前漢紀前漢孝惠皇帝紀 七年 前188年

  • 春正月辛酉朔、日食があった。これを正朔の日食といい、王者はこれを凶とする。
  • 夏五月、日食があった。
  • 秋八月、帝が未央宮で崩じた。太后は哭したが涙が出なかった。侍中の張辟強は張良の子で年は十五余り、陳平に「太后が泣いても涙を落とさぬのは、あなた方が呂氏を危うくするのを恐れているからです。呂産と呂禄を将として南北両軍を監督させるよう願い出れば、太后は必ず喜び、あなた方も禍を免れます」と言った。陳平が従うと、太后は果たして喜び、泣いて涙を落とした。
  • 九月、皇帝を安陵に葬った。

史論(讃曰)

  • 本紀に、孝恵は内には親族を親しみ、外には傅や相を礼遇し、斉の悼恵王や趙の隠王を厚く遇したとある。恩愛の篤い、寛仁の主と言ってよい。
  • ところが呂太后に遭ってその至徳は損なわれ、正しい道が曲げられ流された。まことに悲しむべきことである。