- 春正月、使者を遣わして貧民を賑わし、太官を減らし膳を減らし、宰と楽府を省き、楽人を減らした。
- 三月乙亥、皇后に霍氏(霍光の娘)を立てた。丞相以下、郎吏に至るまで差をつけて金帛を賜り、天下に恩赦した。
- 夏四月壬寅、四十九の郡国で地震があり、山が崩れ泉が湧き、宗廟が壊れ落ちた。帝は素服を着て正殿を避けた。五月、大赦。鳳凰が北海の安丘に集まった。
広川王去の暴虐
- 秋、広川王去が罪を得て廃され、上庸に移されて自殺した。去は恵王越の孫である。
- 初め師について易を受けたが、師はしばしば諫めて正した。のち去はその師を内史掾としたが、師はたびたび内史をして王家を厳しく取り締まらせ、正そうとした。去は怒り、ひそかに人を遣わして師の父子を殺したが発覚しなかった。
- その後、寵姫の昭信らの讒言を用いて、姫の昭平ら二人を殺した。話が漏れるのを恐れて婢三人も殺した。昭信が「昭平らを夢に見た」と言うと、去は「虜め、また出てくるとは。私が怖くないのか」と言い、屍を掘り出して焼いて灰にした。
- のち昭信を后に立てた。昭信はさらに寵姫の望卿を讒し、郎吏と密通していると疑わせた。去は望卿を裸にし、諸姫にそれぞれ焼けた鉄を持たせて共に焼かせた。望卿は走って井戸に身を投げ、まだ死んでいないのに唇と鼻を割かれ舌を切られた。昭信と去は共にその体を切り刻んで大釜に入れ、桃の灰と毒薬を加えて煮た。続けて望卿の妹の都も殺した。
- のち去がしばしば姫の栄愛を召して酒を飲んだところ、昭信が讒言し、栄愛は井戸に投げ込まれた。引き上げてまだ死んでいないのに、両目を焼いて潰し、両股を生きたまま切り、鉛と錫を溶かして口に流し込んだ。栄愛は死に、体を切り刻んで棘とともに埋められた。
- 寵愛を受けた者を昭信は讒言してことごとく殺し、合わせて十四人が宮中に埋められた。
- 昭信はまた去に言った。「姫たちは淫らで抑えがたい。舎の門を閉ざして勝手に出入りできぬようにしましょう」。自分の大婢を僕射として外を管理させ、永巷をすべて閉ざし諸舎の門を封じて、鍵を太后に預けた。太后が酒宴を設けたときだけ召し出され、昭信は去とともに十余人の婢を従えて歌わせ遊び戯れた。
- 望卿の母が二人の娘の屍を求めると、昭信は奴に命じて殺させた。のちその奴が捕らえられて自白し、内史と相が罪状を弾劾して奏上した。担当官は去の逮捕と誅殺を求めたが、帝は法を適用するに忍びず、廃して蜀に移した。昭信は棄市となった。