老いた学者丞相
- 蔡義は河内温の人である。経学に明るく大将軍の幕府に給事したが家は貧しく常に徒歩で通い、身なりが人並みでなかったため門下の好事家が銭を出し合い犢車を買い与え乗らせた。数年後、覆盎城門候に補された。詔で韓詩に通ずる者を求め義が待詔に徴されたが久しく召見されなかった。義は「臣は山東の草莱の人で行いも人並みでなく容貌も他に劣りますが、人倫を捨てず先師に道を聞き経術に自らを託しています、どうか静かな場で精思を尽くさせてください」と上疏した。上は召見し義が詩を説くのを聞き大いに喜び光禄大夫給事中に抜擢し昭帝に教授させ、数年後少府を拝し御史大夫に遷り楊敞に代わり丞相となり陽平侯に封じられた。さらに定策・宗廟安定の功により封を益され黄金二百斤を賜った。
- 義が丞相となった時すでに八十余歳、背は低く須眉もなく老婆のような容貌で歩行も俯き腰が曲がり常に二人の吏に脇を支えられてようやく歩けるほどであった。当時大将軍霍光が政を秉り、議者の中には「光は宰相の選定に賢を選ばず専制しやすい者を用いているだけだ」と言う者もあり、光はこれを聞き侍中・左右・官属に「主の師たるべき者を宰相とすべきなのになぜそのようなことを言うのか、この話は天下に聞かせてはならない」と述べた。義は丞相を四年務め薨じ諡は節侯。子がなく国は除かれた。