漢書卷八十一 匡張孔馬傳第五十一 馬宮

孔光を継いだ大司徒

  • 馬宮、字は游卿。東海戚の人。春秋厳氏学に通じ射策甲科で郎となり、師丹の推薦で廷尉平・地方太守を歴任、詹事・光禄勲・右将軍を経て孔光の後任として大司徒となり扶徳侯に封じられた。孔光が太師に転じると馬宮がその後を襲い太師兼司徒となった。哀帝期の傅太后の諡号議論に加担した過去を王莽から追及されると、自ら罪を認めて謝罪し辞意を示し、その率直さを評価されて留任を許された。王莽簒位後は太子師として官途を全うした。もと馬姓ではなく仕学の過程で馬氏を称したという。

史論

  • 賛:孝武帝が学を興して以来、公孫弘が儒者として丞相となったのを皮切りに、蔡義・韋賢・韋玄成・匡衡・張禹・翟方進・孔光・平当・馬宮とその子晏に至るまで、皆儒宗として宰相の位に就き、儒者の衣冠を身にまとい先王の言を伝え、その温厚な人柄には見るべきものがあった。しかしいずれも禄位を保つことに汲々とし、阿諛追従の譏りを免れなかった。古人の直道の跡に照らせば、その任に堪えたとは言い難い。