漢書卷七十 傅常鄭甘陳叚傳第四十 鄭吉
西域都護の始まり
- 鄭吉、会稽の人。卒伍から従軍し西域事情に通じ、渠犁の屯田に携わった。宣帝の代、諸国兵を発して車師を破り、衛司馬として鄯善以西の道を護した。神爵中、匈奴の日逐王先賢撣が降を望んだ際、吉は渠犁・龜茲など諸国五万人を発して迎え、日逐王とその衆一万二千余人を長安に送り、日逐王は帰徳侯に封じられた。吉は車師を破り日逐を降した威で烏壘城に莫府を置き、西域の南北道を併護する初の都護となった。詔は「単于の従兄日逐王衆を降し車師兠訾城を撃破した功」を称え、安遠侯に封じた。西域への号令は張騫に始まり鄭吉に成ると評される。吉の薨後、諡は繆侯。子の光が嗣ぐが無子で国は絶え、元始年間曾孫の永が安遠侯に再封された。