
  • 梁の東陽郡丞・謝瑱集八巻
  • 梁の通直郎・謝琛集五巻
  • 梁の仁威記室・何遜集七巻。梁代には安西記室・劉緩集四巻、沙門釈智蔵集五巻があったが、いずれも亡失。
  • 梁の太常卿・陸倕集十四巻
  • 梁の廷尉卿・劉孝綽集十四巻
  • 梁の都官尚書・劉孝儀集二十巻
  • 梁の太子庶子・劉孝威集十巻
  • 梁の東陽太守・王揖集五巻
  • 梁の黄門郎・陸雲公集十巻
  • 梁の国子祭酒・蕭子雲集十九巻
  • 梁の征西府長史・楊眺集十一巻、録共
  • 梁の太子洗馬・王筠集十一巻、録共
  • 王筠『中書集』十一巻、録共
  • 王筠『臨海集』十一巻、録共
  • 王筠『左佐集』十一巻、録共
  • 王筠『尚書集』九巻、録共
  • 梁の西昌侯・蕭深藻集四巻、録共
  • 梁の中書郎・任孝恭集十巻
  • 梁の平北府長史・鮑泉集一巻
  • 梁の雍州刺史・張纉集十一巻、録共
  • 梁の尚書僕射・張綰集十一巻、録共
  • 梁の度支尚書・庾肩吾集十巻
  • 梁の太常卿・劉之遴前集十一巻
  • 劉之遴後集二十一巻
  • 梁の豫章世子侍読・謝鬱集五巻
  • 梁の安成蕃王・蕭欣集十巻
  • 梁の中書舎人・硃超集一巻
  • 梁の護軍将軍・甄玄成集十巻、録共
  • 梁の散騎常侍・沈君遊集十三巻
  • 梁の臨安恭公主集三巻(武帝の娘)
  • 梁の征西記室范靖の妻・沈満願集三巻
  • 梁の太子洗馬徐悱の妻・劉令嫻集三巻
  • 後魏孝文帝集三十九巻
  • 後魏の司空・高允集二十一巻
  • 後魏の司農卿・李諧集十巻
  • 後魏の太常卿・盧元明集十七巻
  • 後魏の司空祭酒・袁躍集十三巻
  • 後魏の著作佐郎・韓顕宗集十巻
  • 後魏の散騎常侍・温子昇集三十九巻
  • 後魏の太常卿・陽固集三巻
  • 北斉の特進・邢子才集三十一巻
  • 北斉の尚書僕射・魏収集六十八巻
  • 北斉の儀同・劉逖集二十六巻
  • 後周の明帝集九巻
  • 後周の趙王集八巻
  • 後周の滕簡王集八巻
  • 後周の儀同・宗懍集十二巻、録共
  • 後周の沙門・釈亡名集十巻
  • 後周の小司空・王褒集二十一巻、録共
  • 後周の少傅・蕭捴集十巻
  • 後周の開府儀同・庾信集二十一巻、録共
  • 陳後主集三十九巻
  • 陳後主沈皇后集十巻
  • 陳の大匠卿・杜之偉集十二巻
  • 陳の金紫光禄大夫・周弘讓集九巻
  • 陳・周弘讓後集十二巻
  • 陳の侍中・沈炯前集七巻
  • 陳・沈炯後集十三巻
  • 陳の沙門・釈標集二巻
  • 陳の沙門・釈洪偃集八巻
  • 陳の沙門・釈瑗集六巻
  • 陳の沙門・釈霊裕集四巻
  • 陳の尚書僕射・周弘正集二十巻
  • 陳の鎮南府司馬・陰鏗集一巻
  • 陳の左衛将軍・顧野王集十九巻
  • 陳の沙門・策上人集五巻
  • 陳の尚書左僕射・徐陵集三十巻
  • 陳の右衛将軍・張式集十四巻
  • 陳の尚書度支郎・張正見集十四巻
  • 陳の司農卿・陸琰集二巻
  • 陳の少府卿・陸玠集十巻
  • 陳の光禄卿・陸瑜集十一巻、録共
  • 陳の護軍将軍・蔡景暦集五巻
  • 陳の沙門・釈暠集六巻
  • 陳の御史中丞・褚玠集十巻
  • 陳の安右府諮議・司馬君卿集二巻
  • 陳の著作佐郎・張仲簡集一巻
  • 煬帝集五十五巻
  • 王祐集一巻
  • 武陽太守・盧思道集三十巻
  • 金州刺史・李元操集十巻
  • 蜀王府記室・辛徳源集三十巻
  • 太尉・楊素集十巻
  • 懐州刺史・李徳林集十巻
  • 吏部尚書・牛弘集十二巻
  • 司隷大夫・薛道衡集三巻
  • 国子祭酒・何妥集十巻
  • 秘書監・柳抃集五巻
  • 開府・江総集三十巻
  • 江総後集二巻
  • 記室参軍・蕭愨集九巻
  • 著作郎・魏彦深集三巻
  • 著作郎・諸葛穎集十四巻
  • 劉子政(劉向)の母・祖氏集九巻
  • 著作郎・王胄集十巻
  • 以上四百三十七部、四千三百八十一巻。亡失した書を通算すると八百八十六部、八千一百二十六巻となる。
  • 別集の名は、後漢の時代に始まったものである。屈原以後、文章を作る者は多くなったが、その志や趣向はそれぞれ異なり、風格も様々であった。後世の君子はその体裁を観察し、その心の中を見ようとして、それぞれの作を別に集め、これを「集」と名づけた。文人たちはこれを慕い、自ら記録して書物にまとめた。年月を経て失われたものも少なくないが、高く抜きん出て世を超えた作は、おおむね今も残っている。今、その先後に従って、ここに次第を示す。

總集

  • 《文章流別集》四十一巻(梁本六十巻、志二巻・論二巻、摯虞撰)
  • 《文章流別志》・《論》二巻(摯虞撰)
  • 《文章流別本》十二巻(謝混撰)
  • 《続文章流別》三巻(孔寧撰)
  • 《集苑》四十五巻(梁本六十巻)
  • 《集林》一百八十一巻(宋の臨川王・劉義慶撰、梁本二百巻)
  • 《集林鈔》十一巻
  • 《集鈔》十巻(沈約撰)。梁代には丘遅撰《集鈔》四十巻があったが、亡失。
  • 《集略》二十巻
  • 《撰遺》六巻。梁代にはさらに《零集》三十六巻があったが、亡失。
  • 《翰林論》三巻(李充撰、梁本五十四巻)
  • 《文苑》一百巻(孔逭撰)
  • 《文苑鈔》三十巻
  • 《文選》三十巻(梁の昭明太子撰)
  • 《詞林》五十八巻
  • 《文海》五十巻
  • 《呉朝士文集》十巻(梁本十三巻)。あわせて《漢書文府》三巻があったが、亡失。
  • 《巾箱集》七巻。梁代には謝沈撰《文章志録雑文》八巻、《名士雑文》八巻があったが、いずれも亡失。
  • 《婦人集》二十巻。梁代には殷淳撰《婦人集》三十巻、別に《婦人集》十一巻があったが、いずれも亡失。
  • 《婦人集鈔》二巻
  • 《雑文》十六巻(婦人のために作られたもの)
  • 《文選音》三巻(蕭該撰)
  • 《文心雕龍》十巻(梁の東宮通事舎人兼務・劉勰撰)
  • 《文章始》一巻(姚察撰)。梁代には任昉撰《文章始》一巻、呉郡功曹張防撰《四代文章記》一巻があったが、いずれも亡失。
  • 《賦集》九十二巻(謝霊運撰)。梁代にはさらに宋の新渝惠侯撰《賦集》五十巻、宋明帝撰《賦集》四十巻、《楽器賦》十巻、《伎芸賦》六巻があったが、いずれも亡失。
  • 《賦集鈔》一巻
  • 《賦集》八十六巻(後魏の秘書丞・崔浩撰)
  • 《続賦集》十九巻(一部欠損)
  • 《歴代賦》十巻(梁武帝撰)
  • 《皇徳瑞応賦頌》一巻(梁本十六巻)
  • 《五都賦》六巻、録共(張衡および左思撰)
  • 《雑都賦》十一巻(梁本『雑賦』十六巻)。あわせて孔逭作《東都賦》一巻、李軌・綦毋邃撰《二京賦音》二巻、左思撰《斉都賦》二巻・音共、傅玄等撰《相風賦》七巻、晋の右軍行参軍虞干紀撰《迦維国賦》二巻、《遂志賦》十巻、《乗輿赭白馬》二巻があったが、いずれも亡失。
  • 《述征賦》一巻
  • 《神雀賦》一巻(後漢の傅毅撰)
  • 《雑賦注本》三巻。梁代には郭璞注《子虚上林賦》一巻、薛綜注・張衡《二京賦》二巻、晁矯注《二京賦》一巻、傅巽注《二京賦》二巻、張載および晋の侍中劉逵・晋の懐令衛権注・左思《三都賦》三巻、綦毋邃注《三都賦》三巻、項氏注《幽通賦》、蕭広済注・木玄虚《海賦》一巻、徐爰注《射雉賦》一巻があったが、いずれも亡失。
  • 《献賦》十八巻
  • 《囲棋賦》一巻(梁武帝撰)
  • 《観象賦》一巻
  • 《洛神賦》一巻(孫壑注)
  • 《枕賦》一巻(張君祖撰)
  • 《二都賦音》一巻(李軌撰)
  • 《百賦音》十巻(宋の御史・褚詮之撰)。梁代には郭徴之撰《賦音》二巻、《雑賦図》十七巻があったが、いずれも亡失。
  • 《大隋封禅書》一巻
  • 《上封禅書》二巻。梁代には《雑封禅文》八巻、宋の会稽太守・褚淡撰《秦帝刻石文》一巻があったが、いずれも亡失。
  • 《集雅篇》五巻
  • 《靖恭堂頌》一巻(晋の涼王・李灊撰)。梁代には王僧綽撰《頌集》二十巻、太元十九年に群臣が上進した《木連理頌》二巻があったが、いずれも亡失。
  • 《詩集》五十巻(謝霊運撰、梁本五十一巻)。あわせて宋の侍中張敷・袁淑が補訂した謝霊運『詩集』一百巻、顔峻撰『詩集』百巻・例録二巻、宋明帝撰『詩集』四十巻、江邃撰《雑詩》七十九巻、宋の太子洗馬劉和注《雑詩》二十巻、《二晋雑詩》二十巻、荀綽撰《古今五言詩美文》五巻、《詩鈔》十巻があったが、いずれも亡失。
  • 《詩集鈔》十巻(謝霊運撰)。梁代には謝霊運撰《雑詩鈔》十巻・録一巻があったが、亡失。
  • 《古詩集》九巻
  • 《六代詩集鈔》四巻。梁代には謝朏撰《雑言詩鈔》五巻があったが、亡失。
  • 《詩英》九巻(謝霊運集、梁本十巻)。あわせて梁の昭明太子撰《文章英華》三十巻があったが、亡失。
  • 《今詩英》八巻
  • 《古今詩苑英華》十九巻(梁の昭明太子撰)
  • 《詩纉》十三巻
  • 《衆詩英華》一巻
  • 《詩類》六巻
  • 《玉台新詠》十巻(徐陵撰)
  • 《百志詩》九巻(幹宝撰、梁本五巻)。あわせて《古遊仙詩》一巻、応貞注・応璩《百一詩》八巻、晋の蜀郡太守李彪撰《百一詩》二巻があったが、いずれも亡失。
  • 斉の《釈奠会詩》十巻
  • 《斉宴会詩》十七巻
  • 《青溪詩》三十巻(斉の宴会で作られたもの)。梁代には魏・晋・宋の『雑祖餞宴会詩集』二十一部・一百四十三巻があったが、亡失し、今はその数を略す。
  • 《西府新文》十一巻、録共(梁の蕭淑撰)
  • 《百国詩》四十三巻
  • 《文林館詩府》八巻(後斉の文林館で作られたもの)
  • 《詩評》三巻(鍾嶸撰、『詩品』とも呼ばれる)
  • 《古楽府》八巻
  • 《文会詩》三巻(陳の仁威記室・徐伯陽撰)
  • 《五嶽七星回文詩》一巻。梁代には《雑詩図》一巻があったが、亡失。
  • 《毛伯成詩》一巻(伯成は東晋の征西参軍)
  • 《春秋宝蔵詩》四巻(張朏撰)
  • 《江淹擬古》一巻(羅潜注)
  • 《楽府歌辞鈔》一巻
  • 《歌録》十巻
  • 《古歌録鈔》二巻
  • 《晋歌章》八巻(梁本十巻)
  • 《呉声歌辞曲》一巻(梁本二巻)。あわせて秦伯文撰《楽府歌詩》二十巻、《楽府歌詩》十二巻、《楽府三校歌詩》十巻、《楽府歌辞》九巻、《太楽歌詩》八巻、張永記《歌辞》四巻、《魏宴楽歌辞》七巻、《晋歌章》十巻、荀勗撰《晋歌詩》十八巻・《晋宴楽歌辞》十巻、宋の《太始祭高禖歌辞》十一巻、《斉三調雅辞》五巻、張湛撰《古今九代歌詩》七巻、《三調相和歌辞》五巻、《三調詩吟録》六巻、《奏鞞鐸舞曲》二巻、《管弦録》一巻、《伎録》一巻、郝生撰《太楽備問鍾鐸律奏舞歌》四巻、謝霊運撰《回文集》十巻、《回文詩》八巻、苻堅の秦州刺史竇氏の妻・蘇氏作《織錦回文詩》一巻、王僧綽撰《頌集》二十巻、晋の太元十九年に群臣が上進した《木連理頌》二巻、あわせて鼓吹・清商・楽府・宴楽・高禖・鞞・鐸などの『歌辞舞録』十部があった。
  • 《陳郊廟歌辞》三巻、録共(徐陵撰)
  • 《楽府新歌》十巻(秦王記室・崔子発撰)
  • 《楽府新歌》二巻(秦王司馬・殷僧首撰)
  • 《古今箴銘集》十四巻(張湛撰、録一巻)。梁代には《箴集》十六巻、《雑誡箴》二十四巻、《女箴》一巻、《女史箴図》一巻、《銘集》十一巻、陸少玄撰《仏像雑銘》十三巻、釈僧祐撰《箴器雑銘》五巻があったが、いずれも亡失。
  • 《衆賢誡集》十巻(一部欠損)。梁代には綦毋邃撰《誡林》三巻、王誕撰《四帝誡》三巻、《雑家誡》七巻、《諸家雑誡》九巻、《集誡》二十二巻があったが、いずれも亡失。
  • 《諸葛武侯誡》一巻、《女誡》一巻
  • 《女誡》一巻(曹大家撰)
  • 《女鑑》一巻。梁代には《女訓》十六巻があった。
  • 《婦人訓誡集》十一巻、録共(梁本十巻。宋の司空・徐湛之撰)
  • 《娣姒訓》一巻(馮少胄撰)
  • 《貞順志》一巻
  • 《賛集》五巻(謝荘撰)
  • 《画賛》五巻(漢明帝の殿閣画に、魏の陳思王が賛を付けたもの、梁本五十巻)。あわせて謝荘撰《誄集》十五巻があったが、亡失。
  • 《七集》十巻(謝霊運集)
  • 《七林》十巻(卞景撰、梁本十二巻・録二巻)。梁代にはさらに《七林》三十巻・音一巻があったが、亡失。
  • 《七悟》一巻(顔之推撰)。梁代には《吊文集》六巻・録一巻、《吊文》二巻があったが、いずれも亡失。
  • 《碑集》二十九巻
  • 《雑碑集》二十九巻
  • 《雑碑集》二十二巻。梁代には謝荘撰《碑集》十巻、梁元帝撰《釈氏碑文》三十巻、《雑碑》二十二巻、晋の将作大匠陳勰撰《碑文》十五巻、車灌撰《碑文》十巻、《羊祜堕涙碑》一巻、《桓宣武碑》十巻、《長沙景王碑文》三巻、《荊州雑碑》三巻、《雍州雑碑》四巻、《広州刺史碑》十二巻、《義興周処碑》一巻、《太原王氏家碑誄頌賛銘集》二十六巻、釈僧祐撰《諸寺碑文》四十六巻、《雑祭文》六巻、釈僧祐撰《衆僧行状》四十巻があったが、いずれも亡失。
  • 《設論集》二巻(劉楷撰)。梁代には東晋の人が撰した《設論集》三巻、《客難集》二十巻があったが、いずれも亡失。
  • 《論集》七十三巻
  • 《雑論》十巻
  • 《明真論》一巻(晋の兗州刺史・宗岱撰)
  • 《東西晋興亡論》一巻
  • 《陶神論》五巻
  • 《正流論》一巻
  • 《黄芳引連珠》一巻
  • 《梁武連珠》一巻(沈約注)
  • 《梁武帝制旨連珠》十巻(梁の邵陵王・蕭綸注)
  • 《梁武帝制旨連珠》十巻(陸緬注)。梁代には《設論連珠》十巻、謝霊運撰《連珠集》五巻、陳証撰《連珠》十五巻、陸機撰・何承天注《連珠》一巻、班固撰・蔡邕注《典引》一巻があったが、いずれも亡失。
  • 《梁代雑文》三巻
  • 《詔集区分》四十一巻(後周の獣門学士・宗幹撰)
  • 《魏朝雑詔》二巻。梁代には《漢高祖手詔》一巻があったが、亡失。
  • 《録魏呉二志詔》二巻。梁代には《三国詔誥》十巻があったが、亡失。
  • 《晋咸康詔》四巻
  • 《晋朝雑詔》九巻。梁代には《晋雑詔》百巻・録一巻、別に《晋雑詔》二十八巻・録一巻、《晋詔》六十巻、《晋文王・武帝雑詔》十二巻があったが、いずれも亡失。
  • 《録晋詔》十四巻。梁代には《晋武帝詔》十二巻、《成帝詔草》十七巻、《康帝詔草》十巻、《建元直詔》三巻、《永和副詔》九巻、《升平・隆和・興寧副詔》十巻、《泰元・咸甯・甯康副詔》二十二巻、《隆安直詔》五巻、《元興大亨副詔》三巻があったが、いずれも亡失。
  • 《晋義熙詔》十巻。梁代には《義熙副詔》十巻、《義熙以来至於大明詔》三十巻、《晋宋雑詔》四巻、王韶之撰《晋宋雑詔》八巻、《雑詔》十四巻、《班五条詔》十巻があったが、いずれも亡失。
  • 《宋永初雑詔》十三巻。梁代には漢から宋までを収める《詔集》百巻、《武帝詔》四巻、宋の《元熙詔令》五巻、《永初二年五年詔》三巻、《永初已来中書雑詔》二十巻があったが、いずれも亡失。
  • 《宋孝建詔》一巻。梁代には宋の《景平詔》三巻があったが、亡失。
  • 《宋元嘉副詔》十五巻。梁代には宋の《元嘉詔》六十二巻、《宋孝武詔》五巻、《宋大明詔》七十巻、《宋永光・景和詔》五巻、《宋泰始・泰豫詔》二十二巻、《宋義嘉偽詔》一巻、《宋元徽詔》十三巻、《宋升明詔》四巻があったが、いずれも亡失。
  • 《斉雑詔》十巻
  • 《斉中興二年詔》三巻。梁代には斉の《建元詔》五巻、《永明詔》三巻、《武帝中詔》十巻、《斉隆昌・延興・建武詔》九巻、《斉建武二年副詔》九巻、梁の《天監元年至七年詔》十二巻、《天監九年・十年詔》二巻があったが、いずれも亡失。
  • 《後魏詔集》十六巻
  • 《後周雑詔》八巻
  • 《雑詔》八巻
  • 《雑赦書》六巻
  • 《陳天嘉詔草》三巻
  • 《覇朝集》三巻(李徳林撰)
  • 《皇朝詔集》九巻
  • 《皇朝陳事詔》十三巻。梁代には《雑九錫文》四巻があったが、亡失。
  • 《上法書表》一巻(虞和撰)
  • 《梁中表》十一巻(梁の邵陵王撰)。梁代には《漢名臣奏》三十巻、陳長寿撰《魏名臣奏》三十巻、《魏雑事》七巻、《晋諸公奏》十一巻、《雑表奏駁》三十五巻、漢の丞相匡衡・大司馬王鳳の《奏》五巻、《劉隗奏》五巻、《孔群奏》二十二巻、晋の金紫光禄大夫周閔の《奏事》四巻、晋の中丞劉邵の《奏事》六巻、中丞司馬無忌の《奏事》十三巻、中丞虞穀の《奏事》六巻、中丞高崧の《奏事》五巻、その他『諸弾事』など十四部があったが、いずれも亡失。
  • 《雑露布》十二巻。梁代には《雑檄文》十七巻、《魏武帝露布文》九巻があったが、いずれも亡失。
  • 《山公啓事》三巻
  • 《范甯啓事》三巻(梁本十巻)。梁代には《雑薦文》十二巻、《薦文集》七巻があったが、いずれも亡失。
  • 《善文》五十巻(杜預撰)
  • 《雑集》一巻(殷仲堪撰)
  • 《梁・魏・周・斉・陳皇朝聘使雑啓》九巻
  • 《政道集》十巻
  • 《書集》八十八巻(晋の散騎常侍・王履撰。梁本は八十巻だったが、亡失)
  • 《書林》十巻
  • 《雑逸書》六巻(梁本二十二巻。徐爰撰)。あわせて夏赤松撰《応璩書林》八巻、葛洪撰《抱朴君書》一巻、蔡謨撰《蔡司徒書》三巻、《前漢雑筆》十巻、《呉晋雑筆》九巻、《呉朝文》二十四巻、《李氏家書》八巻、晋の左将軍王鎮悪の《与劉丹陽書》一巻があったが、いずれも亡失。
  • 《後周与斉軍国書》二巻
  • 《高澄与侯景書》一巻
  • 《策集》一巻(殷仲堪撰)
  • 《策集》六巻。梁代には《孝秀対策》十二巻があったが、亡失。
  • 《宋元嘉策孝秀文》十巻
  • 《誹諧文》三巻
  • 《誹諧文》十巻(袁淑撰)。梁代には《続誹諧文集》十巻、沈宗之撰《誹諧文》一巻、杜嵩撰《任子春秋》一巻、宋の零陵令辛邕之撰《博陽秋》一巻があったが、いずれも亡失。
  • 《法集》百七巻(梁の沙門・釈宝唱撰)
  • 以上一百七部、二千二百一十三巻。亡失した書を通算すると二百四十九部、五千二百二十四巻となる。
  • 総集とは、建安の後、辞賦が次第に盛んになり、諸家の文集が日ごとに増えていったため、晋代の摯虞が読者の労苦を厭い、優れた作を選び取って繁雑を刈り取り、詩賦以下、各分野ごとに系統立てて編集し、これを『流別』と名づけたことに始まる。以後、文集を総合的に抄録することが後を絶たず、文章を作る者たちはこれを奥義として規範とした。今その先後に従い、あわせて解説と評論も付して、この篇にまとめる。
  • 集部は合わせて五百五十四部、六千六百二十二巻。亡失した書を通算すると一千一百四十六部、一万三千三百九十巻となる。

  • 文とは、言葉を明らかにするものである。古は高い所に登れば賦を作ることができ、山川を祭ることができ、軍旅では誓いの言葉を述べることができ、喪の礼では誄を作ることができ、器物を作れば銘を刻むことができれば、大夫となることができた。物に即して言葉を巡らせ、心の働きに滞りがないことを言うのである。唐の歌、虞の詠、殷の頌、周の雅は、事を叙し情を述べて連綿と受け継がれ、これ以降その道はますます盛んになった。世には浮薄と純朴の別があり、時代とともに治乱が移り、文体も変遷して、正邪もまた異なった。宋玉・屈原は南楚に清風を巻き起こし、厳忌・鄒陽・枚乗・司馬相如は西京(前漢)に盛んな美文を連ね、張衡(平子)は東都(後漢)に艶麗な文を発し、王粲は漳水・滏水の地(魏)で独歩した。晋代に至っては潘岳・陸機が称えられ、いずれも華麗な文が輝き、音律が互いに響き合い、清らかな言葉は金石のように潤い、精緻な意味は雲天にまで薄る(迫る)ものであった。永嘉以後は玄学の風が広まり、文章は平淡なものが多く、風格に乏しくなった。江東(東晋)に降ってはその弊はいっそう甚だしくなった。宋・斉の世から梁の初めにかけては、謝霊運の高い趣の奇抜さ、顔延之の錯綜した美、謝朓(玄暉)の華麗さ、沈約(休文)の豊かさがあり、輝かしく美しく、辞と意味は見るべきものがあった。梁の簡文帝は東宮にあった頃、やはり詩文を好み、清麗巧緻な作を作ったが、その内容は男女の閨房の情に留まり、言葉を飾り立てて閨閣の内にのみ思いを凝らした。後進の者たちはこれを好んで次々と模倣し、朝野に広まって「宮体」と呼ばれた。この風潮は歯止めがかからず、ついに国の滅亡に至るまで続いた。陳もこれを受け継ぎ、完全には改まらなかった。中原では長年にわたる兵乱により、文章の道は尽き果てた。後魏の孝文帝はやや文章を作ることに努めたが、俗を変えるには至らず、総じて古風なものであった。斉は漳水のほとりに都したため文人が次々と現れ、大げさな言葉が連なったが、清らかな辞と雅致は聞かれなかった。後周は草創期にあって戦乱が絶えず、君臣が力を合わせて専ら国家経営に努めたため、風流文雅には手が回らなかった。その後、南は漢水・沔水の地を平定し、東は河朔を定めて、隋に至り天下は統一され、荊南の良材(人材の喩え)を採り、会稽の箭竹(同じく人材の喩え)を集めて、文人才士が京師に集った。しかし高祖は文を軽んじ、煬帝は猜疑心が強かったため、権力を握る者たちに疎まれ排斥される者が続出した。このため霊蛇の珠を握り荊山の玉を懐に抱くほどの才を持ちながら、溝壑に朽ち果てた者が数えきれず、民間には怨みと諷刺の声が興った。古は詩を陳べて風俗を観察したが、これもまた世の盛衰に関わるものである。班固の『詩賦略』は五種に分かれていたが、今はこれを敷衍し、あわせて三種とし、「集部」と名づける。
  • 四部(経・史・子・集)の経典・伝記は合わせて三千一百二十七部、三万六千七百八巻。亡失した書を通算すると四千一百九十一部、四万九千四百六十七巻となる。(道経のうち)経戒三百一部・九百八巻、餌服四十六部・一百六十七巻、房中十三部・三十八巻、符録十七部・一百三巻。
  • 以上(道経)三百七十七部、一千二百一十六巻。

附錄:道經

  • 道経とは、元始天尊が太元よりも前に生まれ、自然の気を稟けて沖虚清遠、その窮まりを知る者がないという教えである。天地の壊滅と劫数の終わりを説く点は仏典と近い。天尊の体は常に存在して滅びず、天地が改めて開かれるたびに、玉京の上あるいは窮桑の野で秘道を授け、これを「開劫度人」と呼ぶ。この劫の開闢は一度きりではなく、延康・赤明・龍漢・開皇などの年号があり、その間隔は四十一億万年に及ぶという。度化される者はみな諸天の上品の仙で、太上老君・太上丈人・天真皇人・五方天帝および諸仙官が次々に承け伝え、俗人が関わることはない。説かれる経も元一の気を稟けて自然に生じたもので、人が作ったものではなく、天尊と同じく常に存在して滅びない。天地が壊れなければこの経は秘められたまま伝わらず、劫運が開けば自ずと文字が現れるという。全部で八字、道体の奥義を尽くし「天書」と呼ばれる。字は一丈四方で八角に光芒を放ち、まばゆく人の心を驚かすため、諸天の仙人でさえ見ることができない。天尊は開劫のたびに天真皇人に命じ、天の言葉を人の言葉に変えて解き明かさせる。天真皇人から下は諸仙に至るまで段階を追って伝授され、諸仙がこれを得て初めて人間に授ける。ただし天尊が劫を開くまでには長い年月を要し、法を受けた者もこれを秘蔵して年限を経てから伝授する。上品ほど年月が長く、下品ほど短い。ゆえに今、道を授ける者は四十九年を経て初めて人に授けるという。その大旨は仁愛と清浄に帰し、修行を積み重ねて次第に長生に至り、自然に神と化し、あるいは白日のうちに昇仙して道と一体化するという。道を受ける法は、まず『五千文籙』を受け、次に『三洞籙』、次に『洞玄籙』、次に『上清籙』を受ける。籙はみな白い紙に書かれ、天の官僚・属吏の名を多少にかかわらず記し、さらに様々な符が入り混じり、文字は奇怪で世人には読めない。受ける者は必ず先に潔斎し、その後に金の環一つと様々な贄・幣帛を携えて師にまみえる。師はその贄を受け取って籙を授け、金環を割って師弟がそれぞれ半分を持ち、約束の証とする。弟子は籙を得るとこれを封じて身に帯びる。
  • 潔斎の法には黄籙・玉籙・金籙・塗炭などの斎がある。壇を三段に築き、各段に「綿蕝」(縄で境界を示す標識)を置いて限域とする。傍らにそれぞれ門を開き、みな法象を備える。斎に参加する者にも人数の限りがあり、順に綿蕝の中に入り、数珠つなぎになって後ろ手に縛られ、罪過を陳べ神祇に告白し、昼夜休みなく、一・二・七日にわたって行う。定めの人数を超えた者は綿蕝の外にとどまり「斎客」と呼ばれ、ただ拝謝するのみで縛られることはない。さらに災いを消し厄を払う法があり、陰陽五行の術数によって人の生年月日を推し量って文書に記し、上奏文のような形式に整え、贄・幣帛を備えて香を焚き読み上げる。天曹に上奏して厄除けを請うといい、これを「上章」と呼ぶ。夜、星辰の下で酒・干し肉・餅・幣物を並べ、天皇太一を祀り五星・列宿を祀って、上章と同様の形式の文書を作って奏上する、これを「醮」と呼ぶ。また木で印を作り、星辰・日月をその上に刻み、気を吸ってこれを執り、病人に印を押すと治る例が多いという。また刃の上を歩き火の中に入り、呪をかけて刃が切れず火が熱くならないようにすることもできるという。さらに服餌・辟穀・金丹・玉漿・雲英などの浄化の法があり、数えきれない。上古の黄帝・帝嚳・夏禹の類もみな神人に遇って道籙を受けたというが、年代が遠く経史には見えない。
  • 事跡を尋ねると、漢代の諸子のうち道書の流れをくむものは三十七家あり、その大旨はみな貪欲を去り沖虚に処すことにあり、天官の符籙のことは含まれていなかった。『黄帝』四篇、『老子』二篇が最も深い趣旨を得ている。梁の陶弘景は句容に隠棲し、陰陽五行・風角星算を好み、辟穀導引の法を修め、道経の符籙を受けた。梁の武帝は若くして彼と交わりがあり、禅譲の際、弘景は図讖の文を取って「景梁」の字に合わせて献上し、これにより厚遇を受けた。また『登真隠訣』を著して古に神仙の事があったことを証し、また神丹を作れば服用して長生し天地とともに永らえると説いた。武帝は弘景に神丹の合成を試みさせたが、ついに成らず、弘景は中原が隔絶し薬物が精良でないためだと言い訳し、武帝はこれを信じてますます敬った。武帝は若い頃から道術を好み、先に道法を受け、即位後もなお自ら上章し、朝士で道を受ける者が多かった。三呉および沿海の地では特にこの信仰が篤かった。陳の武帝も代々呉興に住んでいたため、これを奉じた。後魏の世には嵩山の道士寇謙之が、かつて真人成公興に遇い、後に太上老君に遇って天師に任じられ、『雲中音誦科誡』二十巻を授けられたと自称した。また玉女に服気導引の法を授けさせ、辟穀を会得し、気力が満ち体が軽くなり、顔色も鮮やかになったという。弟子十余人もみなその術を得た。その後さらに神人李譜(老君の玄孫と称した)に遇い、諸神を呼び出す図籙真経六十余巻と、金丹・雲英・八石・玉漿を練る法を授けられたという。太武帝の始光の初め、寇謙之はこの書を奉って献上し、太武帝は謁者に玉帛と犠牲を持たせて嵩山を祀らせ、残りの弟子を招き寄せて、代都の東南に壇宇を建て道士百二十余人を置き、その法を天下に宣揚した。太武帝自ら法駕を整えて符籙を受けた。これより道教は大いに広まり、皇帝が即位するたびに必ず符籙を受けることが慣例となり、天尊および諸仙の像を刻んで供養した。洛陽遷都後には南郊のそばに方二百歩の道場が置かれ、正月・十月の十五日には道士・歌人あわせて百六人が拝礼して祀った。後斉の神武帝が鄴に遷都すると、これを廃した。文襄帝の世になると改めて館宇を置き、修行に優れた者を選んで住まわせた。後周は魏を承けて道法を崇め、皇帝が即位するたびに符籙を受けることは魏の旧例のとおりであったが、まもなく仏法とともに廃された。開皇の初め、道教は再び興ったが、高祖は仏法を篤く信じ道士を軽んじた。大業年間には術によって出世する道士が多かった。彼らが講じる経典は『老子』を根本とし、次いで『荘子』および『霊宝』『昇玄』の類を講じた。その他の経典は、神人から伝えられたと称するものが多く、篇巻も一様ではない。天尊の姓を「楽」、名を「静信」と称するというが、いずれも浅俗であるため、世間ではこれを大いに疑う。術に優れた者は符禁の術を行い、しばしば神験があるというが、金丹・玉液による長生の術は歴代にわたり莫大な費用を費やしながら、ついに効果がなかった。今その経典の目録の数を調べ、ここに付す。
  • 大乗経六百一十七部、二千七十六巻(うち五百五十八部・一千六百九十七巻は経、五十九部・三百七十九巻は疏)。小乗経四百八十七部、八百五十二巻。雑経三百八十部、七百一十六巻(目録が一部欠損しており、現存数はこの通り)。雑疑経一百七十二部、三百三十六巻。大乗律五十二部、九十一巻。小乗律八十部、四百七十二巻(うち七十七部・四百九十巻は律、二部・二十三巻は講疏)。雑律二十七部、四十六巻。大乗論三十五部、一百四十一巻(うち三十部・九十四巻は論、五部・四十七巻は疏)。小乗論四十一部、五百六十七巻(うち二十一部・四百九十一巻は論、十部・七十六巻は講疏)。雑論五十一部、四百三十七巻(うち三十二部・二百九十九巻は論、九部・一百三十八巻は講疏)。記二十部、四百六十四巻。
  • 以上一千九百五十部、六千一百九十八巻。

附錄:佛經

  • 仏経とは、西域天竺の迦維衛国、浄飯王の太子・釈迦牟尼が説いたものである。釈迦は周の荘王九年四月八日、母の右脇より生まれ、姿は三十二相・八十二好を備えて尋常でなかった。太子の位を捨てて出家し道を学び、精進を重ねて一切種智を悟り、これを「仏」(仏陀、浮屠とも。いずれも胡語で、漢語に訳せば「浄覚」)と称した。その説くところによれば、人の身には生死の違いがあっても精神は常に滅びず、この身の前には無量の身があり、修行を積み重ねて精神が清浄になれば仏道を成就するという。天地の外、四方上下にはさらに天地があり、それも終わりなく続くが、いずれも成ることと壊れることがある。一たび成り一たび壊れることを「一劫」と呼び、この天地より前にも無量の劫があった。劫ごとに必ず諸仏が道を得て世に出て教化し、その数は劫ごとに異なる。今のこの劫には千仏が現れるとされ、初めから釈迦まで既に七仏を数える。次には弥勒が世に出て、必ず三会を経て法蔵を演説し衆生を済度するという。この道による者には四等の果があり、須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢という。羅漢に至れば生死を出入りし去来隠顕して煩わされることがない。阿羅漢より上、菩薩に至る者は仏性を深く見て成道に至る。仏が滅度するたびに遺法が相伝えられ、正法・像法・末法の三時の違いがあり、その年数の遠近も一様ではない。末法以後は衆生が愚鈍になり仏教が失われ、行いはますます悪くなり寿命も次第に短くなり、数百千年を経れば朝に生まれ夕に死ぬほどになるという。その後、大水・大火・大風の災いが起きてすべてが除かれ、改めて人が生まれて再び純朴に帰る、これを「小劫」と呼ぶ。小劫ごとに一仏が世に出るという。
  • 初め、天竺には多くの外道があり、みな水・火・毒龍に仕え様々な変幻の術に長けていた。釈迦が苦行を行った際、これらの邪道の者たちが集まって煩わせ心を乱そうとしたが、成し得なかった。仏道が成就すると、みな屈服して弟子となった。弟子のうち男は「桑門」(訳せば「息心」、総じて「僧」=「行乞」の意)、女は「比丘尼」と呼ばれ、みな鬚髪を剃り、俗世を離れて家を捨て、共に和合して住み、心を治め清浄を修め、乞食して自らを養い、心を防ぎ行いを慎んだ。僧は二百五十戒、尼は五百戒を守る。仏法を信奉する俗人は男を「優婆塞」、女を「優婆夷」と呼び、殺生・盗み・淫・妄語・飲酒を絶つ「五戒」を守る。釈迦は在世中四十九年にわたり教化し、天龍・人・鬼までもが説法を聴きに来て、道を得た弟子は百千万億を数えた。その後、拘尸那城の娑羅双樹の間で、二月十五日に般涅槃(涅槃、泥洹とも。訳せば「滅度」あるいは「常楽我浄」)に入った。釈迦の説法は人の性識・根業がそれぞれ異なるため、大乗・小乗の教えの別があった。釈迦の滅後、弟子の大迦葉と阿難ら五百人が追ってこれを撰述し、文字にまとめて十二部としたという。数百年後、羅漢や菩薩が相次いで論を著し、その意義を明らかにした。仏の説くところによれば、滅度の後、正法五百年・像法一千年・末法三千年とされる。
  • 典籍を尋ねるに、漢代より前は中国に伝わっていなかった。あるいは早くから流布していたが秦の時代に埋没したともいう。その後、張騫が西域に使いして、浮屠の教えがあることを聞いたとされる。哀帝の時、博士弟子の秦景が伊存から浮屠経を口伝で受けたが、当時の人々はまだこれを信じなかった。後漢の明帝が夜、金色の人が宮殿を飛び行く夢を見て朝議に問うたところ、傅毅が仏について答えた。帝は郎中蔡愔および秦景を天竺に遣わして求めさせ、仏経四十二章および釈迦の立像を得て、沙門摂摩騰・竺法蘭とともに東に帰った。蔡愔が来た際、白馬に経を負わせたことから、洛陽城の雍門の西に白馬寺を建てて安置した。その経は蘭台の石室に収められ、また清涼台および顕節陵に仏像が描かれた。章帝の時、楚王英が仏法を篤く敬うことで知られ、西域の沙門で仏経を携えて至る者が多かった。永平年間、竺法蘭はさらに『十住経』を訳したが、その他の翻訳は多くが不十分であった。桓帝の時、安息国の沙門・安清が経を携えて洛陽に至り、翻訳が最もよく通じたものであった。霊帝の時、月支の沙門・支讖、天竺の沙門・竺仏朔らがともに仏経を翻訳し、支讖の訳した『泥洹経』二巻は学者たちに本旨をよく得たものとされた。漢末、太守竺融も仏法を篤く信奉した。三国時代には西域の沙門康僧会が仏経を携えて呉に至り翻訳し、呉主孫権は深く敬信した。魏の黄初年間、中国人が初めて仏戒に従い剃髪して僧となった。それ以前、西域の沙門が『小品経』を訳したが、首尾が乱れ意味が通らなかった。甘露年間、硃士行という者が西域の于闐国に至って経九十章を得、晋の元康年間、鄴に至ってこれを翻訳し『放光般若経』と題した。太始年間、月支の沙門竺法護が西方諸国を遊学して多くの仏経を得、洛陽に至って翻訳し、その部数は非常に多かった。仏教が東方に流伝したのはこれより盛んになった。
  • 石勒の時代、常山の沙門・衛道安(釈道安)は聡敏な性質で、経を誦じて一日に一万余言に及んだ。胡僧の訳した『維摩』『法華』が深い趣旨を尽くしていないとして、十年思索を重ねて心得悟り、その乱れを正して解釈を広めた。当時中国は乱れ四方が隔絶していたため、道安は門徒を率いて南へ新野に赴き、玄宗をあまねく流布させようとして弟子を各地に分遣した。法性は揚州に赴き、法和は蜀に入り、道安は慧遠とともに襄陽に赴いた。後に長安に至ると、苻堅は彼を深く敬った。道安はかねて天竺の沙門鳩摩羅什が仏法に通じていると聞き、苻堅にこれを招くよう勧めた。羅什もまた道安の名声を聞き、遠く拝礼を捧げた。姚萇の弘始二年、羅什は長安に至ったが、この時すでに道安の没後二十年が経っており、羅什は深く残念に思った。羅什が来てから多くの経論が翻訳されたが、道安が正した内容と羅什の訳した内容は一致し、乖離はなかった。
  • 初め、晋の元熙年間、新豊の沙門・智猛は杖をついて西へ赴き、華氏城に至って『泥洹経』および『僧祗律』を得、東の高昌に至って『泥洹経』を二十巻に翻訳した。後に天竺の沙門・曇摩羅讖もまた胡本を携えて河西に至った。沮渠蒙遜は使者を高昌に遣わして智猛の本を求め、照合しようとしたが、返らぬうちに蒙遜は滅ぼされた。姚萇の弘始十年、智猛の本がようやく長安に至り、三十巻に翻訳された。曇摩羅讖はさらに『金光明経』などを翻訳した。当時長安に至った胡僧は数十人に及んだが、鳩摩羅什が最も才徳に優れていた。羅什が訳したのは『維摩』『法華』『成実論』などの諸経、また曇無讖が訳した『金光明』、曇摩羅讖が訳した『泥洹』などの経で、いずれも大乗の学とされた。羅什はまた『十誦律』を訳し、天竺の沙門仏陀耶舎は『長阿含経』および『四方律』を訳し、兜佉勒の沙門曇摩難提は『増一阿含経』を訳し、曇摩耶舎は『阿毘曇論』を訳し、これらは小乗の学とされた。その他の経論は数え切れない。これより仏法は流通し、四海に広まった。東晋の隆安年間には罽賓の沙門・僧伽提婆が『増一阿含経』および『中阿含経』を訳した。義熙年間には沙門・支法領が于闐国から『華厳経』三万六千偈を得て金陵で翻訳した。また沙門・法顕は長安から天竺に赴き、三十余国を経て、経律のある土地ごとにその言語を学んで書き写した。金陵に戻ってから天竺の禅師・跋羅とともに校訂し、『僧祗律』とし、学ぶ者に伝えた。
  • 斉・梁および陳にも外国の沙門がいたが、翻訳されたもので法門の規範となる大きな部類はなかった。梁の武帝は仏法を大いに崇め、華林園に釈氏の経典を総集し、あわせて五千四百巻に及んだ。沙門・宝唱が『経目録』を撰した。また後魏の時、太武帝が長安に西征した際、沙門が仏律に多く違反し集まって乱れていたとして、有司に詔してことごとく生き埋めにし、仏像を焼き壊させた。長安の僧徒は一時に全滅した。他の征鎮では詔書が届く前に逃げて免れた者が十人に一、二人であった。文成帝の代に至って再興が図られた。熙平年間には沙門・慧生を西域に遣わして諸々の経律を採集させ、一百七十部を得た。永平年間には天竺の沙門・菩提留支が大いに仏経を翻訳し、羅什に匹敵した。その『地持』『十地論』は大乗の学者に重んじられた。後斉が鄴に遷都しても仏法は変わらなかった。後周の武帝の時、蜀郡の沙門・衛元嵩が上書して僧徒の乱れを指摘し、武帝は詔を出してことごとく廃毀した。
  • 開皇元年、高祖は天下にあまねく詔して出家を許し、人口に応じて銭を出させ経像を造らせた。京師および并州・相州・洛州などの大都邑では官が一切経を書写し寺内に置き、さらに別に書写して秘閣に蔵した。天下の人々はこれになびき、争って慕い、民間の仏経は六経の数十百倍に及んだ。大業年間にはさらに沙門・智果に命じて東都の内道場で諸経の目録を撰させ、条項を分類し、仏の説いた経を大乗・小乗・雑経の三部とし、後人の仮託と見られるものは別に一部として「疑経」とした。さらに菩薩および深く奥義を解き仏理を明らかにする者の著作を「論」とし、戒律にも大乗・小乗・中の三部の区別がある。また学ぶ者がその当時の事跡を記録したものを「記」と呼ぶ。合わせて十一種になる。今その大数を挙げてこの篇に列する。
  • 以上、道経・仏経は合わせて二千三百二十九部、七千四百一十四巻。
  • 道教・仏教は世俗の外にある教えであり、聖人の深遠な到達点である。俗士がこれを行うと、その趣旨に通じず、多くは迂遠で怪しげなものに陥り、変幻を仮託して世を惑わせる、これがその弊害である。ゆえに中庸の教えではあまり多く語られないが、無視してよいものでもない。ゆえにその大綱を記し、四部の末に付す。
  • 総じて、現存および亡失した経典・伝記と道経・仏経を合わせると、六千五百二十部、五万六千八百八十一巻となる。