漢書卷七十一 雋疏于薛平彭傳第四十一 薛廣德

直言の諫争

  • 薛広徳、字は長卿。沛郡相の人。魯詩で教授し蕭望之に見出されて御史大夫の属となり、博士・諫大夫・長信少府を経て御史大夫となった。温雅で醞藉の人柄であったが直言を憚らず、甘泉での郊祀の後に武帝が留まって狩猟にふけろうとした際、上疏で「関東は困窮している、亡秦の鐘を撞き鄭衞の楽を聴くのは民の疲弊を顧みぬ振る舞い」と諫めて即日還幸させた。酎祭で楼船に乗ろうとした天子に対し、橋を渡るよう頓首して諫め「聴かれなければ自ら血で車輪を汚す」とまで述べ、天子は不快であったが張猛の取り成しもあり橋を渡った。凶作の年に丞相于定国・大司馬車騎将軍史高と共に乞骸骨し、安車駟馬・黄金を賜って帰郷、その安車を子孫に伝えて名誉とした。