漢書卷一百下 敘傳第七十下 班固
漢書編纂の趣旨
- 班固は、唐虞三代には典籍があったからこそ後世に業績が伝わったとし、漢は堯の運を継いで帝業を建てたが六代を経て史臣(司馬遷)が私に本紀を作り秦項の列に漢を置いたこと、太初以後は記録が欠けていたことを問題視し、前人の記録を捜し集めて『漢書』を撰したと述べる。高祖に始まり孝平・王莽誅滅に至る十二世・二百三十年の事跡を、五経に照らし合わせて総合的に記述したとし、春秋の体に倣った紀・表・志・伝あわせて百篇からなるとする。
各巻の総括(述)
以下、原文の「述○○第N」に従い、帝紀・表・志・列伝の全百巻それぞれについて班固自身が要約した内容を巻順に記す。
帝紀(十二巻)
- 述髙紀第一: 高祖は堯の後を継ぐ天命を受け、秦の失政に乗じて挙兵、白蛇斬り・神母の符などの瑞祥を伴って天下を平定した。蕭何・曹参・韓信・彭越・張良・陳平ら股肱の臣と共に漢の基を築いた。
- 述恵紀第二・髙后紀第三: 孝恵帝は短命に終わり、高后が称制して呂氏一族を王侯に取り立てたが、天の道理をわきまえなかったため呂氏は滅んだ。
- 述文紀第四: 文帝は恭謙で無為の政をとり、租税を軽くし刑を寛にし、質素を旨として天下を治め、刑清く国富んだ。
- 述景紀第五: 景帝は呉楚七国の乱を平定し、農桑を重んじ法令を整え、民を安んじた。
- 述武紀第六: 武帝は祖業を大いに興し、賢俊を集め、四夷を攘い疆域を広げ、封禅・郊祀・改暦・協律など文教にも力を注いだ。
- 述昭紀第七: 昭帝は幼くして即位、輔政の霍光は忠実であったが、燕王旦・蓋長公主らの謀反が発覚し誅殺された後、国は治まった。
- 述宣紀第八: 宣帝は刑名に明るく人材登用に努め、遠方を懐柔し威霊を輝かせ、匈奴も来朝するに至った。
- 述元紀第九: 元帝は寛柔な性格で老臣を礼遇し言論を容れたが、宦官石顕らが政治を乱した。
- 述成紀第十: 成帝は威儀盛んであったが、後宮では趙氏姉妹に溺れ、政治は外戚王氏に委ねられた。
- 述哀紀第十一: 哀帝は成帝の代の権力集中を憂い自ら政治を執ろうとしたが、董賢を重用するなど過ちも多く、大過を招いた。
- 述平紀第十二: 平帝は幼くして即位、王莽が摂政(宰衡)となったが周公・伊尹のような輔弼の実はなく、天下は治まらなかった。
表(八巻)
- 述異姓諸侯王表第一: 漢初、項羽の分封に倣い異姓の諸侯王が並立した経緯を記す。
- 述諸侯王表第二: 高祖が功臣・宗室を王侯に封じ藩屏とした経緯を記す。
- 述王子侯表第三: 諸侯王の子弟が次々と侯に封ぜられ支族が繁栄した経緯を記す。
- 述髙恵髙后孝文功臣侯表第四: 高祖から文帝期にかけて天下平定に功のあった臣が代々爵土を受け継いだ経緯を記す。
- 述景武昭宣元成哀功臣侯表第五: 景帝・武帝期は軍功による封侯が多く、昭帝以後も功により爵土を得る者があったことを記す。
- 述外戚恩澤侯表第六: 前代の聖王の後裔(二王の後)を存続させた例や、外戚・宰相の恩澤による封侯の是非を記す。
- 述百官公卿表第七: 漢の官制が秦を継承しつつ改革を加えた経緯を、大まかに官職ごとにまとめる。
- 述古今人表第八: 篇章を通じて上下の人物を選び、九品に序列して古今の人物評を通観する。
志(十巻)
- 述律歴志第一: 数の根本は一に始まり、黄鍾の律から度量衡・暦算に至るまでを説き、六家の暦法が分かれた経緯を記す。
- 述禮樂志第二: 先王が易の象に基づき礼楽を制定した由来と、鄭衛の音の流行による風俗の乱れを述べ、大綱のみを存する旨を記す。
- 述刑法志第三: 雷電の卦象に基づく刑罰の由来を述べ、呉起・孫武の権謀、申不害・商鞅の酷烈な法を経て、漢が九章律を定め文帝が肉刑を改めた経緯を記す。
- 述食貨志第四: 民生の根本である農業(食)と貨幣・交易(貨)の制度、井田制から五銖銭に至る変遷を記す。
- 述郊祀志第五: 上古の聖王が百神を祀った本義と、後世の淫祀・方士の惑わしを述べ、郊祀制度の変遷をたどる。
- 述天文志第六: 天体の運行・星辰の変異が人事に応じることを述べ、その占験を記録する。
- 述五行志第七: 河図洛書から続く陰陽五行の理を述べ、災異と咎徴の記録を通じて政事を戒める。
- 述地理志第八: 禹貢以来の九州の地勢・郡県の沿革を記し、山川と疆理の変遷を明らかにする。
- 述溝洫志第九: 禹の治水以来の黄河の氾濫と治水事業(文帝の酸棗塞ぎ、武帝の瓠子の歌、成帝期の治水)の経緯を記す。
- 述蓺文志第十: 伏羲の画卦・孔子の六経編纂以来の学問の系譜と、秦の焚書、劉向による書籍整理・九流分類の経緯を記す。
列伝(七十巻相当)
- 述陳勝項籍𫝊第一: 陳勝・呉広の蜂起に始まり項梁・項籍が秦を滅ぼし諸夏を分割支配するも、暴虐により子嬰を誅し天下を失った経緯。
- 述張耳陳餘𫝊第二: 刎頸の交わりを結んだ張耳・陳余が、覇権をめぐって仇敵となった顛末。甘公らとともに漢の藩輔となった。
- 述魏豹田儋韓信𫝊第三: 魏・斉・韓の旧王族の後裔(魏豹・田儋・韓王信)が一時再興するもまた滅び、田横は最後まで節を全うし従者は義に殉じた。
- 述韓彭英盧吳𫝊第四: 韓信・彭越・英布・盧綰・呉芮――卑賤の出から侯王に昇った者たちが、徳薄くして多くは非業の最期を遂げる中、呉氏のみ子孫が長く続いた。
- 述荆燕吳𫝊第五: 劉賈(荆王)・劉澤(燕王)・劉濞(呉王)ら同族の諸侯王が、呉楚の乱など不軌の企てに関わった経緯。
- 述楚元王𫝊第六: 楚元王劉交の子孫が代々宗正の任を務め、劉徳・劉向・劉歆と三代にわたり学問で名を成した。
- 述季布欒布田叔𫝊第七: 季布は屈辱に耐えて節を全うし、欒布・田叔は義に篤く、民に慕われて祠を立てられた。
- 述髙五王𫝊第八: 高祖の八子のうち諸王の興亡を記し、斉悼恵王の子孫(城陽王・斉孝王)が漢室を守った功を称える。
- 述蕭何曹參𫝊第九: 蕭何・曹参は漢の建国と関中の経営に尽くし、曹参は蕭規曹随の故事で知られる名相となった。
- 述張陳王周𫝊第十: 張良は謀略で漢の腹心となり、陳平は権謀を用いて危機を救い、王陵・周勃・周亜夫は節義を守り呉楚の乱を鎮めた。
- 述樊酈滕灌傅靳周𫝊第十一: 樊噲・酈商・夏侯嬰・灌嬰ら市井の出の将が、高祖に従い功を立て侯に列した経緯。
- 述張周趙任申屠𫝊第十二: 張蒼・周昌・趙堯・任敖・申屠嘉ら、律令の整備や君主を直言で諫めた臣の事跡。
- 述酈陸朱婁叔孫𫝊第十三: 酈食其・陸賈・朱建・婁敬・叔孫通ら、外交や礼制の整備に功のあった臣の事跡。
- 述淮南衡山濟北𫝊第十四: 淮南王劉長・衡山王・済北王ら、驕慢の末に反逆を企てて滅んだ諸侯王の顛末。
- 述蒯伍江息夫𫝊第十五: 蒯通の弁説、伍被の巫蠱事件への連座、江充・息夫躬の讒言による禍乱を記す。
- 述萬石衛直周張𫝊第十六: 万石君石奮とその子孫、衛綰・直不疑・周仁・張欧ら、慎み深い態度で身を保った臣の事跡。
- 述文三王𫝊第十七: 文帝の三子(代孝王・梁孝王・梁懐王)のうち、梁孝王は呉楚の乱で外藩として功があったが、驕慢が過ぎ子孫の多くは嗣を断った。
- 述賈誼𫝊第十八: 賈誼は若くして文帝に登用され、諸侯の分封強化などを説いたが、その建策は呉楚の乱の際に生かされた。
- 述爰盎鼂錯𫝊第十九: 爰盎は直言で成敗を説き、鼂錯は才知に優れながら分不相応な謀により呉楚の乱を招き禍を被った。
- 述張馮汲鄭𫝊第二十: 張釈之は刑法を公正に運用し、馮唐は魏尚を弁護し、汲黯・鄭当時は剛直の節を貫いた。
- 述賈鄒枚路𫝊第二十一: 賈山・鄒陽・枚乗・路温舒ら、直言で君主を諫めた文人の事跡。
- 述竇田灌韓𫝊第二十二: 竇嬰・田蚡・灌夫は互いに反目して禍を招き、韓安国・王恢は匈奴征討をめぐる功罪を分けた。
- 述景十三王𫝊第二十三: 景帝の十三子のうち、魯恭王・江都王・趙敬粛王・中山靖王らそれぞれの善悪、河間献王の礼楽の功などを記す。
- 述李廣蘇建𫝊第二十四: 李広は匈奴に威を示し民心を得たが不遇のうちに没し、子孫にも不幸が続いた。蘇建の子蘇武は使節としての節を全うした。
- 述衛青霍去病𫝊第二十五: 衛青・霍去病は匈奴征討で数々の武功を立て、単于を追い詰め、祁連山に至るまで郡県を置いた。
- 述董仲舒𫝊第二十六: 董仲舒は儒学の大家として二度諸侯の相を務め、致仕後も著述・進言を続けた純儒であった。
- 述司馬相如𫝊第二十七: 司馬相如は「子虚賦」「上林賦」など寓言による諷諭の文章で知られ、賦の宗として仰がれた。
- 述公孫𢎞卜式兒寛𫝊第二十八: 公孫弘・卜式・児寛は微賤の出から賢才を認められ、質素な生活を守りつつ政治を輔佐した。
- 述張湯𫝊第二十九: 張湯は法を厳格に運用して武帝に重用されたが後に禍を被り、子の張安世は温良で子孫まで家門を保った。
- 述杜周𫝊第三十: 杜周は天子の意を汲んで法を運用し出世したが、子の杜延年は寛和な性格で名臣に列した。
- 述張騫李廣利𫝊第三十一: 張騫は西域に使いして功により侯に封ぜられ、李広利は大宛遠征で得るところが少なく、それぞれ運命が分かれた。
- 述司馬遷𫝊第三十二: 司馬遷は李陵の事に連座して刑を受けたが、発憤して『史記』を著し古今の学を総合した一家の書を成した。
- 述武五子𫝊第三十三: 武帝の五子のうち、斉懐王・燕刺王・広陵厲王・昌邑哀王らはそれぞれ非業の最期を遂げ、戻太子の子孫(宣帝)のみが天命を継いだ。
- 述嚴朱吾丘主父徐嚴終王賈𫝊第三十四: 厳助・朱買臣・吾丘寿王・主父偃・徐楽・厳安・終軍・王褒・賈捐之ら、文才で武帝・宣帝に仕えた臣の事跡。
- 述東方朔𫝊第三十五: 東方朔は詼諧滑稽な弁舌で知られつつも、時に正論で武帝を諫めた。
- 述公孫劉田楊王蔡陳鄭𫝊第三十六: 公孫賀・劉屈氂・田千秋・楊敞・王訢・蔡義・陳万年・鄭弘ら、丞相・重臣の事跡を記す。
- 述楊胡朱梅云𫝊第三十七: 楊王孫・胡建・朱雲・梅福・云敞ら、狂狷ながらも節を貫いた士人の事跡。
- 述霍光金日磾𫝊第三十八: 霍光は武帝の遺命を受け昭帝を輔弼したが一族は驕慢により滅び、金日磾の子孫は忠信により長く栄えた。
- 述趙充國辛慶忌𫝊第三十九: 趙充国は戦わずして西羌を平定する屯田策を説き、辛慶忌・辛武賢父子も名将として知られた。
- 述𫝊常鄭甘陳段𫝊第四十: 傅介子・常恵・鄭吉・甘延寿・陳湯・段会宗ら、西域経営で功を立てた臣の事跡(陳湯の郅支単于討伐を含む)。
- 述雋疏于薛平彭𫝊第四十一: 雋不疑・疏広・于定国・薛広徳・平当・彭宣ら、進退を弁え名節を全うした臣の事跡。
- 述王貢兩龔鮑𫝊第四十二: 王吉・貢禹・両龔(龔勝・龔舎)・鮑宣ら、隠逸の節を持しつつ徳により登用された士人の事跡。
- 述韋賢𫝊第四十三: 韋賢・韋玄成父子は詩礼に通じ謙譲の徳を重んじ、宗廟制度の改革を主導した。
- 述魏相丙吉𫝊第四十四: 魏相は権臣(霍氏)の専横を抑え君道を明らかにし、丙吉は寛容の徳で天子を輔けた。
- 述眭兩夏侯京翼李𫝊第四十五: 眭弘・夏侯始昌・夏侯勝・京房・翼奉・李尋ら、災異・占術を説いた学者の事跡。
- 述趙尹韓張兩王𫝊第四十六: 趙広漢・尹翁帰・韓延寿・張敞・王尊・王章ら、京兆尹などとして治績を挙げた能吏の事跡。
- 述蓋諸葛劉鄭毋將孫何𫝊第四十七: 蓋寛饒・諸葛豊・劉輔・鄭崇・毋将隆・孫宝・何並ら、剛直の士人の事跡。
- 述蕭望之𫝊第四十八: 蕭望之は元帝の輔政に当たったが、宦官石顕・外戚許史の勢力により失脚した。
- 述馮奉世𫝊第四十九: 馮奉世は西域で武功を立て、子の馮野王らも良吏として知られた。
- 述宣元六王𫝊第五十: 宣帝・元帝の諸子(淮陽憲王・楚孝王・東平思王・中山哀王・定陶恭王ら)の事跡を記し、哀帝・平帝がその子孫から立てられたことを述べる。
- 述匡張孔馬𫝊第五十一: 匡衡・張禹・孔光・馬宮ら、丞相として功罪相半ばした臣の事跡(朱雲の「張禹を斬れ」の直言も含む)。
- 述王商史丹傅喜𫝊第五十二: 王商は王鳳の讒言により排斥され、史丹は成帝の輔導に尽くし、傅喜は節を守って傅太后への阿附を拒んだ。
- 述薛宣朱博𫝊第五十三: 薛宣・朱博は法治に長じ武略にも通じたが、徳が地位に伴わず晩節を全うできなかった。
- 述翟方進𫝊第五十四: 翟方進は儒学と法をあわせ用いる能才であったが、災異を理由に自死を迫られた。
- 述谷永杜鄴𫝊第五十五: 谷永・杜鄴は災異を説いて政治を諫めたが、丁氏・傅氏の専横を止められなかった。
- 述何武王嘉師丹傳第五十六: 何武・王嘉・師丹は哀帝期に丁氏・傅氏・董賢の専権を諫めて禍を被った忠臣として並称される。
- 述揚雄𫝊第五十七: 揚雄は司馬相如の賦業に倣いつつ、後に賦作をやめて『法言』『太玄経』の著述に専念した。
- 述儒林𫝊第五十八: 秦の焚書で失われかけた儒学が漢代に復興し、諸学派に分かれて師承された経緯を記す。
- 述循吏𫝊第五十九: 良吏の徳による感化が民を善に導いた例を記し、その遺徳が今も慕われることを述べる。
- 述酷吏𫝊第六十: 法を厳酷に用いて姦悪を取り締まった官吏が、多くは自らも非業の最期を遂げたことを記す。
- 述貨殖𫝊第六十一: 富を蓄えて奢侈に耽り風俗を乱した豪商の事跡を記し、均分の道を説く。
- 述游俠𫝊第六十二: 任侠の徒が私的な威力で法を乱した実態を記し、礼法による統制の必要を説く。
- 述佞幸𫝊第六十三: 佞幸により富貴を得た者たちの実態を記し、後世への戒めとする。
- 述匈奴𫝊第六十四: 周宣王以来の北方異民族との関係、高祖の平城の困厄から武帝の討伐、宣帝期の五代にわたる服属、王莽期の離反までの匈奴関係史を記す。
- 述西南夷兩越朝鮮𫝊第六十五: 南越の趙佗、閩越・東甌、朝鮮など、西南・南方・東方の異民族と漢との関係史を記す。
- 述西域𫝊第六十六: 西域諸国との関係史、武帝の大宛遠征、烏孫への公主降嫁、都護の設置による三十六国の統轄までを記す。
- 述外戚𫝊第六十七: 高后から歴代皇后・外戚に至る禍福の変転を記し、薄太后・竇太后ら地位と一族を全うした例は少数であったことを述べる。
- 述元后𫝊第六十八: 元帝の后・元后(王政君)とその一族(王鳳・王商・王根ら)の専権と、王莽の簒奪に至る経緯を記す。
- 述王莽𫝊第六十九: 王莽が漢を簒奪し、暴虐と偽善により天下の怨みを買い、ついに誅滅されるに至った経緯を記す。
- 述敘𫝊第七十: 本書全体(帝紀・表・志・列伝百篇)が天地陰陽・古今の人事・制度文物を網羅していることを総括し、自ら「敘伝」を著した意図を述べる。