- 漢は堯の後裔を継ぎ、周の運を承け、秦の弊を受け継いだ。高祖が天下を定めた当初から火徳に従い、蛇を斬って瑞兆を示し、旗幟は赤を尊んだ。自然の応であり天の正統を得たのである。
- その後、張蒼は漢を水徳とし、賈誼と公孫弘は土徳とした。劉向父子に至って五行の運行を「子が母を承ける」形で推し、伏羲から漢に至るまでを整理して、漢は火徳とすべきだとした。
- その序列はこうである。『易』に「帝は震より出づ」とあるので太皥は震より出て木徳、伏羲氏と号する。共工氏はこれに続いて水徳だが、水と火の間に位置し、覇であって王ではないので正しい序列ではない。
- 炎帝は木を承けて火を生じ火徳、神農氏と号する。黄帝はこれを承け火より土を生じ土徳、軒轅氏と号する。帝少昊は帝摯を滅ぼしてこれを承け、土より金を生じ金徳、金天氏と号する。帝顓頊はこれを承け金より水を生じ水徳、高陽氏と号する。帝嚳はこれを承け水より木を生じ木徳、高辛氏と号する。
- 帝堯は初め唐に封ぜられ、高辛氏が衰えて天下が帰したので陶唐氏と号し、火徳である。在位九十年で帝舜に位を譲り、有虞氏と号して土徳。在位五十年で伯禹に位を譲り、夏后氏と号して金徳、四百四十二年続いた。湯が桀を伐って天下に王となり殷と号し水徳、六百二十九年。武王が紂を滅ぼして天下に王となり周と号し木徳、七百六十七年。
- 秦の昭王が初めて周を滅ぼしたが諸侯はまだ従いきらず、昭王の曾孫の政がついに天下を併せて始皇帝となった。天下を有すること十四年で、共工氏と同様、正しい序列ではない。周の滅亡から秦の滅亡まで凡そ四十九年、漢祖が秦を滅ぼして漢と号したので火徳となる。
- 昔、陶唐氏の後に劉累という者があり、龍を御する技で孔甲に仕えて御龍氏となった。商では豕韋氏、周では唐杜氏となり、晋に行った系統は范氏、別に秦に留まった系統が劉氏である。戦国の時、劉氏は魏に移り、さらに沛の豊邑・中陽里に移って、そこから高祖が興った。