漢書卷三十 藝文志第十
序言:劉向・劉歆の校書と七略の成立
- 孔子没後に微言(深い意味を持つ言葉)が絶え、七十子(弟子の代表的な七十余人)が没すると大義が乖離し、『春秋』は五家(左氏・公羊・穀梁・鄒氏・夾氏)、『詩』は四家(毛・斉・魯・韓)に分かれ、『易』にも数家の伝が生まれた。戦国の縦横家が真偽を争い諸子の言が入り乱れる中、秦は書を焼いて民を愚かにしようとしたが、漢が興ってその失を改め篇籍を広く収集する道を開いた。武帝の代までに書は散逸し礼楽も崩れたため、武帝は蔵書の策を建てて写書の官を置き、諸子・伝説を秘府に納めさせた。
- 成帝の代、書の散逸を憂えて謁者陳農に天下の遺書を求めさせ、光禄大夫劉向に経伝・諸子・詩賦を、歩兵校尉任宏に兵書を、太史令尹咸に数術を、侍医李柱国に方技を校訂させ、劉向は一書ごとに篇目を条書きし要旨を録して奏上した。向の没後、哀帝は子の劉歆にその業を継がせ、歆は群書を総べて『七略』(輯略・六芸略・諸子略・詩賦略・兵書略・術数略・方技略)を奏上した。班固は今これを刪って要を取り篇籍に備えるとする。
六芸略:易
- 『易経』十二篇(上下経及び十翼、施・孟・梁丘の三家が伝える)。易伝は周氏二篇、服氏二篇、楊氏二篇、蔡公二篇、韓氏二篇、王氏二篇、丁氏(丁寛)八篇、『古五子』十八篇(甲子から壬子まで易陰陽を説く)、淮南王安が招いた九師の説『淮南道訓』二篇、『古雑』八十篇、『雑災異』三十五篇、『神輸』五篇(図一)、孟氏京房の『易』十一篇、災異孟氏京房六十六篇、五鹿充宗『畧説』三篇、京氏段嘉十二篇、施孟梁丘氏の章句各二篇。凡そ易十三家二百九十四篇。
- 易は伏羲が天地・鳥獣の文様を観て八卦を作り神明の徳に通じたのに始まり、殷周の際、紂の暴虐に対し文王が諸侯として天命に従い六爻を重ねて上下篇を作り、孔子が彖・象・繋辞・文言・序卦等十篇を作ったため「人は三聖(伏羲・文王・孔子)を経て世は三古を歴る」と言われる。秦の焚書でも易は占筮の書として伝わり続け、漢では田何が伝えて宣帝・元帝の頃には施・孟・梁丘・京氏が学官に列し、民間には費・高二家の説もあった。劉向が中古文易経で施孟梁丘の経を校したところ、費氏経のみ古文と一致したという。
六芸略:書・詩
- 『尚書古文経』四十六巻(五十七篇)、『経』二十九巻(大小夏侯・欧陽が伝授)、『伝』四十一篇、欧陽章句三十一巻、大小夏侯章句各二十九巻、大小夏侯解故二十九篇、欧陽説義二篇、劉向『五行伝記』十一巻、許商『五行伝記』一篇、『周書』七十一篇(今存四十五篇)、『議奏』四十二篇(宣帝期の石渠論)。凡そ書九家四百十二篇。
- 『易』に「河は図を出し洛は書を出す」とあるように書の起源は遠く、孔子が上は堯、下は秦に至るまで百篇を篹して序を作った。秦の禁書の中、済南の伏生が独り壁に蔵して漢興後に二十九篇を得て斉魯の間に教え、宣帝の頃には欧陽・大小夏侯氏が学官に立った。古文尚書は孔子の壁中から出た(武帝末、魯共王が孔子の旧宅を壊した際に発見、孔安国が二十九篇と照合して十六篇を多く得た)が、巫蠱の獄のため学官には立たなかった。劉向が中古文で校した結果、酒誥・召誥に脱簡があり、文字の異なる箇所七百余、脱字数十を数えたという。
- 『詩経』二十八巻(魯斉韓三家)、魯故二十五巻、魯説二十八巻、斉后氏故・斉孫氏故・斉后氏伝・斉孫氏伝・斉雑記、韓故三十六巻、韓内伝四巻、韓外伝六巻、韓説四十一巻、毛詩二十九巻、毛詩故訓伝三十巻。凡そ詩六家四百十六巻。
- 『尚書』に「詩は志を言い歌は言を詠う」とあるとおり、哀楽の心が動いて詩となる。古に采詩の官があり王者はこれで風俗を観て得失を正した。孔子が周・殷・魯の詩から三百五篇を純取し、秦の焚書を免れたのは諷誦されて竹帛のみに頼らなかったためという。漢興後、魯の申公・斉の轅固・燕の韓生がそれぞれ伝を作ったが「みな本義を得ていない中で魯が最も近い」とされ、三家が学官に立ち、別に毛公の学(子夏に発すると自称)が河間献王に愛好されたが立たなかった。
六芸略:礼・楽
- 『礼古経』五十六巻(経十七篇、后氏・戴氏)、『記』百三十一篇(七十子後学の記)、『明堂陰陽』三十三篇、『王史氏』二十一篇、『曲台后倉』九篇、『中庸説』二篇、『明堂陰陽説』五篇、『周官経』六篇(王莽期に劉歆が博士を置いた、今の周礼)、『周官伝』四篇、『軍礼司馬法』百五十五篇、『古封禅群祀』二十二篇、『封禅議対』十九篇(武帝期)、『漢封禅群祀』三十六篇、『議奏』三十八篇(石渠論)。凡そ礼十三家五百五十五篇。
- 礼は帝王の質文が世々損益されつつ「礼経三百、威儀三千」と称されるまでに整備されたが、周の衰えとともに諸侯が法度を踰えることを嫌って籍を滅ぼし、秦でさらに大壊した。漢興、魯の高堂生が士礼十七篇を伝え、宣帝の頃、后倉に学んだ戴徳・戴聖・慶普の三家が学官に立った。礼古経は魯の淹中及び孔子壁中から出て、明堂陰陽・王史氏の記には天子・諸侯・卿大夫の制も多く見え、士礼を天子にまで及ぼす説として重んじられたという。
- 『楽記』二十三篇、『王禹記』二十四篇、『雅歌詩』四篇、『雅琴趙氏』七篇(趙定)、『雅琴師氏』八篇、『雅琴龍氏』九十九篇(龍徳)。凡そ楽六家百六十五篇(淮南・劉向らの琴頌七篇を含む)。
- 「先王作楽崇徳」(易)、「移風易俗は楽に如くはなし」(孝経)の言のとおり礼楽は並び行われるべきものだが、周の衰えとともに楽はとりわけ微妙となり鄭衛の乱に遺法を失った。漢では制氏が雅楽の声律を世襲したが鏗鏘鼓舞は伝えても義は言えず、文帝期に魏の楽人竇公が周官大宗伯の大司楽章を献じ、武帝期には河間献王が『楽記』を編み、成帝期には王禹がその学を伝えたが道はますます微かになったという。
六芸略:春秋・論語・孝経・小学
- 『春秋古経』十二篇(経十一巻、公羊穀梁二家)、『左氏伝』三十巻(左丘明)、『公羊伝』十一巻、『穀梁伝』十一巻、『鄒氏伝』十一巻、『夾氏伝』十一巻(録のみで書なし)、『左氏微』二篇、『鐸氏微』三篇(楚太傅鐸椒)、『張氏微』十篇、『虞氏微伝』二篇(趙相虞卿)、『公羊外伝』五十篇、『穀梁外伝』二十篇、公羊・穀梁の章句、『公羊雑記』八十三篇、『公羊顔氏記』十一篇、『公羊董仲舒治獄』十六篇、『議奏』三十九篇(石渠論)、『国語』二十一篇(左丘明)、『新国語』五十四篇(劉向が国語を分けたもの)、『世本』十五篇、『戦国策』三十三篇、『奏事』二十篇、『楚漢春秋』九篇(陸賈)、『太史公』百三十篇(うち十篇は録のみ)、馮商続太史公七篇、『太古以来年紀』二篇、『漢著記』百九十巻、『漢大年紀』五篇。凡そ春秋二十三家九百四十八篇。
- 古の王者は史官を置き言行を必ず記した(左史は言、右史は事)が、周室が衰えると籍が散逸し、孔子は魯の史記に拠って左丘明とともに事実を記し功罪・礼楽・褒諱貶損を伝えつつ空言を避け、口授された弟子の異言を恐れて丘明が本事を論じ伝を作ったとされる。世が下って口説が流行し公羊・穀梁・鄒・夾の四伝が生まれ、うち公羊・穀梁のみ学官に立ち、鄒氏は師を欠き夾氏は書が伝わらなかった。
- 『論語古』二十一篇(孔子壁中出土)、斉論二十二篇、魯論二十篇(伝十九篇)、斉説二十九篇、魯夏侯説・魯安昌侯説(張禹)・魯王駿説(王吉の子)・燕伝説・議奏十八篇(石渠論)、『孔子家語』二十七巻、『孔子三朝』七篇、『孔子徒人図法』二巻。凡そ論語十二家二百二十九篇。
- 論語は孔子と弟子・時人の応答を弟子が記し、孔子没後に門人が輯めて論篹したもの。漢では斉論・魯論の説があり、斉論を伝えたのは王吉・宋畸・貢禹・五鹿充宗・膠東庸生(王陽の名で知られる)、魯論を伝えたのは龔奮・夏侯勝・韋賢・扶卿・蕭望之・張禹で、張氏が最も後にして世に行われたという。
- 『孝経古孔氏』一篇(二十二章)、『孝経』一篇(十八章、長孫氏・江氏・后氏・翼氏の四家)、各家の説、『爾雅』三巻二十篇、『小雅』一篇、『古今字』一巻、『弟子職』一篇(管子中の篇)、『説』三篇。凡そ孝経十一家五十九篇。
- 孝経は孔子が曾子に孝道を陳べたもので、漢では長孫氏・江翁・后倉・翼奉・張禹が伝え、経文はみな同じだが孔氏壁中の古文孝経のみ字句が異なるという。
- 『史籀』十五篇(周宣王の太史が作った大篆、建武期に六篇亡失)、『八体六技』、『蒼頡』一篇(李斯・趙高・胡母敬の作を合わせたもの)、『凡将』一篇(司馬相如)、『急就』一篇(史游)、『元尚』一篇(李長)、『訓纂』一篇(揚雄)、『別字』十三篇、『蒼頡伝』一篇、揚雄・杜林の蒼頡訓纂・故各一篇。凡そ小学十家四十五篇。
- 「上古結縄以治、後世聖人易之以書契」(易)のとおり文字の起源は古く、周官の保氏が国子に六書(象形・象事・象意・象声・転注・仮借)を教えたことに始まる。漢は蕭何が律で太史に学童の識字を試させる制を定め、史籀篇は周の史官が学童に教えたもの、蒼頡・爰歴・博学の三篇は秦の丞相李斯・車府令趙高・太史令胡母敬がそれぞれ作り史籀篇の文字を多く用いつつ篆体を異にした「秦篆」で、この頃隷書も始まったという。漢興後、閭里の書師が三篇を合わせ六十字ごとに一章とし五十五章の蒼頡篇とし、武帝期の司馬相如の凡将篇、元帝期の史游の急就篇、成帝期の李長の元尚篇を経て、揚雄が訓纂篇を、班固自身も十三章を続けて作ったという。
六芸略の総括
- 六芸略は凡そ百三家三千百二十三篇(三家百五十九篇を新たに入れ、重複十一篇を除く)。楽は神を和し、詩は言を正し、礼は体を明らかにし、書は聞を広げ、春秋は事を断ずる符であり、易はその原(もと)であるとして「五者は五常の道が相須って備わり、易がその原であるから易を見なければ乾坤はほとんど息むだろう」(易)と言う。古の学者は耕しながら三年で一芸に通じ三十歳で五経が立ったが、後世は経伝が乖離し、博学者も多聞闕疑の義を思わず碎義に走って便辞巧説で文字の形を破壊し、幼くして一芸を守り白首になってようやく言えるようになる弊が生じたとし、これが「学者の大患」であるとする。以下、六芸を九種に序する(易・書・詩・礼・楽・春秋・論語・孝経・小学)。
諸子略:儒家
- 『晏子』八篇(晏嬰)、『子思』二十三篇、『曾子』十八篇、『漆雕子』十三篇(漆雕啓の後)、『宓子』十六篇(宓不斉)、『景子』三篇、『世子』二十一篇、『魏文侯』六篇、『李克』七篇(子夏の弟子)、『公孫尼子』二十八篇、『孟子』十一篇、『孫卿子』三十三篇(荀子)、『芊子』十八篇、『内業』十五篇、『周史六弢』六篇(今の六韜)、『周政』六篇、『周法』九篇、『河間周制』十八篇、『讕言』十篇、『功議』四篇、『寗越』一篇、『王孫子』一篇、『公孫固』一篇、『李氏春秋』二篇、『羊子』四篇、『董子』一篇、『俟子』一篇、『徐子』四十二篇、『魯仲連子』十四篇、『平原老』七篇(朱建)、『虞氏春秋』十五篇(虞卿)、『高祖伝』十三篇、『陸賈』二十三篇、『劉敬』三篇、『孝文伝』十一篇、『賈山』八篇、太常蓼侯孔臧十篇、『賈誼』五十八篇、河間献王『対上下三雍宮』三篇、『董仲舒』百二十三篇、『児寛』九篇、『公孫弘』十篇、『終軍』八篇、『吾丘寿王』六篇、『虞丘説』一篇、『荘助』四篇、『臣彭』四篇、鉤盾兄従李歩昌八篇、『儒家言』十八篇、桓寛『鹽鉄論』六十篇、劉向所序六十七篇(新序・説苑・世説・列女伝・頌図)、揚雄所序三十八篇(太玄・法言・楽・箴)。以上、儒五十三家八百三十六篇。
- 儒家は司徒の官に出て、人君を助けて陰陽に順い教化を明らかにするもので、六経の間に文を遊ばせ仁義を旨とし堯舜を祖述し文武を憲章し孔子を宗師として最も道に高い。だが惑う者は精微を失い、僻する者は時流に阿って本道を離れ、諠しく衆に迎合して寵を取り、後進がこれに倣うことで五経が乖析し儒学が衰えるのがこの学派の弊という。
諸子略:道家・陰陽家
- 『伊尹』五十一篇、『太公』二百三十七篇(呂望)、『辛甲』二十九篇、『鬻子』二十二篇、『筦子』(管子)八十六篇、老子鄰氏・傅氏・徐氏の経伝、劉向説老子四篇、『文子』九篇、『蜎子』十三篇、『関尹子』九篇、『荘子』五十二篇、『列子』八篇、『老成子』十八篇、『長盧子』九篇、『王狄子』一篇、『公子牟』四篇、『田子』二十五篇(田駢)、『老莱子』十六篇、『黔婁子』四篇、『宮孫子』二篇、『鶡冠子』一篇、『周訓』十四篇、『黄帝四経』四篇、『黄帝銘』六篇、『黄帝君臣』十篇、『雑黄帝』五十八篇、『力牧』二十二篇、『孫子』十六篇、『㨗子』二篇、『曹羽』二篇、郎中嬰斉十二篇、『臣君子』二篇、『鄭長者』一篇、『楚子』三篇、『道家言』二篇。以上、道三十七家九百九十三篇。
- 道家は史官に出て、成敗存亡禍福古今の道を歴記し要を秉り本を執って清虚をもって自守し卑弱をもって自持する「君人南面の術」であり、堯の謙譲や易の「嗛嗛(謙譲)にして一謙四益」と合致する点に長所があるが、放埓に流れる者は礼学を絶ち仁義を棄てて「独り清虚に任ずればよい」とするのが弊という。
- 『宋司星子韋』三篇、『公檮生終始』十四篇、『公孫発』二十二篇、『鄒子』四十九篇(鄒衍)、『鄒子終始』五十六篇、『乗丘子』五篇、『杜文公』五篇、『黄帝泰素』二十篇、『南公』三十一篇、『容成子』十四篇、『張蒼』十六篇、『鄒奭子』十二篇、『閭丘子』十三篇、『馮促』十三篇、『将鉅子』五篇、『五曹官制』五篇、『周伯』十一篇、『衛侯官』十二篇、于長『天下忠臣』九篇、『公孫渾邪』十五篇、『雑陰陽』三十八篇。以上、陰陽二十一家三百六十九篇。
- 陰陽家は羲和の官に出て、昊天を敬順して日月星辰を暦象し民に時を授けるのに長所があるが、拘る者は禁忌に牽かれ小数に泥み人事を舎てて鬼神に任せるのが弊という。
諸子略:法家・名家・墨家・従横家
- 『李子』三十二篇(李悝)、『商君』二十九篇(商鞅)、『申子』六篇(申不害)、『処子』九篇、『慎子』四十二篇(慎到)、『韓子』五十五篇(韓非)、『游棣子』一篇、『鼂錯』三十一篇、『燕十事』十篇、『法家言』二篇。以上、法十家二百十七篇。
- 法家は理官に出て、賞罰を厳格にして礼制を輔けるもので、易の「先王以明罰飭法」に長所を持つが、刻薄な者は教化を去り仁愛を棄てて刑法のみで治を致そうとし、至親を害するに至るのが弊という。
- 『鄧析』二篇、『尹文子』一篇、『公孫龍子』十四篇、『成公生』五篇、『恵子』一篇(恵施)、『黄公』四篇、『毛公』九篇。以上、名七家三十六篇。
- 名家は礼官に出て、名位の異なりに応じ孔子の「必也正名乎」に通ずる長所を持つが、訐する者は鉤鈲析乱(言葉尻を捉えて詭弁を弄する)に走るのが弊という。
- 『尹佚』二篇、『田俅子』三篇、『我子』一篇、『随巣子』六篇、『胡非子』三篇、『墨子』七十一篇。以上、墨六家八十六篇。
- 墨家は清廟の守(宗廟の番人)に出て、質素倹約・兼愛・尚賢・大射・宗祀厳父・右鬼・非命・上同を説くことに長所があるが、蔽われる者は倹約の利のみを見て礼を非とし兼愛を推して親疏の別を知らなくなるのが弊という。
- 『蘇子』三十一篇(蘇秦)、『張子』十篇(張儀)、『龎煖』二篇、『闕子』一篇、『国筮子』十七篇、秦零陵令信一篇、『蒯子』五篇(蒯通)、『鄒陽』七篇、『主父偃』二十八篇、『徐楽』一篇、『荘安』一篇、待詔金馬聊蒼三篇。以上、従横十二家百七篇。
- 従横家は行人(外交官)の官に出て、権事に応じ命を受けて辞に拘らないことに長所があるが、邪な者は詐り欺いて信を棄てるのが弊という。
諸子略:雑家・農家・小説家、および総括
- 『孔甲盤盂』二十六篇、『大&KR4238;』三十七篇、『伍子胥』八篇、『子晩子』三十五篇、『由余』三篇、『尉繚』二十九篇、『尸子』二十篇、『呂氏春秋』二十六篇(呂不韋)、『淮南内』二十一篇・『淮南外』三十三篇(淮南王安)、『東方朔』二十篇、『伯象先生』一篇、『荊軻論』五篇、『呉子』一篇、『公孫尼』一篇、博士臣賢対一篇、臣説三篇、『解子簿書』三十五篇、『推雑書』八十七篇、『雑家言』一篇。以上、雑二十家四百三篇。
- 雑家は議官に出て、儒墨を兼ね名法を合わせ国体の全体を知る点に長所があるが、放蕩に流れる者は漫然として帰する所を失うのが弊という。
- 『神農』二十篇、『野老』十七篇、『宰氏』十七篇、『董安国』十六篇、『尹都尉』十四篇、『趙氏』五篇、氾勝之十八篇、『王氏』六篇、『蔡癸』一篇。以上、農九家百十四篇。
- 農家は農稷の官に出て、百穀を播き耕桑を勧めて衣食を足らせることに長所があるが、鄙しい者は聖王も無用とし君臣並耕を説いて上下の序を乱すのが弊という。
- 『伊尹説』二十七篇、『鬻子説』十九篇、『周考』七十六篇、『青史子』五十七篇、『師曠』六篇、『務成子』十一篇、『宋子』十八篇、『天乙』三篇、『黄帝説』四十篇、『封禅方説』十八篇、待詔臣饒『心術』二十五篇、待詔臣安成『未央術』一篇、臣寿『周紀』七篇、虞初『周説』九百四十三篇、『百家』百三十九巻。以上、小説十五家千三百八十篇。
- 小説家は稗官(街談巷語を採集する小役人)に出て、道聴塗説の類だが「小道と雖も必ず観るべきものあり」(孔子)の言のとおり滅ぼされることなく、閭里の小知が綴って忘れないよう伝え、一言でも採るべきものがあれば芻蕘狂夫の議として存する意義があるという。
- 諸子略の総計は百八十九家四千三百二十四篇。九流(儒墨道法名陰陽縦横雑農の九家、小説を除く)は王道が衰え諸侯が力政する中で君主の好悪が分かれたため蜂起した学派で、各々一端を引いて自説を崇め、辟(へん)していても水火のように相滅し相生ずるものであり、六経の支流末裔に過ぎないが、明王聖主がこれを得れば股肱の材となり得るとし、「礼失われて諸を野に求む」(孔子)の言のとおり道術の廃れた今、九家は用いるに値し、六芸の術を修めた上でこれらの長所を取れば万方の略に通ずるとする。
詩賦略
- 屈原賦二十五篇、唐勒賦四篇、宋玉賦十六篇、趙幽王賦一篇、荘夫子(荘忌)賦二十四篇、賈誼賦七篇、枚乗賦九篇、司馬相如賦二十九篇、淮南王賦八十二篇、淮南王群臣賦四十四篇、孔臧賦二十篇、劉隁賦十九篇、吾丘寿王賦十五篇ほか、劉向賦三十三篇、王襃賦十六篇まで、屈原以下の「賦二十家三百六十一篇」(第一種)。
- 陸賈賦三篇、枚皋賦百二十篇、朱建賦二篇、荘怱奇賦十一篇、厳助賦三十五篇、朱買臣賦三篇、司馬遷賦八篇ほか、揚雄賦十二篇までを含む「賦二十一家二百七十四篇」(第二種)。
- 孫卿賦十篇、秦時雑賦九篇、廣川恵王越賦五篇、長沙王群臣賦三篇ほか多数を含む「賦二十五家百三十六篇」(第三種)。
- 客主賦十八篇、雑行出及頌徳賦、雑四夷及兵賦、雑中賢失意賦、雑思慕悲哀死賦、雑鼓琴剣戯賦、雑山陵水泡雲気雨旱賦、雑禽獣六畜昆虫賦、雑器械草木賦、大雑賦、成相雑辞、隠書等の「雑賦十二家二百三十三篇」(第四種)。
- 高祖歌詩、泰一雑甘泉寿宮歌詩、宗廟歌詩、漢興以来兵所誅滅歌詩、出行巡狩及游歌詩、臨江王及愁思節士歌詩、李夫人及幸貴人歌詩、諸侯王・郡国の各地の謳・歌詩(呉楚汝南、燕代謳鴈門雲中隴西、邯鄲河間、斉鄭、淮南、左馮翊・京兆尹秦歌詩、河東蒲反等)、雒陽・河南周歌詩とその声曲折、周謡歌詩とその声曲折など「歌詩二十八家三百十四篇」(第五種)。
- 詩賦略の総計は百六家千三百十八篇。「不歌而誦謂之賦」(伝)のとおり、賦は諸侯卿大夫が微言で志を通わせた古の遺風から発し、春秋以後、聘問歌詠が列国に行われなくなると賢人失志の賦が作られ、荀卿・屈原が憂国の情を風諭したが、宋玉・唐勒、漢の枚乗・司馬相如から揚雄に至るまで侈麗閎衍の詞を競って諷諭の義を失ったため、揚雄自身が「詩人之賦麗以則、辞人之賦麗以淫」と悔いたという。武帝が楽府を立てて歌謡を採集して以降、代趙秦楚の風が加わり、風俗の厚薄を観る資ともなったとする。
兵書略
- 呉孫子(孫武)兵法八十二篇、斉孫子(孫臏)兵法八十九篇、公孫鞅二十七篇、呉起四十八篇、范蠡二篇、大夫種二篇、李子十篇、娷一篇、兵春秋三篇、龎煖三篇、児良一篇、広武君(李左車)一篇、韓信(淮陰侯)三篇の「兵権謀十三家二百五十九篇」。権謀は正をもって国を守り奇をもって兵を用い、形勢を兼ね陰陽を包み技巧を用いるものとされる。
- 楚兵法七篇、蚩尤二篇、孫軫五篇、繇叙二篇、王孫十六篇、尉繚三十一篇、魏公子(信陵君無忌)二十一篇、景子十三篇、李良三篇、丁子一篇、項王(項籍)一篇の「兵形勢十一家九十二篇」。形勢は雷動風挙し後発先至、離合背向して変化窮まりなく軽疾で敵を制するものとされる。
- 太壹兵法・天一兵法・神農兵法・黄帝(封胡・風后・力牧・鵊治子・鬼容区ら黄帝の臣に仮託した書を含む)・地典・孟子・東父・師曠・萇宏・別成子望軍気・辟兵威勝方等の「陰陽十六家二百四十九篇」。陰陽は時に順って発し刑徳を推し北斗の運行に随い五行相勝により鬼神を借りて助けとするものとされる。
- 鮑子兵法・伍子胥・公勝子・苖子・逢門射法(逢蒙)・陰通成射法・李将軍射法(李広)・魏氏射法・彊弩将軍王圍射法・望遠連弩射法・護軍射師王賀射書・蒲苴子弋法・剣道・手搏・雑家兵法・蹵&KR2610;(蹴鞠、遊戯だが力を用いる技として兵法に付す)の「兵技巧十三家百九十九篇」。技巧は手足を習わせ器械を便利にし機関を積んで攻守の勝を立てるものとされる。
- 兵書略の総計は五十三家七百九十篇(図四十三巻)。兵家は古の司馬の職・王官の武備に出て、「足食足兵」(孔子)の教えのとおり国政の要であり、易の弧矢の利に始まり湯武の受命に至るまで用いられた。漢興後、張良・韓信が百八十二家の兵法を序次して要用の三十五家に絞り、諸呂の乱で盗まれた後、武帝期に軍政楊僕が遺逸を捃摭したが備わらず、成帝期に任宏が権謀・形勢・陰陽・技巧の四種に論次したとされる。
術数略
- 天文(泰壹雑子星、五残雑変星、黄帝雑子気、漢の五星・彗客・日旁気・流星・日食月暈等の占験書ほか)「天文二十一家四百四十五巻」。天文は二十八宿を序して五星日月の運行を歩み吉凶の象を紀す、聖王が政に参ずる資とするもの。星占いの事は凶悍で湛密(緻密で慎重)でなければ扱えず、明王でなければ譴形(天の譴め)に応じることもできないため、由い難い臣が諫めても由い難い主が聴かない「両有患」の危うさがあるとされる。
- 暦譜(黄帝五家暦、顓頊暦、夏殷周魯暦、耿昌月行度、太歳謀日晷、帝王諸侯世譜、許商筭術、杜忠筭術ほか)「暦譜十八家六百六巻」。暦譜は四時の位を序し分至の節・日月五星の会を正して寒暑生殺の実を考え三統服色の制を定める、聖人の知命の術とされる。
- 五行(泰一陰陽、黄帝陰陽、四時五行経、堪輿金匱、務成子災異応、鍾律災応、風后孤虚、羨門式法、五音竒胲用兵ほか)「五行三十一家六百五十二巻」。五行は五常の形気であり、洪範の五事失えば五行の序が乱れ五星の変が起こるとする理から発し、後に小数家が吉凶を説いて世を惑わす弊も伴うとされる。
- 蓍亀(龜書、夏亀、南亀書、巨亀、周易、大筮衍易、任良易旗ほか)「蓍亀十五家四百一巻」。蓍亀は聖人が疑いを決するために用いた占法で、易の「定天下之吉凶」の道具だが、衰世には斉戒を怠って屡々卜筮を煩わし神明が応じない弊(筮瀆・亀厭)も生じたとされる。
- 雑占(黄帝長柳占夢、甘徳長柳占夢、武禁相衣器、禎祥変怪、請雨止雨、泰壹雑子候歳、神農教田相土耕種ほか)「雑占十八家三百十三巻」。雑占は百事の象を紀し善悪の徴を候うもので、夢占が最も重んじられ、詩に熊羆虺蛇・衆魚旐旟の夢が吉凶の証として詠まれるが、妖は人の失徳から生ずるものであり本を舎てて末を憂う弊を戒めるという。
- 形法(山海経、国朝、宮宅地形、相人、相宝剣刀、相六畜)「形法六家百二十二巻」。形法は九州の地勢に基づき城郭室舎・人及び六畜の骨相の度数・器物の形容から声気の貴賎吉凶を求めるもので、律に長短があり各々の声を徴するのに似るが、鬼神の数ではなく自然の理によるとされる。
- 術数略の総計は百九十家二千五百二十八巻。数術は明堂・羲和・史卜の職に出るもので、その術を行える人は久しく絶え、書はあっても人がいない状態だとし、春秋時代の梓慎(魯)・裨竈(鄭)・卜偃(晋)・子韋(宋)、戦国の甘公(楚)・石申夫(魏)、漢の唐都らを挙げ、天文・暦譜・五行・蓍亀・雑占・形法の六種に序するとする。
方技略
- 医経(黄帝内経・外経、扁鵲内経・外経、白氏内経・外経・旁篇)「医経七家二百十六巻」。医経は人の血脈経絡・骨髄・陰陽表裏に基づき百病の本と死生の分かれを原とし、鍼石湯火の施療や薬剤の調和を説くもので、その徳は磁石が鉄を引くように、拙い者は理を誤り愈るべきを重篤にし死ぬべきものを生かそうとする弊があるとされる。
- 経方(五藏六府痺・疝・癉の各病方、風寒熱病方、泰始黄帝扁鵲兪拊方、五藏傷中病方、客疾五藏狂顛病方、金創瘲瘛方、婦人嬰児方、湯液経法、神農黄帝食禁)「経方十一家二百七十四巻」。経方は草石の寒温を本とし疾病の浅深を量り薬味の滋を借りて水火の調剤で閉結を通す術で、諺に「有病不治、常得中医」(治さずとも中程度の医者相当にはなる)とあるとおり誤治の害も戒められる。
- 房中(容成陰道、務成子陰道、堯舜陰道、湯盤庚陰道、天老雑子陰道、天一陰道、黄帝三王養陽方、三家内房有子方)「房中八家百八十六巻」。房中は情性の極み・至道の際にあり、聖王が外楽を制して内情を節したもので、節度を守れば和平長寿だが迷う者は生を損なうとされる。
- 神僊(宓戲雑子道、上聖雑子道、道要雑子、黄帝雑子歩引・按摩・芝菌、泰壹雑子黄冶ほか)「神僊十家二百五巻」。神僊は性命の真を保ち意を盪し心を平らかにして生死を同じくすることを目指すものだが、専らこれを務める者は誕欺怪迂の文を増やす弊があり、孔子の「索隠行怪、後世有述焉、吾不為之矣」の言を引いて聖王の教えではないとする。
- 方技略の総計は三十六家八百六十八巻。方技は生生の具・王官の一守で、太古の岐伯・兪拊、中世の扁鵲・秦和、漢の倉公を挙げ、その技術は今や晻昧(不分明)であるとし、医経・経方・房中・神僊の四種に序するとする。
総括
- 全六略三十八種五百九十六家、合計一万三千二百六十九巻(三家五十篇を新たに入れ、兵書十家を省く)。
(以上、巻末の「前漢書卷三十考證」は四庫館臣による校勘記のため訳出対象外とする。)