隋書卷二十九 地理上

  • 古の聖王は天下を受けるにあたり、国土を体系づけ田野を経営して民の規範とした。天文の躔次に応じて山河を分かち、疆域を画して都を建て社(くにつち)を授けた。放勲(堯)が暦を治めた頃は職貢を修める者は九州にとどまったが、文命(禹)が諸侯を会同させた頃には玉帛を執る者が万国に及んだ。殷が夏の鼎を遷し、周が殷の命を黜けるに及び、文質の用や損益の道は変わっても、封建の制度は概ね旧章に従った。土を三等に分け爵を五等に列し、千里四方で畿甸を定め九服で要荒を区別した。十国を「連」とし連には帥を、五連を「卒」とし卒には正を置き、いずれも王室の藩屏として国を固め、民を治め安んじるための制度であった。
  • 周の徳が衰えると諸侯が武力で争い、強が弱を凌ぎ衆が寡を暴し、魯は楚に、鄭は韓に滅ぼされ、田氏は斉を簒奪し、六卿は晋を分割した。君を弑し国を滅ぼし社稷を守れなかった者は数えきれない。七雄が競い二帝(秦・周)が強を争うに至り、疆場の争いは絶えなかった。秦の始皇帝は百二の険を拠り所とし六世の余烈を奮って天下を争い、諸侯を蚕食して在位20余年で天下を統一した。しかし周の弱体化を戒めとして権謀を恃みとし経典を蔑ろにして郡県制を敷き、子弟に立錐の地なく功臣に尺土の賞もなかったため、身没して天下は分裂し、二世で社稷は滅んだ。
  • 漢の高祖は神武の宏図を展開して禍乱を掃討し、秦の失策を正して王侯を封建し州を跨り邑を連ねる制は古の典より広がったが、郡県の制自体は秦を改めなかった。孝武帝に至り遠略に努め、南は百越を兼ね東は三韓を定め、邛・笮の険路を通じ匈奴の右臂を断ったが、その分民も疲弊した。昭帝・宣帝の後は戦を罷め農を務め、戸口が増えるとともに郡県も増置され、平帝の代には郡国103・戸1223万に達した。光武帝の中興は王莽の弊害を承け兵戈やまず飢疫が続き、民の生存者は十のうち一二に過ぎなかったため郡県400余を併省した。明帝・章帝の後は再び繁栄し郡県の数は往時を上回った。しかし炎劉(後漢)の命運が尽き三国が争うに及び兵革がしばしば起こり戸口は半減した。西晋の太康年間の後、天下は一統されたが編戸はおよそ260余万にとどまった。まもなく五胡が乱れ二帝(懐帝・愍帝)が流離し、東晋から宋・斉に至るまで江左に偏在し、苻氏・姚氏と劉氏・石氏が中原に割拠し、事跡は錯綜して詳らかにしがたい。
  • 梁の武帝は暴を除き乱を鎮め旧呉の地を領し、天監10年には州23・郡350・県1022を有した。その後境域の回復に努め、閩・越を開拓し淮浦を克復し俚洞を平らげ牂柯を破り、旧州が広すぎるため多くを分置した。大同年中には州107に達し郡県もこれに準じた。しかし侯景の乱で台城が陥落し文書記録が散逸し、郡県戸口の詳細は究めがたくなった。陳氏に至っては領土がさらに縮小し西は蜀・漢を失い北は淮・肥を失い、威力の及ぶ範囲は荊・揚の域を出なかった。州42・郡109・県438・戸60万であった。北斉は北魏末の喪乱を承け北周と対峙し、淮南を開拓したものの郡県は小さかった。天保末に併省を行い、国滅ぶ時には州97・郡160・県365・戸303万であった。周(北周)は初め関中を領し百度草創の時期であったが、訓兵教戦し農耕を勧め、南は江漢を清め西は巴蜀を兼ね、寡をもって衆を撃ち強敵を戡定した。東夏平定の際には多くが省廃された。大象2年、通計で州211・郡508・県1124であった。
  • 高祖は禅譲を受け朝政を一新し、開皇3年に諸郡を廃した。開皇9年に江表を平定すると、戸口の増加に伴い州県を分置した。煬帝が即位すると林邑を平らげ三州を新設したが、まもなく諸州を併省し州を郡に改め、司隷刺史を置いて分部巡察させた。大業5年、吐谷渾を平定し四郡を新設した。総計で郡190、県1255、戸890万7546、口4601万9956、墾田5585万4041頃(邑居道路・山河溝洫・沙磧鹹鹵・丘陵阡陌は含まない)。東西9300里、南北1万4815里、東南はすべて海に至り、西は且末、北は五原に至った。隋の隆盛はこの時に極まった。

雍州

京兆郡

  • もと雍州。開皇3年に置く。城郭は東西18里115歩、南北15里175歩。東面に通化・春明・延興の三門、南面に啓夏・明徳・安化の三門、西面に延平・金光・開遠の三門、北面に光化の一門を有し、里106・市2を有した。大業3年、州を郡に改め尹を置いた。統県22、戸30万8499。
  • 大興(開皇3年置。北周は旧郡に県を置き万年と称した。高祖の潜龍の号「大興」により改称。長楽宮あり。後魏の杜城県・西霸城県、西魏の山北県はいずれも北周が廃した)、長安(郡の帯県。仙都・福陽・太平などの宮あり。関官あり。旧長安城あり)、始平(もと扶風郡治。開皇3年郡廃)、武功(北周置の武功郡、建徳中に郡廃。永豊渠・普済渠あり)、盩厔(北周置の周南郡・恒州、倉城・温湯の二県も設けたがのち廃。司竹園、宜寿・仙游・文山・鳳皇などの宮、関官、太一山、温湯あり)、醴泉(後魏の寧夷、西魏の寧夷郡。後周は秦郡と改めのち廃し新畤・甘泉二県を編入。開皇18年に醴泉と改称。甘泉水・波水・浪水、九抃山・温秀嶺あり)、上宜(開皇17年置。旧莫西県あり、18年に好畤と改称し大業3年廃入)、鄠(甘泉宮、終南山、澇水あり)、藍田(北周置の藍田郡、のち廃し白鹿・玉山二県を編入。関官、滋水あり)、新豊(温湯あり)、華原(後魏の北雍州、西魏の宜州、また北地郡のち通川郡と改称。開皇初郡廃、大業初州廃し土門県を編入。沮水・頻山あり)、宜君(旧宜郡、開皇初郡廃。清水あり)、同官、鄭(後魏の東雍州兼華山郡、西魏の華州。開皇初郡廃、大業初州廃。少華山あり)、渭南(後魏の渭南郡、西魏分置の霊源・中源二県、北周に郡県とも廃入。歩寿宮あり)、万年、高陵(後魏の高陸、大業初改称)、三原(北周置の建忠郡、建徳初郡廃)、涇陽(旧咸陽県、開皇初廃。茂農渠あり)、雲陽(旧置、北周置の雲陽郡、開皇初郡廃。涇水・五竜水・甘水・走馬水あり)、富平(旧北地郡、北周改めて中華郡、のち罷む。荊山あり)、華陰(興徳宮・関宮あり。京輔都尉あり。白渠・華山あり)。

馮翊郡

  • 後魏の華州、西魏の同州。統県8、戸9万1572。
  • 馮翊(後魏の華陰、西魏改めて武郷、武郷郡置。開皇初郡廃、大業初馮翊と改称し馮翊郡置。沙苑あり)、韓城(開皇18年置。関官、梁山、鬼谷あり)、郃陽、朝邑(後魏の南五泉、西魏改称。長春宮、関官、朝阪あり)、澄城(後魏置の澄城郡、北周が五泉県を編入。開皇初郡廃)、蒲城(旧南北二白水。西魏改めて蒲城、白水郡置。開皇初郡廃)、下邽(旧延寿郡。開皇初郡廃、大業初蓮勺県を編入。金氏陂あり)、白水(五竜山・馬蘭山あり)。

扶風郡

  • もと岐州。統県9、戸9万2223。
  • 雍(後魏置の秦平郡、西魏改めて岐山郡、開皇3年郡廃。大業初扶風郡置。岐陽宮あり)、岐山(北周は三龍県、開皇16年改称。後魏の周城県は北周廃。岐山あり)、陳倉(後魏の宛川、西魏改めて陳倉。北周置の顕州、まもなく州県とも廃。開皇18年再置し陳倉と称す。陳倉山・関官あり)、虢(後魏置の武都郡、西魏改めて洛邑県。北周置の翔州、まもなく州廃郡廃、開皇初廃、大業初虢と改称)、郿(旧平陽県、西魏改めて郿城、北周廃し周城県に編入、開皇18年周城を渭浜と改称、大業2年郿と改称。北周置の雲州、建徳中廃。安仁宮・鳳泉宮、太白山・五丈原あり)、普閏(大業初置。仁寿宮、漆水・岐水・杜水あり)、汧源(西魏置の隴東郡・汧陰県、のち杜陽と改称、北周は再び汧陰。開皇3年郡廃、5年汧源と改称。西魏の東秦州、のち隴州と改称、大業3年州廃。関官、隴山・汧山・汧水あり)、汧陽(旧汧陽郡、北周罷む)、南由(後魏置、西魏鎮とし北周復県。旧長蛇県は開皇末廃。関官、盤竜山あり)。

安定郡

  • もと涇州。統県7、戸7万6281。
  • 安定、鶉觚(旧趙平郡。北周郡廃、宜禄県を編入。大業初霊台県を分置、2年廃)、陰盤(後魏置の平涼郡、開皇初郡廃。盧水あり)、朝那(西魏置の安武郡・安武県。開皇3年郡県とも廃入)、良原(大業初置)、臨涇(大業初置、初め湫穀と称しのち改称)、華亭(大業初置。隴水・芮水あり)。

北地郡

  • 後魏の豳州、西魏改めて寧州。大業初再び豳州。統県6、戸7万690。
  • 定安(旧趙興郡。開皇初郡廃、大業初北地郡置)、羅川(旧陽周、開皇中改称。西魏置の顕州、北周廃。橋山あり)、彭原(旧彭陽。後魏置の西北地郡、洛蟠城あり。西魏置の蔚州、豊城あり。西魏置の雲州。北周二州とも廃。開皇初郡廃、18年彭原と改称。珊瑚水あり)、襄楽(後魏置の襄楽郡、北周廃。西魏置の燕州、北周廃。子午山あり)、新平(旧白土、西魏置の豳州。開皇4年新平と改称、大業初州廃)、三水(西魏置の恒州、まもなく廃)。

上郡

  • 後魏の東秦州、のち北華州、西魏改めて敷州。大業2年鄜城郡、のち上郡と改称。統県5、戸5万3489。
  • 洛交(開皇3年置。大業3年上郡置)、内部(旧敷州・内部郡。開皇3年郡廃、大業初州廃)、三川(旧名長城、西魏改称。利仁県はのち編入)、鄜城(後魏の敷城、大業初改称)、洛川(鄜水あり)。

雕陰郡

  • 西魏置の綏州、大業初上州と改称。統県11、戸3万6018。
  • 上県(西魏置の安寧郡、安寧・綏徳・安人の三県を同置。開皇初郡廃、安人を吉万と改称。大業初雕陰郡置、安寧・吉万二県を廃入。北周置の義良県も廃入)、大斌(西魏置、安政郡を立てたが開皇初廃。平水あり)、延福(西魏置、延陵と称し開皇中改称)、儒林(北周置の銀州、開皇3年改称、大業初州廃)、真郷(西魏置。北周置の真郷郡、開皇初郡廃)、開光(旧開光郡、開皇3年郡廃。掞水あり)、銀城(北周置、石城と称しのち改称)、城平(西魏置)、開疆(西魏置。後魏の撫寧郡は開皇3年廃)、撫寧(西魏置)、綏徳(西魏置)。

延安郡

  • 後魏の東夏州。西魏改めて延州、総管府置、開皇中府廃。統県11、戸5万3939。
  • 膚施(大業3年置、延安郡置。豊林山あり)、豊林(後魏置、広武と称し遍城郡置。開皇初郡廃、18年豊林と改称、大業初沃野県を編入)、魏平(後魏置、朔方郡も併置。北周郡廃、朔方・政和二県を編入)、金明(冶官・清水あり)、臨真(西魏置の神水郡・真川県、北周郡廃、大業初真川を編入)、延川(西魏置、文安と称し文安郡置。開皇初郡廃、延川と改称)、延安(西魏置、義郷県も置。大業中義郷を編入)、因城(後魏置。北周廃しのち再置)、義川(西魏置の汾州・義川郡、のち丹州と改称。北周は丹陽と改称。開皇初郡廃、義川と改称、楽川郡も編入。大業初州廃、雲岩県も編入)、汾川(旧安平、北周改めて汾川。大業初門山県を編入)、咸寧(旧永寧、西魏改めて太平。開皇中咸寧と改称)。

弘化郡

  • 西魏置の朔州、北周廃、開皇16年慶州を置く。統県7、戸5万2473。
  • 合水(開皇16年置、大業初弘化郡置)、馬嶺(大業初置)、華池(仁寿初置。西魏置の蔚州、北周廃)、帰徳(西魏置の恒州、北周廃。雕水あり)、洛源(大業初置。博水・洱水あり)、弘化(開皇18年弘州置、大業初州廃)、弘徳(大業初置)。

平涼郡

  • もと原州、北周置の総管府、大業初府廃。統県5、戸2万7995。
  • 平高(後魏置の太平郡、のち平高と改称。開皇初郡廃、大業初平涼郡置。関官、笄頭山あり)、百泉(後魏置の長城郡・黄石県、西魏黄石を長城と改称。開皇初郡廃、大業初百泉と改称)、平涼(北周置。可藍山あり)、会寧(西魏置の会州、北周廃、開皇16年県置。黙亭あり)。

朔方郡

  • 後魏の夏州、北周置の総管府、大業初府廃。統県3、戸1万1673。
  • 岩緑(西魏置の弘化郡。開皇初廃、大業初朔方郡置)、寧朔(北周置)、長沢(西魏置の闡熙郡。後魏の大安郡、長州も置。開皇3年郡廃、山鹿・新蒨二県も編入。大業3年州廃)。

鹽川郡

  • 西魏置の西安州、のち塩州と改称。統県1、戸3763。
  • 五原(後魏置の郡、大興と称す。西魏改めて五原、のち大興。開皇初郡廃、大業初塩川郡置)。

靈武郡

  • 後魏の霊州、北周置の総管府、大業元年府廃。統県6、戸1万2330。
  • 回楽(北周置、普楽郡を帯びる。西魏置の臨河郡。開皇元年臨河郡を新昌と改称、3年郡はすべて廃。大業初霊武郡置)、弘静(開皇11年置。賀蘭山あり)、懐遠(北周置、懐遠郡も併置。開皇3年郡廃)、霊武(北周置、建安と称し、のち歴城郡置。開皇3年郡廃、18年建安を広閏と改称、仁寿元年改称)、鳴沙(北周置の会州、まもなく廃、開皇19年環州・鳴沙県置。大業3年州廃。関官あり)、豊安(開皇10年置)。

榆林郡

  • 開皇20年、勝州を置く。統県3、戸2330。
  • 榆林(開皇7年置。大業初郡置)、富昌(開皇10年置)、金河(開皇3年置、陽寿と称し油雲県も置き、榆関総管も置く。5年雲州総管に改置。18年陽寿を金河と改称、20年雲州移転、二県とも廃。仁寿2年再び金河県を置き関を帯びる)。

五原郡

  • 開皇5年豊州置、仁寿元年総管府置、大業元年府廃。統県3、戸2330。
  • 九原(開皇5年置。大業初郡置)、永豊(開皇5年置)、安化(開皇11年置)。

天水郡

  • もと秦州。北周置の総管府、大業初府廃。統県6、戸5万2130。
  • 上邽(旧称上邽、天水郡を帯びる。開皇初郡廃、大業初再び郡置し県名も改称。濛水あり)、冀城(北周は冀城県、黄瓜県に編入。大業初冀城と改称。石鼓崖あり)、清水(後魏置、清水郡も置。開皇初郡廃。関官、分水嶺あり)、秦嶺(後魏置、伯陽県。開皇中改称)、隴城(旧称略陽、略陽郡置。開皇2年郡廃、県を河陽と改称、6年隴城と改称)、成紀(旧廃、北周置。竜馬城・仙人峡あり)。

隴西郡

  • もと渭州。統県5、戸1万9247。
  • 襄武、隴西(旧城内陶、南安郡置。開皇初郡廃、武陽と改称、10年改称)、渭源(鳥鼠山・渭水あり)、障(後魏置。西魏置の広安郡、北周郡廃)、長川(後魏置の安陽郡、安陽・烏水二県を管轄。西魏改めて北秦州、のち交州。開皇3年郡廃、18年州を紀州、安陽を長川と改称。大業初州廃、烏水も編入)。

金城郡

  • 開皇初、蘭州総管府置、大業初府廃。統県2、戸6818。
  • 金城(旧県名子城、金城郡を帯びる。開皇初郡廃。大業初県を金城と改称、金城郡置。関官あり)、狄道(後魏置の臨洮郡・竜城県、北周ともに廃。後魏置の武始郡、開皇初廃。白石山あり)。

枹罕郡

  • もと河州。統県4、戸1万3157。
  • 枹罕(旧枹罕郡、開皇初郡廃。大業初郡置。関官、鳳林山あり)、竜支(後魏の北金城、西魏改称。唐述山あり)、大夏(金紐山あり)、水池(後魏の蕈川、北周改称)。

澆河郡

  • 北周武帝が吐谷渾を逐い廓州総管府置。開皇初府廃。統県2、戸2240。
  • 河津(北周置の洮河郡、洮河・広威・安戎の三県を管轄。開皇初郡廃、三県を編入。大業初澆河郡置。濫水あり)、達化(北周置の達化郡。開皇初郡廃、綏遠県も編入。連雲山あり)。

西平郡

  • もと鄯州。統県2、戸3118。
  • 湟水(旧称西都、北周置の楽都郡。開皇初郡廃、18年湟水と改称。旧浩亹県、西魏置の竜居・路倉二県はいずれも北周廃。大業初西平郡置。土楼山あり)、化隆(旧魏は広威、西魏置の澆河郡、北周郡廃、仁寿初化隆と改称。抜延山・湟水・盧水あり)。

武威郡

  • もと涼州、北周置の総管府、大業初府廃。統県4、戸1万1705。
  • 姑臧(旧武威郡、開皇初郡廃。大業初再び武威郡置。後魏置の武安郡・襄武県は西魏廃。旧顕美県は北周廃。茅五山あり)、昌松(後魏置の昌松郡、北周郡廃、榆次県を編入。開皇初県を永世、のち昌松と改称。後魏の魏安郡、北周改めて白山県、まもなく廃。白山あり)、番和(後魏置の番和郡。北周郡廃、鎮を置く。開皇中県となり力乾・安寧・広城・障・燕支の五県の地を編入。燕支山あり)、允吾(後魏置、広武と称し広武郡も置。開皇初郡廃、県を邑次と改称、のち広武、また邑次に改称。大業初允吾と改称。青岩山あり)。

張掖郡

  • 西魏置の西涼州、のち甘州と改称。統県3、戸6126。
  • 張掖(旧称永平県、北周置の張掖郡。開皇初郡廃、17年県を酒泉と改称。大業初張掖と改称し張掖郡置。旧臨松県は北周廃。甘峻山・臨松山・合黎山、玉石澗・大柳谷あり)、刪丹(後魏の山丹、西郡・永寧県も置。西魏郡廃、県を弱水と改称。北周は山丹に編入。大業に刪丹と改称。北周置の金山県はまもなく廃入。祀山・塩池・溺水あり)、福禄(旧酒泉郡、開皇初郡廃。仁寿中肅州置、大業初州廃。北周置の楽涫県はまもなく廃。祁連山・崆峒山・崑崙山、石渠あり)。

敦煌郡

  • もと瓜州。統県3、戸7779。
  • 敦煌(旧敦煌郡、北周は效穀・寿皇の二郡を編入。さらに敦煌・鳴沙・平康・效穀・東郷・竜勒の六県を鳴沙県に統合。開皇初郡廃。大業敦煌郡置、鳴沙を敦煌と改称。神沙山・三危山、流沙あり)、常楽(後魏置の常楽郡。北周は涼興・大至・冥安・閏泉を涼興県に統合。開皇初郡廃、常楽と改称。関官あり)、玉門(後魏置の会稽郡。北周郡廃、会稽・新郷・延興を会稽県に統合。開皇中玉門と改称、後魏玉門郡の地も編入)。

鄯善郡

  • 大業5年吐谷渾を平定して置く。鄯善城(古の楼蘭城)に置き且末・西海・河源とあわせ四郡とした。蒲昌海・鄯善水あり。統県2。
  • 顕武、済遠。

且末郡

  • 古の且末城に置く。且末水・薩毗沢あり。統県2。
  • 粛寧、伏戎。

西海郡

  • 古の伏俟城(吐谷渾の国都)に置く。西王母石窟・青海・塩池あり。統県2。
  • 宣徳、威定。

河源郡

  • 古の赤水城に置く。曼頭城・積石山(河の発源地)、七烏海あり。統県2。
  • 遠化、赤水。

  • 『周礼・職方氏』に「正西を雍州という」とある。天文では東井10度から柳8度までが鶉首にあたり、辰では未の方角にあたり秦の分野である。その旧俗は前史が詳しく述べている。姫(周)の徳に化されれば閒田を譲り合う美風が興り、嬴(秦)の弊に習えば互いに稽じ辱め合う風があった。これは土壌の違いというより政教が人を移すためである。京兆は王都の所在で風俗は五方が入り混じり人物も混淆し華戎が雑錯する。農を去り商に従い朝夕の利を争い、遊手を事とし錐刀の末を競う。貴い者は侈靡を崇め賤しい者は仁義を薄くし、豪強は縦横し貧窶は窮蹙する。桴鼓(警鐘)がしばしば鳴り盗賊も絶えない、これは古今変わらぬところである。京城から外郡に至るまで、馮翊・扶風は漢の三輔にあたり風はおおむね京師と変わらない。安定・北地・上郡・隴西・天水・金城は古の六郡の地で人は質直な性を保ち、なお倹約を尚び仁義を習い稼穡に勤め多く牧畜を営み、寇盗も少ない。雕陰・延安・弘化は山胡と接し性は木強な者が多く、女は淫らでも婦は貞節という風があり、これも土地柄であろう。平涼・朔方・鹽川・靈武・榆林・五原は辺荒に接し武を尚ぶ気風が強く、これも習俗のゆえである。河西の諸郡も風はほぼ同じで、いずれも金方(西方)の気を帯びている。

梁州

漢川郡

  • もと梁州。統県8、戸1万1910。
  • 南鄭(旧漢川郡、開皇初郡廃、大業初郡置。西魏置の白雲県も編入。黄牛山・竜岡山あり)、西(旧称勣塚、大業初改称。関官、定軍山・百牢山・街亭山・嶓塚山、漢水あり)、褒城(開皇初は褒内。仁寿9年印を失い改称。関官、女郎山あり)、城固、興勢(旧儻城郡、開皇初郡廃)、西郷(旧称豊寧、洋州・洋川郡置。開皇初郡廃、大業初州廃、西郷と改称。旧懐昌郡、北周懐昌県に改め編入。洋水あり)、黄金、難江(北周置の集州・平桑郡。開皇初郡廃、大業初州廃)。

西城郡

  • 梁置の梁州、のち南梁州と改称。西魏改めて東梁州、のち金州、総管府置。開皇初府廃。統県6、戸1万4341。
  • 金川(梁初は上廉、のち吉陽。西魏改めて吉安、北周は西城を編入。旧金城・吉安の二郡は開皇初廃。18年吉安と改称。大業3年金川と改称、西城郡置。北周置の洵州はまもなく廃。焦陵山あり)、石泉(旧永楽、晋昌郡置。西魏郡を魏昌と改称、のち永楽を石泉と改称、魏寧県を分置。北周は魏昌郡を中城郡に編入、魏寧県も石泉県に編入)、洵陽(旧洵陽郡、開皇初郡廃。洵水あり)、安康(旧寧都、斉置の安康郡、後魏置の東梁州、のち蕭詧が直州と改称。開皇初郡廃、大業初州廃、県を安康と改称)、黄土(西魏置の涓陽郡、北周は郡を改め県を長岡と称し、のち甲郡に編入し県を黄土と改称し赤石・甲・臨江の三県を編入。開皇初郡廃)、豊利(梁置の南上洛郡、西魏郡を豊利と改称。北周は上津郡に編入し熊川・陽川二県を豊利に編入。のち上津郡を甲郡に編入。天心水あり)。

房陵郡

  • 西魏置の光遷国。北周国廃、遷州置。大業初房州と改称。統県4、戸7106。
  • 光遷(旧房陵、新城郡置。梁末岐州置、北周は郡県とも光遷と改称。旧綏州は開皇初郡とともに廃。大業初房陵郡置。房山・霍水あり)、永清(旧大洪、北周改称。照珠山・百武山・沮水・泛水あり)、竹山(梁は安城、西魏改称。羅州置。開皇18年房州と改称、大業初州廃。花林山・懸鼓山あり)、上庸(梁は新豊、西魏改称。北周は孔陽と改称。開皇18年上庸に復した)。

清化郡

  • 巴州置。統県14、戸1万6539。
  • 化成(梁は梁広、帰化郡置。北周化成と改称。開皇初郡廃。大業初清化郡置)、曾口、清化(梁置、伏強と称し木門郡置。開皇3年郡廃、7年清化と改称。伏強山あり)、清水、盤道(梁置、難江と称す。西魏改称。竜腹山あり)、永穆(梁置、永康と称し万栄郡も置。開皇初郡廃、18年改称)、帰仁(梁置、平州県と称す。北周同昌と改称、開皇中改称)、始寧(梁置、遂寧郡も置。開皇初郡廃。始寧山あり)、其章(梁置)、恩陽(梁置、義陽と称す。開皇末改称)、長池(北周置、曲細と称す。開皇末改称)、符陽(旧其章郡、開皇初廃)、白石(文山あり)、安固(梁置。北周置の蓬州、大業初州廃。大蓬山あり)、伏虞(梁置、宣漢と称し伏虞郡も置。開皇初郡廃、18年改称)。

通川郡

  • 梁置の万州、西魏は通州と称す。統県7、戸1万2624。
  • 通川(梁は石城、東関郡置。開皇初郡廃。大業初通川郡置)、三岡(梁置、新安郡に属す。西魏郡を新寧と改称。開皇初郡廃)、石鼓(西魏置の遷州。北周州廃、臨清郡置。開皇初郡廃)、東郷(西魏置の石州、北周州廃、三巴郡置。開皇初郡廃)、宣漢(西魏置の并州・永昌郡。開皇3年郡廃、5年州廃)、西流(後魏の漢興。西魏改称、開州・周安郡・万安郡・江会郡も置。北周は江会を周安に編入。開皇初郡はすべて廃、大業初州廃)、万世(北周置、万世郡も置。開皇初郡廃)。

宕渠郡

  • 梁置の渠州。統県6、戸1万4035。
  • 流江(後魏置、流江郡置。開皇初郡廃、大業初宕渠郡置)、賨城(旧始安。開皇18年改称)、鄰水(梁置、鄰州も置。後魏改めて鄰山郡、開皇初郡廃)、宕渠(梁置、境陽郡も置。開皇初郡廃)、咸安(梁置、綏安と称す。開皇末改称)、墊江(西魏置、容川・容山郡も置。北周は魏安県と改称。開皇初郡廃、18年改称)。

漢陽郡

  • 後魏の南秦州、西魏は成州と称す。統県3、戸1万985。
  • 上禄(旧仇池郡、後魏置の倉泉県。北周は階陵・豊川・建平・城階の四県を編入。開皇初郡廃、大業初漢陽郡置、上禄と改称。百頃堆あり)、潭水(西魏置の潭水郡。北周郡廃、甘若・相山・武定の三県を編入)、長道(後魏置の漢陽郡。北周郡廃、水南県も編入。開皇初郡廃、18年改称)。

臨洮郡

  • 北周武帝が吐谷渾を逐い洮陽郡・洮州置。開皇初郡廃。統県11、戸2万8971。
  • 美相(北周置、洮陽郡も置。開皇初郡廃、洮陽県を編入。大業初監洮郡置)、疊川(北周置の疊州・疊川県。開皇4年総管府置、大業元年府廃。洮水・流水あり)、合川(北周置、西疆郡も置。開皇初郡廃。白嶺山あり)、楽川(北周置)、帰政(開皇2年置、疆沢郡も置、3年廃。北周置の弘州・開遠郡・河浜郡は開皇初廃)、洮源(北周置、金城と称し旭州も置、通義郡も置。開皇初郡廃、18年県を美俗と改称。大業初州廃、洮源と改称)、洮陽(北周置、広恩と称し広恩郡も置。開皇初郡廃、仁寿元年洮河と改称、大業初洮陽と改称)、臨潭(北周は泛潭、開皇11年改称)、臨洮(西魏置、溢楽と称し岷州・同和郡も置。開皇初郡廃、大業初州廃、臨洮と改称。北周置の祐川郡・基城県はまもなく郡県とも廃。岷山・崆峒山あり)、当夷(北周置。洪和郡も置きまもなく廃。博陵郡・博陵県・寧人県も置。開皇初併入)、和政(北周置の洮城郡、まもなく廃)。

宕昌郡

  • 北周置の宕昌国、天和元年宕州総管府置。開皇4年府廃。統県3、戸6996。
  • 良恭(北周置、初め陽宕、宕昌郡置。開皇初郡廃、18年改称。大業初宕昌郡置)、和戎(北周置。良恭山あり)、懐道(北周置の甘松郡、開皇初郡廃)。

武都郡

  • 西魏置の武州。統県7、戸1万780。
  • 将利(旧石門、西魏改めて安育。北周改めて将利、武都郡置、のち永都郡と改称。開皇初郡廃、大業初武都郡置。旧東平県は北周編入。河池水あり)、建威(後魏置の白水郡、郡廃し白水県と改称。西魏再び郡を立て綏戎と改称。北周郡廃、建威県と改称、洪化県も編入。西魏の孔堤郡・県は北周廃)、覆津(後魏初は玩当、武階郡置。西魏置の覆津県、万郡(赤万・接難・五部の三県を管轄)も置。北周は郡・三県・玩当を編入。開皇初武階郡も廃)、盤堤(西魏置、南五部県と称しのち改称。武陽郡・茄蘆県も置。北周郡廃、県を編入)、長松(西魏置、初め建昌、文州・盧北郡も置。開皇初郡廃、18年長松と改称、大業初州廃)、曲水(西魏置)、正西(西魏置)。

同昌郡

  • 西魏が吐谷渾を逐い鄧州置。開皇7年扶州と改称。統県8、戸1万2248。
  • 尚安(西魏置、鄧寧郡も置。開皇初郡廃、大業初同昌郡置。黒水あり)、鉗川(西魏置。鉗川山、白水あり)、貼夷(西魏置、昌寧郡も置。開皇3年郡廃)、同昌(西魏置。鄧至山あり、鄧艾の至った地という)、嘉誠(北周置、竜涸郡・扶州総管府も置。開皇初府廃、3年郡廃、7年州廃。雪山あり)、封徳(後魏置、芳州も置、深泉郡あり、開皇初郡廃、理定県も編入。大業初州廃)、常芬(北周置、恒香郡も置。開皇初郡廃。弱水あり)、金崖(北周置)。

河池郡

  • 後魏置の南岐州、北周は鳳州と改称。統県4、戸1万1202。
  • 梁泉(旧称故道、後魏置の郡、固道と称し県は涼泉、のち梁泉と改称。西魏郡を帰真と改称。北周郡廃、竜安・商楽二県も編入。大業初郡置)、両当(後魏置、両当郡も置。開皇初郡廃)、河池(後魏の広化、広化郡も置。開皇初郡廃、仁寿初改称。後魏置の思安県、大業初編入。河池水あり)、同谷(旧称白石、広業郡置。西魏は同穀と改称、北周置の康州。開皇初郡廃、大業初州廃。泥陽県は西魏廃)。

順政郡

  • 後魏置の東益州、梁は武興蕃王国、西魏改めて興州。統県4、戸4261。
  • 順政(旧称略陽。西魏置の郡、順政と称し県を漢曲、また仇池県を置きのち霊道と改称。開皇初郡廃、18年県を改称。大業初郡置、霊道県を編入)、鳴水(西魏置、落叢と称し落叢郡も置。開皇初郡廃、6年厨北、8年鳴水と改称)、長挙(西魏置、盤頭郡も置。北周郡廃。鳳渓水あり)、修城(旧修城郡、県は広長。北周郡廃、下阪県も編入。仁寿初改称。西魏置の柏樹県は北周廃)。

義城郡

  • 後魏の益州(世に小益州と称す)、梁は黎州、西魏は再び益州のち利州と改称、総管府置。大業初府廃。統県7、戸1万5950。
  • 綿谷(旧称興安、晋寿郡置。開皇初郡廃、18年改称、大業初郡置。華陽郡(梁の華州、西魏はすべて廃)あり。竜門山あり)、益昌、義城(西魏置)、葭萌(後魏の晋安、新巴郡置。開皇初郡廃、18年改称、大業初恩金県を編入)、岐坪、景穀(旧称白石、平興郡置。北周は東洛郡を編入。開皇初郡廃、県を平興と改称、18年景穀と改称、大業初魚般県を編入。関官、木馬山・良珠山、凍水あり)、嘉川(旧宋熙郡、開皇初廃)。

平武郡

  • 西魏置の竜州。統県4、戸5420。
  • 江油(後魏置の江油郡、開皇3年郡廃、大業初郡置。関官あり)、馬盤(後魏置の馬盤郡、開皇3年郡廃)、平武(梁末、李文智が自立し藩王を称すが西魏が県に廃す。涪水・潺水あり)、方維(旧称秦興、建陽郡置。開皇初郡廃、改称)。

汶山郡

  • 北周置の汶州。開皇初蜀州、のち会州、総管府置。大業初府廃。統県11、戸2万4159。
  • 汶山(旧称広陽。梁は北部都尉、繩州・北部郡置。北周は汶州と改称。開皇初郡廃、仁寿元年改称。北川は北周置。竜泉水・鷹門山・襄陽山あり)、汶川(北周置の汝山郡、開皇初郡廃)、交川(開皇初置。関官あり)、通化(開皇初置、金川と称す、仁寿初改称)、左封(北周置、広年と称し広年郡・左封郡も置。開皇初郡はすべて廃。仁寿初改称。北周置の翼州は大業初廃。汶山あり)、平康(北周置。羊腸山あり)、翼水(北周置、竜求と称し清江郡置。開皇初郡廃、清江と改称、18年改称)、翼針(北周置、翼針郡も置。開皇初郡廃。石鏡山あり)、江源(北周置)、通軌(北周置、覃州も置、覃川・栄郷の二郡も置。開皇初郡廃、4年州廃。甘松山あり)。

普安郡

  • 梁置の南梁州、のち安州、西魏は始州と改称。統県7、戸3万1351。
  • 普安(旧称南安。西魏改めて普安、普安郡置。開皇初郡廃、大業初郡置)、永帰(旧称白水、西魏改称)、黄安(旧称華陽、西魏改称、黄原郡も置。開皇初郡廃)、陰平(宋置の北陰平郡、魏置の竜州。西魏郡を陰平と改称、県名も同じ。北周は江油郡から静竜と改称、県を陰平とした。開皇初郡廃)、梓潼(旧称安寿、西魏置の潼川郡。開皇初郡廃、大業初改称。五婦山あり)、武連(旧称武功、輔剣郡置。西魏郡を安都、県を武連と改称。開皇初郡廃)、臨津(旧称胡原。開皇7年改称)。

金山郡

  • 西魏置の潼州。開皇5年綿州と改称。統県7、戸3万6963。
  • 巴西(旧称涪、巴西郡置。西魏県を巴西と改称。開皇初郡廃、大業初金山郡置。塩井あり)、昌隆(雲台山あり)、涪城(旧始平郡、西魏郡を涪城と改称、北周さらに安城と改称。開皇初郡廃、県を安城と改称、16年涪城と改称)、魏城(西魏置)、万安(旧称孱亭、西魏改称、万安郡も置。開皇初郡廃)、神泉(旧称西充国、開皇6年改称)、金山(旧置の益昌・晋興二県、西魏は晋興を益昌に編入、北周別に金山を置く。開皇4年益昌を金山に編入)。

新城郡

  • 梁末置の新州。開皇末梓州と改称。統県5、戸3万727。
  • 郪(旧称伍城。西魏改めて昌城、昌城郡も置。開皇初郡廃、大業初新城郡置、県名も改称)、射洪(西魏置、射江と称す、北周改称)、塩亭(西魏置の塩亭郡、開皇初郡廃。高渠県は大業初編入)、通泉(旧称通泉、西宕渠郡置。西魏郡・県ともに勇泉と改称。開皇初郡廃、県名を改称、光漢県も編入)、飛烏(開皇中置)。

巴西郡

  • 梁置の南梁・北巴州、西魏置の隆州。統県10、戸4万1064。
  • 閬内(梁置の北巴郡、後魏が蜀を平定し盤竜郡置、開皇初郡廃。大業初巴西郡置。盤竜山・天柱山・霊山あり)、南部(旧称南充国、梁は南部、西魏置の新安郡、北周郡廃)、蒼渓(旧称漢昌、開皇末改称)、南充(旧称安漢、宕渠郡置。開皇初郡廃、18年改称)、相如(梁置の梓潼郡、後魏郡廃)、西水(梁置の掌天郡、西魏改めて金遷、開皇初郡廃)、晋城(旧称西充国、梁置の木蘭郡。西魏郡廃、県名改称。閬水あり)、奉国(梁置の白馬・義陽の二郡、開皇初郡廃、義陽県も編入)、儀隴(梁置、隆城郡も置。開皇初郡廃)、大寅。

遂寧郡

  • 北周置の遂州。仁寿2年総管府置、大業初府廃。統県3、戸1万2622。
  • 方義(梁は小渓、東遂寧郡置。西魏県名改称。北周郡を石山と改称。開皇初郡廃、大業初遂寧郡置)、青石(旧称晋興、西魏改称、懐化郡も置。開皇初郡廃)、長江(旧称巴興、西魏改称、懐化郡も置。開皇初郡廃)。

涪陵郡

  • 西魏置の合州。開皇末涪州と改称。統県3、戸9921。
  • 石鏡(旧称墊江、宕渠郡置。西魏郡を墊江、県を石鏡と改称。開皇初郡廃、大業初涪陵郡置)、漢初(梁置の新興郡。西魏郡を清居、県名を漢初と改称。開皇初郡廃)、赤水(開皇8年置)。

巴郡

  • 梁置の楚州。開皇初渝州と改称。統県3、戸1万4423。
  • 巴(旧巴郡、北周は枳・墊江の二県を編入。開皇初郡廃、大業初巴郡置)、江津(旧称江州県、西魏改めて江陽、七門郡置。開皇初郡廃、18年改称)、涪陵(旧称漢平、涪陵郡置。開皇初郡廃、13年改称)。

巴東郡

  • 梁置の信州、北周置の総管府、大業元年府廃。統県14、戸2万1370。
  • 人復(旧巴東郡、県は魚復、西魏改めて人復。開皇初郡廃、大業初巴東郡置。塩井・白塩山あり)、雲安(旧称朐䏰、北周改称)、南浦(北周置の安郷郡、のち県名を安郷、郡名を万川と改称。開皇初郡廃、18年改称)、梁山(西魏置。高梁山、紵渓あり)、大昌(北周置の永昌郡、まもなく廃、北井県も編入)、巫山(旧建平郡、開皇初郡廃。巫山あり)、秭帰(北周は長寧、秭帰郡置。開皇初郡廃、秭帰と改称)、巴東(旧称帰郷、梁置の信陵郡。北周郡廃、県を楽郷と改称。開皇末改称。巫峡あり)、新浦(北周置の周安郡、開皇初郡廃)、盛山(梁は漢豊、西魏改めて永寧、開皇末盛山と改称)、臨江(梁置の臨江郡、北周置の臨州。開皇初郡廃、大業初州廃。平都山、彭渓あり)、武寧(北周置の南州・南都郡・源陽県、のち郡を懐徳、県を武寧と改称。開皇初州郡とも編入)、石城(開皇初庸州置、大業初州廃)、務川(開皇末置)。

蜀郡

  • もと益州、開皇初廃。北周置の総管府。開皇2年西南道行台省置、3年総管府を再置、大業元年府廃。統県13、戸10万5586。
  • 成都(旧蜀郡、新都県も置。梁置の始康郡、西魏廃。開皇初蜀郡廃、新繁も編入。18年新都を興楽と改称。大業初蜀郡置、興楽を編入。旧懐寧・晋熙・宋興・宋寧の四郡は北周ですべて廃。武簷山あり)、双流(旧称広都、寧蜀郡置、のち郡廃。仁寿元年双流と改称。女伎山あり)、新津(北周置、犍為郡も置。開皇初郡廃、大業初僰道県を編入)、晋原(旧称江原、江原郡も置。北周郡廃、県名改称)、清城(旧置の斉基郡、北周廃し清城県とする。鳴鵠山・清城山あり)、九隴(旧称晋寿、梁置の東益州。北周は州廃、九隴郡置、県も九隴と改称。仁寿初濛州置。開皇初郡廃、隴泉・興固・青陽の三県も編入。大業初州廃。太山・道場山あり)、綿竹(旧置の晋熙郡・長楊県・南武都県。北周は二県を晋熙に統合、のち晋熙を陽泉に編入。開皇初郡廃、18年孝水と改称、大業2年綿竹と改称。冶官、綿水、鹿堂山あり)、郫(西魏分置の温江県、開皇初編入。仁寿初万春県を再置、大業初編入。金山・平楽山・天彭門あり)、玄武(旧称伍城、北周置の玄武郡。開皇初郡廃、県名改称。仁寿初凱州置、大業初廃。三堆山・郪江あり)、雒(旧称広漢、広漢郡も置。開皇初郡廃、18年綿竹と改称、大業初雒と改称。西遂寧郡・南陰平郡もあり、北周は西遂寧を懐中に、南陰平郡を南陰平県に改称、のちともに廃)、陽安(旧称牛鞞、西魏改称、武康郡も置。開皇初郡廃。仁寿初簡州置、大業初州廃。塩井あり)、平泉(西魏置、婆閏と称す。開皇18年改称)、金泉(西魏置、金泉郡も置。北周郡廃、白牟県も編入。昌利山・銅官山・石城山あり)。

臨邛郡

  • もと雅州。統県9、戸2万3348。
  • 厳道(西魏置、始陽県と称し蒙山郡置。開皇初郡廃、13年蒙山と改称、まもなく雅州置。大業初臨邛郡置、県名改称。邛来山あり)、名山(旧称蒙山。開皇13年始陽を蒙山、蒙山を名山と改称)、盧山(仁寿末置)、依政(西魏置、邛州も置、大業初廃)、臨邛(旧臨邛郡、開皇初廃。火井あり)、蒱江(西魏置、広定と称す、蒱原郡も置、開皇初郡廃。仁寿初改称)、蒱渓(西魏置)、沈黎(北周置の黎州、まもなく県も廃。開皇中県置。仁寿末登州置、大業初州廃)、漢源(大業初置)。

眉山郡

  • 西魏は眉州、北周は青州、のち嘉州と称す。大業2年再び眉州と改称。統県8、戸2万3799。
  • 竜遊(北周置、峨眉と称し平羌郡も置。開皇初郡廃。9年県を青衣と改称。陳平定の日に竜が水に現れ軍に随って進んだため10年改称。大業初眉山郡置)、平羌(北周置、平羌郡も置。開皇初郡廃)、夾江(開皇3年置)、峨眉(開皇13年置。峨眉山・綏山あり)、通義(旧置の斉通郡・青州。西魏州を眉州と改称。開皇初郡廃、斉通を広通と改称。仁寿元年通義と改称。大業初州廃)、青神(北周置、青神郡も置。開皇初郡廃)、丹稜(北周置、斉楽と称す。開皇中改称)、洪雅(開皇13年置)。

隆山郡

  • 西魏置の陵州。統県5、戸1万1042。
  • 仁寿(梁置の懐仁郡、西魏県を普寧と改称、開皇初郡廃、18年改称。西魏置の蒲亭も大業初隆山郡置に編入)、貴平(西魏置、和仁郡も置。北周は可曇・平井の二県を編入。開皇初郡廃、大業初籍県も編入)、井研始建(開皇11年置。鉄山あり)、隆山(旧称犍為、江州置。西魏県を隆山と改称。北周省州、隆山郡置。開皇初郡廃、江陽県も編入。冶官・鼎鼻山あり)。

資陽郡

  • 西魏置の資州。統県9、戸2万5722。
  • 磐石(北周置、資中郡も置、開皇初郡廃。大業初資陽郡置)、内江(北周置)、威遠(開皇初置)、大牢(開皇13年置)、安岳(北周置、普州も置。大業初州廃)、普慈(北周置の郡、普慈、県は多業と称す。開皇初郡廃、13年改称)、安居(北周置、柔剛と称し安居郡も置。開皇初郡廃、13年改称。隆康は北周置、永康と称す、開皇18年改称)、資陽(北周置)。

瀘川郡

  • 梁置の瀘州。仁寿中総管府置、大業初府廃。統県5、戸1802。
  • 瀘川(旧称江陽、江陽郡も置。開皇初郡廃、大業初瀘川郡置、県名改称)、富世(北周置、洛源郡も置。開皇初郡廃)、江安(旧称漢安、開皇18年改称)、合江(北周置)、綿水(梁置。綿渓あり)。

犍為郡

  • 梁置の戎州。統県4、戸4859。
  • 僰道(北周置、外江と称す。大業初僰道と改称、犍為郡置)、犍為(北周置、武陽と称す。開皇初改称)、南渓(梁置、南広と称し六同郡も置。開皇初郡廃。仁寿初改称)、開辺(開皇6年置、7年訓州廃入。大業初恭州・協州も編入)。

越巂郡

  • 北周置の厳州。開皇6年西寧州と改称、18年巂州と改称。統県6、戸7448。
  • 越巂、邛都、蘇祗(旧亮善郡、開皇初郡廃。孫水あり)、可泉(旧宣化郡、開皇初廃)、台登(旧置の白沙郡、開皇初郡廃)、邛部(旧置の邛部郡、平楽郡も置、開皇初とも廃。巂山あり)。

牂柯郡

  • 開皇初、牂を置く。統県2。
  • 牂柯、賓化。

黔安郡

  • 北周置の黔州、郡は帯びず。統県2、戸1460。
  • 鼓水(開皇13年置。伏牛山あり。塩井を産す)、涪川(開皇5年置)。

  • 梁州は天文で参宿に応じる。周の時代の梁州は雍部に併せられ、漢に及んで再び益州が分置された。『禹貢』では漢川以下の諸郡がその封域である。漢中の人は質朴で文飾がなく利を趨らず、口腹を好み田漁を多く事とし、蓬室柴門の貧しい住まいでも食には必ず肉を兼ねる。鬼神を祀ることを好み忌諱が多く、家人が死ぬと故宅を離れる習わしがあり、道教を崇め張魯の遺風がなお残る。毎年5月15日には酒食を贈り合い賓客が集まり、三元の節よりも盛んである。南山のかたわらには獠戸が雑居し、富裕な家は多く夏人(漢人)と婚姻を結び衣服・住居・言語も華夏とほとんど変わらない。西城・房陵・清化・通川・宕渠は地が連なり風俗もほぼ同じである。漢陽・臨洮・宕昌・武都・同昌・河池、順政・義城・平武・汶山はみな氐羌と雑居し、人はことに勁悍で性は質直、農事に努め狩猟に習熟するが書算には長じない。蜀郡・臨邛・眉山・隆山・資陽・瀘川・巴東・遂寧・巴西・新城・金山・普安・犍為・越巂・牂柯・黔安は蜀の旧域にあたり、地は四方を塞がれ山川が幾重にも重なり水陸の要衝で貨殖の集まる一都の会である。かつて劉備はこの地を頼りに三分の業を成した。金行(西晋)の喪乱以来天下が沸騰すると李氏が先に、譙氏が後にここに拠った。梁氏の滅びかけた頃には武陵王が険を頼んで敗れ、北周の末には王謙が固きを頼んで速やかに禍を招いた。「孟門は祀られず」というのは古人の戒めである。その風俗はおおむね漢中と変わらないが、人は敏慧で軽躁、容貌に見劣りする者が多いものの文学を慕う気風もあり時に才を発揮する者もいる。多くは逸楽に溺れ仕官の志が薄く、老いても郷邑を離れない者も多い。人は工巧に長け綾錦雕鏤の技はほとんど上国に匹敵する。貧家は蓄えを怠り富家はもっぱら利を趨る。家では女が勤めて働き士人は多くは閑居し、宴会では銭を賭ける博戯を好む。小人は情義に薄く父子でも別居することが多い。辺境の富人は多く山沢を独占し財力で夷・獠を使役し、姦利を蓄えその権勢は州県を凌ぐこともある。これもまた旧俗というべきか。さらに獽狿蛮賨という民があり、その居処・風俗・衣服・飲食は獠に近く、また蜀人にも似通っている。