前漢紀前漢孝惠皇帝紀 六年 前189年

功臣の死と太尉の再置

  • 十月、斉王肥が薨じた。諡は悼恵王。
  • 夏六月、武陽侯樊噲が薨じた。諡は武侯。
  • 留侯張良が薨じた。諡は文成侯。高帝の十四年に、留侯は果たして穀城山の下で黄石を得ており、薨じたときその石とともに葬られた。
  • 太尉の官を再び置き、周勃を太尉とした。

官制の沿革

  • 太尉は秦の官で武事を掌る。先王が官を立てて以来、名称は同じでなくとも趣旨は一つである。
  • 伏羲氏は竜で名づけ、神農氏は火師として火で名づけ、黄帝は雲師として雲で名づけ、少昊氏は鳥師として鳥で名づけ、顓頊以降は民師として民で名づけた。重・黎・勾芒・祝融・后土・蓐収・玄冥の官があった。
  • 唐虞の世には羲和の四子と十二牧を置いた。禹は司空となって水土を平らげ、棄は后稷となって百穀を播き、契は司徒となって五品を教え、皋陶は士官となって五刑を正し、垂は共工となって器用を便にし、益は虞となって草木鳥獣を育て、伯夷は秩宗となって三礼を司り、夔は典楽となって神と人を和し、竜は納言となって帝命の出入りを掌った。
  • 夏・殷については伝えられるところが少なく、周の官制になって完備した。天官の冢宰、地官の司徒、春官の宗伯、夏官の司馬、秋官の司寇、冬官の司空、これが六卿である。太師・太傅・太保は天子に列して政事を議し、特定の職を統べない。また三少を副として置き、少師・少傅・少保、これが三孤である。卿を兼ねて九となる。
  • 秦は天下を併せて皇帝の号を建て、臣下の官を改め立てた。漢はこれを踏襲して改めず、簡易に従い時宜に随った。

漢の官職

  • 丞相は金印紫綬。左右の丞相があり、天子を助けて万機を治める。高帝が相国と改名して緑綬とし、後にまた丞相とした。
  • 御史大夫は上卿の位で丞相の副。銀印青綬。
  • 太尉には長史があり、丞相には二人の長史を置く。御史大夫には二人の丞を置く。一は中丞といい、外は部刺史を監督する。一は内史といい、機密の文書を掌り、公卿の奏事を受け、弾劾の章を扱う。秩はいずれも千石。武帝は丞相司直を置き、左丞相を助けて不法を挙げる。秩は二千石に準ずる。
  • 前将軍・後将軍・左将軍・右将軍は武衛を掌る。もと周末の官で秦がこれを継いだ。金印紫綬、位は上卿。
  • 太常は郊廟の祭祀・礼楽・典籍を掌る。景帝が太常卿と改名した。
  • 郎中令は宮殿の門戸と宿衛を掌り、属官がある。武帝が光禄勲と改名した。
  • 衛尉は宮門の衛士・屯兵・諸侯の司馬を掌る。
  • 太僕は車馬を掌り、属官がある。
  • 廷尉は刑罰を掌る。
  • 典客は帰順した諸侯や蛮夷を掌る。景帝が大行と改名し、武帝が大鴻臚と改めた。
  • 宗正は親族を掌り、属官がある。
  • 治粟内史は財貨を掌る。景帝が大司農令と改名し、武帝が大司農と改めた。
  • 少府は山海河沢の税と宮中の供養・内職を掌り、属官がある。
  • 以上の九卿は秩がみな中二千石、丞はみな千石。廷尉には丞がなく正・監を置き、秩は千石に準ずる。
  • 中尉は京師の巡邏を掌り、位と秩は卿と同じ。武帝が執金吾と改名した。
  • 太子太傅、少府は古くからの官である。
  • 将作少府は宗室のことを治めるのを掌る。景帝が大匠と改名した。
  • 詹事は皇后・太子の家令を掌る。景帝が長信少府と改名し、武帝が長楽少府と改めた。将作の官は詹事と同じで職を併せ、景帝が大長秋と改名した。成帝は詹事を廃して大長秋に併せた。
  • 典属国は蛮夷の降伏した者を掌る。武帝が職を廃して鴻臚に併せた。
  • 内史は京師を掌る。景帝が左右内史に分置し、武帝が内史を京兆尹、左内史を左馮翊と改名した。
  • 主爵中尉は列侯を掌る。景帝が都尉と改名し、武帝が右扶風と改名した。
  • 太子太傅から右扶風まで、秩は二千石に準じ、丞は六百石。いずれも秦の官で、内史だけが周の官である。
  • 司隷は周の官で、漢では司隷校尉となり、京師の城門の屯兵を掌る。
  • 中塁校尉は北軍の塁門の内外および四つの城門を掌る。屯騎校尉は騎士を掌り、歩兵校尉は上林苑の門の屯兵を掌り、越騎校尉は駅騎の馬を掌り、長水校尉と胡騎校尉は池陽の胡騎を掌り、射声校尉は待詔の射声を掌り、虎賁校尉は輜重と騎士を掌る。いずれも武帝のときに置かれた。
  • 西域都尉は加官として騎都尉を兼ね、西域を守護させる。副校尉があり、宣帝が置いた。司隷以下、副校尉に至るまで秩は二千石に準じ、左右の丞があって秩は六百石。
  • 五官中郎将と左右将軍は秩が二千石に準ずる。光禄大夫も二千石に準ずる。太中大夫は二千石に準じ、議論を掌る。諫議大夫は六百石に準ずる。奉車都尉は天子の乗輿を掌り、駙馬都尉は駙馬を掌り、秩はいずれも二千石。
  • 侍中、左右の諸曹の吏、散騎、中常侍はいずれも加官で、列侯・将軍・大夫・騎都尉・尚封令・太医令・太官令から郎中に至るまで定員がなく、多いときは数十人に及ぶ。侍中と中常侍は加官として禁中に入ることができる。後には侍中が諸曹の吏の綬を特に束ね、尚書の奏事を扱い、諸吏が弾劾を挙げて不法を調べ、散騎は並んで車に従った。
  • 給事中・黄門もまた加官で、大夫・博士・議郎に加えられて顧問応対を掌り、位は中常侍・侍郎に次ぐ。左右には給事中・黄門侍郎があり、位は将軍・大夫に従う。これらの官はみな秦の制である。

爵の二十級と地方の官

  • 爵は二十級ある。一に公士、二に上造、三に簪褭、四に不更、五に大夫、六に官大夫、七に公大夫、八に公乗、九に五大夫、十に左庶長、十一に右庶長、十二に左更、十三に中更、十四に右更、十五に少上造、十六に大上造、十七に駟馬車庶長、十八に大庶長、十九に関内侯、二十に通侯。功労を賞するためのもので、いずれも秦の制である。
  • 諸侯王は高帝が初めて置いた。金印紫綬。
  • 監官は郡県の監察を掌り、秩は六百石に準ずる。後に刺史となった。
  • 郡守はその郡を治め、郡都尉は守を補佐して職を分担する。いずれも丞がある。
  • 県令・県長はその県を治める。一万戸以上を令とし、秩は千石に準じて下は六百石まで。一万戸に満たぬものを長とし、秩はいずれも五百石。いずれも丞と尉がある。すべて秦の制である。
  • 列侯の食邑とする県を国といい、皇太后や公主の食邑を邑といい、蛮夷のいる地を道という。

史論(荀悅曰)

  • 諸侯の制の由来は古い。『易』に「先王は万国を建て諸侯を親しむ」とあり、孔子は『春秋』を作って後世の法とし、世襲の卿を譏りながら世襲の侯は改めなかった。
  • 昔、聖王が天下を保ったのは自分のためではなく民のためであった。権力と利益を独占せず天下と共有し、ただ義に従って私するところがなかった。諸侯を封建してそれぞれの位を世襲させたのは、民を我が子のように親しみ国を我が家のように愛させるためである。そこで賢い卿大夫を置き、成績を考課して昇降させ、土地は分けても民は分けさせず、王者が全体を統べて政を御した。
  • ゆえに国で暴虐な政を行う者があれば、下では民が叛き、上からは王者の誅罰が加わる。損得を計り、賞に励み威を畏れて、それぞれが力を尽くし乱心を抱かなかった。
  • 天子が道を失えば諸侯がこれを正し、王室が弱まれば大国が助けた。無道の者があっても天下を虐げることはできず、賢人君子は上下左右を巡り歩いて互いに支え合った。これらはみな天地の道理を助けて民を導くものである。ゆえに民も君主も双方に利があり、上下ともに便であった。これが先王が長く世を保てたゆえんである。
  • ただし古の建国には大小があり、前代の弊を鑑みて改めてきた。夏・殷のころは百里を超えなかったので諸侯は弱く天子が強く、桀・紂はほしいままに暴虐をふるえた。紂は邢侯を干し肉にし九侯を塩漬けにし、文王ほどの徳をもってしても羑里の幽閉を免れなかった。
  • 周はその弊を承けたので大国は方五百里とし、諸侯を厚遇して自らは抑えた。だが末期には諸侯が強大になって互いに侵伐し、周室は衰えて禍乱が起こった。
  • 秦はその弊を承けながら制度を正して中庸を求めることができず、諸侯を廃して郡県に改め、威権を一つにして天下を独占した。その意図は自分のためであって民のためではない。思慮の浅深、器量の差はなんと隔たっていることか。
  • そこで秦は海内の勢いをほしいままにし、はばかるところなく奢侈と暴虐を行い、十四年で滅んだ。君主が道を失えば天下があまねくその害を被り、百姓がひとたび乱れれば魚が腐り土が崩れるように収拾がつかず、賢人君子にも肩を休める場がなく、庶民にも移り住む先がない。これは民も君主もともに害を受け、上下ともに危うい形である。
  • 漢は周と秦の弊を承けたので両者を併せ用いた。六王・七国の乱が起こったのは、まことに諸侯を強大にしすぎたことの失敗であって、諸侯が国を治めること自体の罪ではない。その後はすべて郡県で民を治め諸侯の権を絶ったが、当時の制がそのまま百王の法とは限らない。

印綬の等級

  • およそ長吏で秩二千石以上はみな銀印青綬、六百石に準ずる以上はみな銅印墨綬、二百石に準ずる以上はみな銅印黄綬。その後は六百石に及ばなくとも、長や相はみな墨綬とした。八百石と五百石の秩は廃した。

史論(荀悅曰)

  • 先王が禄を定めたときは、下は耕作の代わりになるだけの額、上は祭祀を賄えるだけの額とした。ゆえに禄を食む家は下々の民と利を争わず、それによって公の義を励まし私心を塞いだ。それを犯し越える者があれば法で取り締まった。だから君子は励みを覚え、小人も怨まなかった。
  • もし地位に対して禄が薄ければ、外向きの体面が保てず、欠乏を憂え、求めるものが足りず、そこから私利を図る仕組みが芽生える。放任すれば利を貪る心が溢れ、法で締めれば下々の情が怨む。ゆえに地位は徳に見合い、禄は爵に見合わねばならず、一つでも見合わなければ乱の本となる。
  • 今の漢は禄が薄いのに定員外の吏が多く、在位の者は財産を貪り、官と民の利を奪おうと図って際限なく蓄財し、民の利を奪って恥ともしない。そのため清廉な節操は損なわれ、公の義は欠け、富める者は公室に並び、貧しい者は明日の糧にも事欠く。世を救う道ではない。
  • とはいえ古今で制度は異なり、爵や賦も同じでなく、禄もまた同様である。古に及ばぬとしても、時に応じて評価すべきところはある。