前漢紀前漢孝武皇帝紀五 元封二年 前109年

瓠子の決壊と通天台

  • 冬十月、雍に行幸して五畤を祀った。
  • 春正月、緱氏に行幸し、そのまま東萊に至った。
  • 夏四月、太山を祀り、瓠子に至って黄河の決壊した所に臨み、随行の臣や将軍以下すべてに薪を背負わせて河を塞がせ、「瓠子の歌」を作った。通過した地の刑徒を赦し、身寄りのない者や高齢者に米を賜った。
  • 帰路、甘泉に通天台を築き、長安に飛廉館を作った。公孫卿が「仙人には会えるはずですが、陛下がいつも同じ所におられるので現れないのです」と言ったため、通天台を作って神を待ったのである。

朝鮮

  • 朝鮮王が反いて遼東太守を殺した。天下の死罪の者を募って朝鮮を撃たせた。
  • 朝鮮はもと秦のときは遼東に属していた。漢が興ってからは遠くて守りにくいとして、遼水を境の塞とした。盧綰が反いたとき、燕の人の衛満が亡命して千余人の徒党を集め、遼の地の秦の旧領に居を構え、次第にその東の小さな蛮夷を従えて王となった。領域は数千里四方に及び、塞の外を保って漢の臣となり、子に伝え孫に至った。その孫の右渠が命に背いて服さなかったので、これを討ったのである。
  • 六月、甘泉宮の中に九本の茎を持つ芝草が生えた。武帝はこれを喜んで天下に大赦し、「芝房の歌」を作った。
  • 秋、太山の麓に明堂を作った。
  • 楼船将軍楊僕と左将軍荀彘を遣わし、募集に応じた罪人を率いて朝鮮を撃たせた。
  • また将軍郭昌らを遣わして、まだ服さない西南夷を平定し、その地に益州郡を置いた。