漢書卷六十四 嚴朱吾丘主父徐嚴終王賈傳第三十四 徐樂
土崩瓦解の論
- 徐楽は燕郡無終の人である。上書して「天下の患いは土崩にあり瓦解にはない、古今変わらぬ理」と述べた。「土崩とは秦の末世がこれに当たる。陳渉は千乗の尊も尺土の地も王公大人の後裔たる名族も郷里の誉れも孔子・曾子・墨子ほどの賢も陶朱・猗頓ほどの富もなかったが、窮巷から起ち棘の柄を奮い偏袒して呼び声を上げると天下が風に従うように靡いた。これは民が困窮し主が恤まず、下が怨み上が知らず、俗が乱れ政が修まっていなかったためで、これが陳渉の資となった、これを土崩と呼ぶ」と説明した。
- 「瓦解とは呉楚斉趙の兵がこれに当たる。七国は大逆を謀り皆万乗の君を称し甲を帯びた者数十万を擁し境内を厳しく治め士民を励ますに十分な財力を持ちながら、西へ尺寸の地も奪えず身は中原で捕らえられた。これは権力が匹夫より軽く兵が陳渉より弱かったからではなく、当時先帝の徳がまだ衰えておらず土地に安んじ俗を楽しむ民が多く諸侯に境外の助けがなかったためで、これを瓦解と呼ぶ」と説明し、「天下の患いは瓦解にはない」と述べた。
- こう見れば、天下に真に土崩の勢があれば布衣窮巷の士でも先んじて乱を起こし海内を危うくすることができる(陳渉がその例)、まして三晋(韓魏趙)の王がなお存すればなおさらであり、逆に土崩の勢さえなければ強国勁兵があっても踵を返す間もなく身は擒われる(呉楚がその例)、まして群臣百姓が乱を為せようかと論じ、この二つの理を明君は留意すべきだと説いた。「近年関東で五穀の不作が続き民は窮困し辺境の事も重なり、道理から推せば民は安んじていられぬはずで、安んじられなければ動きやすく、動きやすいのが土崩の勢である。ゆえに賢主は万化の源を独り観察し安危の機に明るく廟堂で修めて未形の患を消す、その要は天下に土崩の勢を無からしめることに尽きる」と述べた。
- そうすれば「たとえ強国勁兵があっても、陛下が走獣を逐い飛鳥を射て燕游の苑に楽しみ馳騁の楽を心のままに、金石糸竹の音を絶やさず、帷幄の私・俳優朱儒の笑いも絶やさなくとも、天下に宿憂は生じない、名を必ずしも夏・湯のごとくとせず俗も成王・康王のごとくとする必要はない」としつつも、「陛下の天性の質と寛仁の資をもって天下を務めとすれば、禹湯の名も及ばぬことはなく成康の俗も再興できぬことはない」と述べ、この二つの理が確立されて初めて尊安の実に処し広誉を当世に揚げ天下に親しまれ四夷を服し、南面して依に背き袂を摂して天下を揖する境地に至れると論じた。「王道を図って成らずとも、その末端でも十分に安んじられる、安んじられれば何を求めても得られ、何の威も成らぬことなく、何を征しても服さぬことはない」と結んだ。