漢書卷七十 傅常鄭甘陳叚傳第四十 常惠

烏孫との協同で匈奴を破る

  • 常惠、太原の人。若くして応募し栘中監蘇武に従い匈奴に使いし十余年抑留された。昭帝の代に帰還し光禄大夫となる。烏孫公主の上書により匈奴・車師連合が烏孫を侵していることが伝わると、本始二年、恵は烏孫への使者として遣わされ、宣帝の代に漢は十五万騎を五将軍で分道出撃させ、恵は校尉として節を持ち烏孫兵を護し、昆弾自ら翕侯以下五万余騎を率いて西方から右谷蠡庭に至り、単于の父の一族や名王騎将以下三万九千人を得、馬牛驢騾橐駝五万余匹・羊六十余万頭を鹵獲した(鹵獲は烏孫が自ら取った)。恵は帰途、昆弾の下で印綬・節を盗まれ自ら誅を待ったが、五将軍がいずれも功なき中、恵のみ克獲の功により長羅侯に封じられた。恵はさらに烏孫の功臣に金幣を賜与する使いに立ち、龜茲がかつて校尉頼丹を殺した罪を討たんと請い、霍光の許しを得て便宜従事し、西国・龜茲東国・烏孫の兵合わせて四万余で龜茲を包囲、龜茲王に旧悪の主犯姑翼を差し出させて斬った。後に蘇武に代わり典属国となり、甘露中に趙充国の薨後、右将軍典属国を兼ね、元帝の代に薨じ諡は壮武侯。子孫は建武中に国が絶えた。