春 封建と火災
- 春正月、広徳夷王の弟の広漢を広平王に立てた。
- 九月、帝の生母である太后の住む桂宮の正殿が火災に遭った。
丞相平当の死
- 三月己酉、丞相の平当が薨じた。当は字を子思、平陵の人。経学に明るく忠実賢明であることで身を立てた。
- 初め丞相に任ぜられたのは冬十月で、関内侯の爵を賜っていた。その春、天子が召して封侯の詔を下そうとしたが、当は病が重いと称して受けなかった。
- 一族はみな、なぜ無理にでも起きて侯の印綬を受け、子孫のためにしないのか、と言った。当は答えた。私は高位にあってすでに無為徒食の責めを負っている。起きて侯の印を受ければ、寝床に戻って死んだとしても罪は余りある。今起きないのは、まさに子孫のためなのだ、と。
- 一月余りで没した。子の晏もまた経学に明るく、位は大司徒に至り防郷侯に封ぜられた。
- 河鼓の宿に彗星が現れた。
夏以降の人事と怪異
- 夏四月丁酉、御史大夫の王嘉を丞相とした。嘉は字を公仲、平陵の人。九江・河南の太守となって治績に名声があった。剛直で度量が大きく威厳があり、天子は敬い重んじた。
- 河南太守の王崇を御史大夫とした。
- 九月、魯頃王の子の郚郷侯閔を魯王に立てた。
- 冬十月、汝南の西平の遂陽で、樗の木が倒れたまま枝葉を生じ、人の形になった。青黄色で顔は白く、頭に髭と髪があり、全長は六尺一寸、耳もあった。
- 十一月壬子、甘泉の泰畤・后土の祠と、長安の南郊・北郊をともに復した。
東平王雲の獄
- 東平王の雲が罪を得て自殺し、雲の后の謁は棄市となった。
- このとき無塩邑の山で石が自ら立ち、道が開けるという異変があった。もと汝南太守の孫寵は遊説によって名を挙げた男で、待詔の河内の息夫躬と結んで事件を探っていた。躬はひそかに寵と謀り、東平王雲を誣告して封爵を得ようと図った。
- 躬は中郎の右師譚とともに、中常侍の宋弘を通じて変事を上告した。かつて泰山で石が立って宣帝が興ったのになぞらえ、東平王雲と后が日夜祈って呪詛し、分不相応な望みを遂げようとしている、と告げたのである。
- 有司に下して取り調べさせ、誅に伏した。
是歳の怪異
- この年、零陵で大木が倒れた。周囲一丈六尺、長さ十丈七尺。民がその根を切ったが、七尺余りはみな枯れていた。三か月して、その木が元の場所にひとりでに立った。
- 東萊に大魚が現れた。長さ一丈八尺、高さ一丈一で、七頭ともみな死んでいた。
- 京房の易伝には、后妃が権を独占すればその妖として倒れた木が再び立ち、正を棄てて淫を行えばその妖として断たれた木が再びつながる、海に巨大な魚が現れるのは邪な人が進んで賢人が疎んじられるしるしである、とある。