前漢紀前漢孝平皇帝紀 其十三年 21年

公孫禄の直言

  • 州牧を改めて監とし、刺史のような職とした。
  • 莽の子の臨が莽の侍婢と通じ、露見することを恐れて莽を殺そうと謀った。発覚して自殺した。
  • 秋、霜が降りて豆を枯らした。関東は大飢饉となった。
  • 莽が群臣に賊を捕らえる方策を問うた。もと左将軍の公孫禄を召して議に加えた。禄は言った。太史令の宗宣は天文を偽って凶を吉としている。太傅の唐遵は虚飾で名を取っている。国師の劉歆は五経をひっくり返し師法を壊している。明学男の張邯と地理侯の孫陽は井田を作って民に生業を棄てさせた。羲和の唐匡は六管を設けて工商を苦しめた。説符侯の崔発はへつらって取り入り、下の実情が上に通じないようにしている。この数人を誅して天下を慰めるべきである、と。
  • 莽は怒り、虎賁に禄を抱えて退出させた。

田況の献策

  • 当時、民は皆飢えて憂え、州県は慰め安んじることができず、また勝手に兵を出すこともできなかったので、盗賊はますます増えた。
  • ただ翼平連率の田況だけが四万人を動員し、兵車を授け、石に刻んで約束を立てた。赤眉はこれを聞いて境内に入ろうとしなかった。況は自ら弾劾して奏上した。莽は況が勝手に兵を発したことを厳しく責めたが、賊を捕らえたことにかこつけて罪を赦した。
  • 況は自ら出撃を願い出て、向かうところ皆打ち破った。莽は況に青州・徐州の二州牧を兼領させた。
  • 況は請うた。大将を出さず、牧・尹以下を選んでその賞罰を明らかにし、離散した者を集め合わせ、小さな国はその老弱を移して大きな城の中に置き、穀を蓄え力を合わせて固く守るべきである。賊は城を攻めても落とせず、勢いとして集まっていられず、通る先々で食に窮する。そこで招けば降り、撃てば滅ぶ。今、大将軍を出せば郡県はそれに苦しむこと賊よりも甚だしい。すべて召し還し、伝馬の使者に郡県を休ませ、臣に委任されれば二州の盗賊は必ず平らぐ、と。
  • 莽は況を畏れ憎み、ひそかに交代の者を発し、況には書を賜って、代わりの者にその兵を監督させた。況が使者に従って帰ると、斉の地はついに崩れた。