人事
- 冬十二月、丞相の灌嬰が薨じた。諡は隠侯。
- 正月、御史大夫の張倉を丞相、袁盎を御史大夫とした。当時、御史大夫の韋孟の職が空いていた。このとき上は河東太守の季布を召して御史大夫にしようとしたが、酒癖が悪いと聞いて用いず、郡へ帰した。
- 夏五月、劉氏で属籍にある者の家の賦役を免除した。
- 六月、雪が降った。
- 秋九月、斉の悼恵王の子七人を列侯に封じた。
周勃の投獄
- 絳侯周勃が罪を得て捕らえられ、詔獄に繋がれた。周勃は国にあって常に恐れ、郡守が丞や尉を県に巡回させるたびに鎧を着け武器を持っていた。周勃が謀反を企てていると告げる者があり、廷尉に下された。獄吏が侮辱したので、周勃は千金を獄吏に与え、吏はやめた。周勃は公主を証人に立てた。公主は孝文の娘で、太子の勝が娶っていた。薄昭が取りなし、薄太后がひとこと請うた。
- 上は「絳侯は高帝の璽を奉じ、北軍で兵を握っていた。あのときすら反さなかった。今、小さな県にいて反するものか」と言い、周勃を赦して爵邑を戻し国へ帰らせた。周勃は出て「わしはかつて百万の衆を北軍で率いたが、獄吏の尊さを知らなかった」と言った。
- 顧成廟を造った。