狼が羊を牧するがごとき治
- 寗成、南陽穣の人。郎謁者として景帝に仕え、気性が荒く小吏の時から必ず上役を凌いだ。人の上に立てば部下を急かすこと、湿った物を強く束ねるように厳しかった。狡猾で猛々しく次第に済南都尉に昇進、郅都が済南太守であった当時、それ以前の都尉たちは徒歩で府に入り吏を通じて謁見していたが、成は都を凌ぐ勢いで直接出入りした。都は成の評判を聞いており、これを厚遇し交わりを結んだ。都の死後、長安近辺の宗室に法を犯す者が多くなり、上は成を中尉に召した。その治めぶりは郅都に匹敵したが廉直さでは及ばなかった。宗室・豪傑は皆おののき恐れた。武帝即位後、内史に転じたが外戚に短所を突かれ罪に問われ髠鉗の刑を受けた。当時、九卿は罪に問われれば即死するか軽い刑罰にとどまることが多かったが、成は極刑に等しい扱いを受け、もはや二度と用いられぬと悟り、鎖を外して符を偽造し関を出て帰郷した。「仕えて二千石に至らず、商いで千万を得ないなら人並みとは言えぬ」と語り、田千余頃を貸借して貧民数千家を役使し、数年で恩赦にあい数千万の財を成し、任侠の徒として吏の弱みを握り数十騎を従え、その民への威勢は郡守を凌ぐほどであった。