前漢紀前漢孝武皇帝紀六 征和三年 前90年

李広利の降伏と劉屈氂の処刑

  • 春正月、雍に行幸して五畤を祀り、安定・北地に至った。
  • 匈奴が酒泉に侵入し、二人の都尉を殺した。
  • 二月、貳師将軍李広利が十万人を率いて五原から、御史大夫の商丘成が二万人を率いて西河から、重合侯の馬通が四万騎を率いて酒泉から出撃した。商丘成は峻稽山に至って多数を斬首・捕虜とし、馬通は天柱山に至ったが敵は退いたので、車師を招いて降した。いずれも兵を引いて帰ったが、李広利の軍は敗れ、李広利は匈奴に降った。
  • 夏五月、天下に大赦した。
  • 六月壬寅、丞相の劉屈氂が獄に下されて腰斬に処された。劉屈氂は中山靖王の子である。貳師将軍は出征のとき劉屈氂に別れを告げて「どうか君は早く昌邑王を太子に立てるよう請うてほしい。太子さえ立てば君に何の憂いがあろう」と言い、劉屈氂は承知した。劉屈氂の娘は李広利の子の妻であり、昌邑王は李夫人の子であったから、共に立てようとしたのである。武帝はその言葉を聞いて憎んだ。
  • のちに劉屈氂の妻が巫蠱で呪詛した罪に問われ、劉屈氂は腰斬、妻は梟首となった。李広利の妻子も捕らえられた。李広利はこれを聞いて恐れ、匈奴に降ったので、ついに一族を誅された。
  • 秋、大蝗害。