地震と減省
- 春正月、甘泉に行幸し泰畤で郊祀した。雲陽の民に爵一級、女子には百戸ごとに牛酒を賜った。皇弟の劉音を清河王に立てた。
- 二月戊午、隴西で地震があり、太上皇廟が崩れ落ち、県道や城郭・官寺・家屋が壊れて人を圧死させた。山は崩れ地は裂け、水泉はみな湧き出した。
- 三月、広陵厲王の太子の弟である霸を王に立てた。黄門の乗輿および狗馬、水衡の禁苑、少府の佽飛・外池・厳籞の池田を廃し、貧民に貸し与えた。詔して災害の甚だしい郡国の租賦を免じ、天下に赦した。
- 夏四月、皇太子を立て、御史大夫に関内侯の爵、中二千石に右庶長、天下で父の跡継ぎとなる者に爵一級を賜い、列侯には銭を差をつけて賜った。
史論(荀悅曰)
- 賞罰は国家の利器であり、悪を懲らし善を勧めるためのものである。喜びによって賞を加えず、怒りによって刑を増さない。列侯は重い爵であるから、みだりに加えてよいものではない。
翼奉の対策
- 秋七月己酉、地震があった。詔して直言極諫の士を挙げさせた。東海の翼奉、字は少君が待詔として答えた。
- 人の気が内で逆らえば天地を感動させる。天の変は星気や日食に現れ、地の変は奇怪な物や震動に現れる。そうなるのは陽がその形を用いるからで、人に五臓六体があるのと同じである。五臓は天に象り、六体は地に象る。五臓が病めば気色が顔に現れ、六体が病めば伸び屈みが姿に現れる。地震は陰気が盛んなためである。
- 古の朝廷には必ず同姓がいて親を親しむことを明らかにし、必ず異姓がいて賢を賢とすることを明らかにした。今、左右に同姓はなく、舅と后の家だけを親とし、異姓の臣はまた疎んじられている。二つの后の党派が朝廷に満ちているのだから、陰気が盛んなのも当然ではないか。
- また建章・未央の宮人はそれぞれ百を数え、みな天性を全うできない。定員を設けて制を越える分は出すべきである。今、異変が現れているのに応じなければ災いが続く。その法によれば大水となるが、陰が極まって陽を生じ、かえって大旱となる。甚だしければ火災となる。春秋の宋の伯姫の火災がそれである。
- 奉はさらに上疏した。昔、盤庚は都邑を改めて殷の道を起こし、聖人はこれを美とした。今、国家の郊禘・寝廟・祭祀の礼は多く古に合わず、宮室苑囿は奢侈である。愚考するに、まことに安んじて居るのは難しく、改め作るのはたやすい。陛下が都を洛陽に遷し、成周の居に安んじ、盤庚の徳を兼ね、制度を改め正し、宮室の急がぬ費えを修繕せずにおけば、三年で一年分の蓄えが余ろう。天道には常があり王道には常がない。常がないからこそ有常に応ずるのであり、必ず非常の主があってのちに非常の功が立つ。陛下は留意されたい、と。
- 皇帝はその言を異とした。奉は災異・占候の術を好み、博士・諫議大夫となった。
史高と匡衡
- このころ史高が尚書の事を掌り、蕭望之が副であった。しかし望之は名儒で師傅としての恩もあり、皇帝は信任してその建言・推薦を多く容れた。高は位を充たすだけであった。
- 長安令の楊興が高に説いた。将軍は親戚として政を輔け、天下に並ぶ者なく貴い。それなのに衆庶の議論や誉れが将軍に集まらないのはなぜか。それには聞くところがある。将軍の幕府は海内が仰ぎ望むのに、挙げるのは私門の賓客や乳母の子弟にすぎない。人情としてつい自ら気づかないが、一人がひそかに議すればその言葉は天下に流れる。富貴が身にありながら列士を挙げないのは、狐白の裘を裏返しに着るようなものだ。古人はこれを嫌い、身を低くし心を労して賢を求めることを務めとした。伝には「賢は得がたいから事は賢を待たぬといい、食は得がたいから飽くのに食を俟たぬという」とあるが、これは甚だしい惑いである。今、平原の文学である匡衡は才智に余りがあり経学は絶倫だが、朝廷に足がかりがないゆえ順番待ちのまま遠方にいる。将軍がまことに幕府に召せば学士は挙って心を寄せよう。朝廷に薦めれば必ず国の器となる。それを衆庶に示し、名を後世に流すのもよいではないか、と。
- 高はその言をもっともとし、衡を辟して議曹史とし、郎中に薦めた。
弘恭・石顕と蕭望之の失脚
- 当時、蕭望之・周堪・劉向、および侍中の金敞(安上の子で、公正で敢えて言う人物)の四人が心を同じくして政を輔けていた。一方、中書令の弘恭と僕射の石顕は史高と結び、望之とは合わなかった。恭と顕はいずれもかつて法に坐して宮刑を受けた宦者で、宣帝以来任用されていた。
- 皇帝は即位後、政事を自ら執ることが少なく、ついに顕らに委ねた。望之は、尚書は政の根本であるから賢明な者を選ぶべきで、武帝が後庭で遊宴して以来の体制を改めて士人を用いるべきだと考えた。これによって高・恭・顕らと大いに隙を生じた。
- 待詔の鄭朋・華龍らはいずれも巧知に傾いた人物で行いが汚く、周堪らに取り入ろうとして容れられず、代わりに許氏・史氏に取り入った。上に見えることを求め、望之らを怨んで謗った。恭・顕は朋・龍らに上書させ、望之が車騎将軍を罷めさせ許・史を退けようとしていると告げさせ、望之の休沐の日を狙って二人に上書させた。
- 事は恭・顕に下された。恭・顕は「望之と堪・向は党与を組んで大臣を讒訴し、親戚を謗り、権を専らにしようとしている。臣として不忠、上を誣いて不道である。謁者に詔して廷尉に召致されたい」と奏した。皇帝はよく調べぬまま、下獄を意味すると知らずにその奏を許可した。のち繋獄と聞いて驚き「ただ廷尉に問わせるだけではなかったのか」と顕・恭を責め、即日、望之らを出して政務に復させた。
- 顕・恭は史高に言わせた。陛下は新たに即位して徳化がまだ天下に聞こえておりません。まず師傅を調べさせ、獄に下しながら空しく出したのでは示しがつきません。この機に決着をつけて免ずべきです、と。そこで詔して望之の印綬を収め、堪・向・敞も連坐して皆免ぜられた。朋・龍は黄門侍郎となった。ここから忠臣は退き、奸臣が事を専らにするようになった。
- 六月、関東が大飢饉となり、斉の地では人が人を食った。秋七月、詔して吏に倉廩・府庫を開かせ、飢えと寒さに苦しむ者を賑わせた。
- 皇帝は望之を重んじる気持ちが止まず、詔した。故前将軍の望之は朕を八年傅育し、その功は大きい。関内侯の爵と食邑六百戸を賜い、給事中として朔望に朝せしめる、と。
蕭望之の死とその子孫
- 皇帝はさらに望之を宰相にしようとした。折しも望之の子で侍中散騎常侍中郎将の蕭伋が、望之の先の件について上書して訴えた。事が有司に下されると、有司は「望之が先に坐した件は明白で讒訴した者などいないのに、子に上書させて無辜だと称し引いたのは大臣の体を失うもの、大不敬である。逮捕を請う」と奏した。
- 顕・恭らは望之が平素から高節で屈しないのを知っていて奏した。望之は深く怨望し、非を上に帰し、自ら師傅の恩徳を頼んで、最後まで罪に服さぬでしょう。少しく牢獄で屈服させ、その怏々たる心を抑えれば、聖朝も厚い徳を施しようがあります、と。皇帝は「蕭太傅は平素剛直だ。どうして獄に就こうか」と言ったが、顕らは「人命は至って重いもの、望之の坐する罪は必ず憂うるに足りません」と言い、皇帝はその奏を許した。
- 顕らは謁者を遣わして望之を急ぎ召し、太常に命じて執金吾を発してその邸を囲ませた。使者が至ると望之は自殺しようとしたが、夫人が止め、天子の意ではあるまいと言った。望之は門下生の朱雲に問うた。雲は平素剛直で節を好む士だったので自裁を勧めた。望之は「私はかつて宰相の位に備わり、年は六十を過ぎた。今さら獄に入って生を求めるのは卑しいことではないか」と嘆じ、薬を飲んで死んだ。
- 皇帝はこれを聞いて大いに驚き、手を打って「私はもとより彼が獄に就くまいと疑っていた。やはり私の賢相を殺してしまった」と言った。太官がちょうど食事を進めたが食べようとせず、涙を流して哀慟したので左右も心を動かされた。そこで顕らを召して責問し、皆冠を脱いで謝し、しばらくして許された。
- 子の伋が関内侯の爵を嗣ぎ、毎年使者を遣わして望之の墓を祀ることが終世続いた。
- 望之には八子があり、育・咸・由・伋はみな九卿に至った。
- 蕭育ははじめ茂陵令となった。考課のとき漆令が最下位となって責問された。育がそのために扶風に取りなすと、扶風は大いに怒り「君の課は等六位、自分の身を脱するのが精一杯だろう。左右のことを言う暇があるのか」と言った。退出後、茂陵令は後曹に出頭して職事について答えよと伝えられた。育はまっすぐ出て戻らず、書佐が引き留めようとすると、剣に手をかけて「蕭育は杜陵の男子だ。なぜ後曹などに詣でよう」と言い、そのまま趨り出て官を辞そうとした。翌朝、詔があって召し入れられ、司隷に任じられた。扶風の府門を過ぎると、官属の掾吏数百人が皆車の下で拝謁した。
- 咸と由もそれぞれ赴任地で功績が世に知られ、名は後世に伝わった。
- この年、丞相府で家の雌鶏が雛を伏せているうちにしだいに雄に化し、鶏冠と蹴爪を備えて鳴いた。
匈奴との盟約
- 弘恭が病死し、石顕が中書令となった。
- 車騎将軍の韓昌と光禄大夫の張猛が、呼韓邪単于の侍子を送り帰した。昌と猛は単于がますます盛んになるのを見、また大臣の多くが単于に北へ帰るよう勧めていると聞いて、北へ帰れば約束で縛りにくくなるのを恐れ、単于と盟約を結んだ。漢と匈奴はそれぞれ一家となり、代々の子孫は互いに欺かず殺さず、盗みがあれば互いに通報して誅と賞を行い、寇があれば兵を発して救い合う。あえて約に背く者は天の不祥を受け、子孫代々盟に違わせない、と。昌と猛は単于とともに弱水の東山に登り、白馬を刺し、月支王の頭で作った器で血をすすって盟い、帰還した。
- 公卿の議者は、単于は北へ帰っても害をなすほどではなく、昌と猛が勝手に国家の子孫代々のことを誓ったのは不道に当たる罪だとした。詔により昌と猛は贖罪とされ、盟は解かないこととされた。