前漢紀前漢孝成皇帝紀四 二年 前11年

行幸と封建

  • 春正月、甘泉に行幸し泰畤を郊祀した。
  • 三月、河東に行幸し后土を祠った。
  • 四月、広陵孝王の子の憲を王に立てた。
  • 冬、長楊宮に行幸し、胡の客を従えて大規模な巻狩りを行った。

段会宗、烏孫の番丘を誅す

  • もと烏孫の未振将が大昆彌を殺そうと図ったが、たまたま病死したので漢の誅罰が及ばずにいた。そこで右中郎の段会宗を遣わし、戊己校尉と諸侯国の兵を発して、未振将の子の太子番丘を誅させた。
  • 会宗は、大軍が烏孫に入れば番丘が驚いて逃げ捕らえられなくなると考え、精鋭の騎兵と弩四十張を選んでまっすぐ昆彌の所在地へ赴き、番丘を呼び出してその罪を数え上げ、自ら剣で斬り殺した。
  • 小昆彌の烏黎靡は未振将の従兄の子であり、数千騎を率いて会宗を包囲した。
  • 会宗は誅罰に来た趣旨を告げ、今ここで私を囲んで殺しても、漢にとっては牛の毛を一本抜くほどのことにすぎない、大宛王や郅支の首が藁街に懸けられたのは烏孫も知っているはずだ、と言った。
  • 小昆彌は、なぜ前もって知らせて食事の一つも供させてくれなかったのか、と言った。会宗は、前もって告げれば逃げ隠れて大罪となるのを恐れた、また食事を供して私に引き渡させれば骨肉の情を傷つけると思ったのだ、と答えた。昆彌らは皆納得し、声を上げて泣きながら兵を解いた。
  • 会宗は帰還して関内侯の爵を賜った。会宗は天水の人である。