前漢演義第九十三回 外戚を戒めつつ恩赦を施し、寵姫二人が皇后の座を奪い淫らを極める (懲諸舅推恩赦罪 嬖二美奪嫡宣淫)
王章の獄死
- 王鳳は太后に泣きついて辞職を撤回させ、逆に王章を馮野王への党附・後宮の秘事漏洩の罪で下獄させた。王章は獄中で自殺し、妻子八人も連座して合浦へ流された(娘の予見が語られる)。
- 馮野王も連座を恐れて病と称し辞職に追い込まれた。王鳳は従弟の王音を御史大夫に立て、王氏の勢威はさらに強まった。
- 光禄大夫劉向は上奏し、王氏一族が朝廷の要職を独占し劉氏の存立を脅かしていることを痛烈に諫めたが、成帝は決断を先延ばしにした。
王鳳の死と後継指名
- 王鳳が重病になると、成帝自ら見舞い後事を託した。王鳳は実弟の王譚ではなく、従順な従弟の王音を推薦し、その通り王音が大司馬の後を継いだ。
- 王駿(王吉の子)が京兆尹となり治績を挙げ、趙広漢・張敞ら先人と並び称された。
成帝の微行と外戚邸の奢侈
- 許皇后は寵愛が衰え、成帝は班婕妤、次いで侍女李平(衛婕妤)、張美人らへ寵を移した。班婕妤は輦への同乗を辞退し賢婦の誉れを得た。
- 侍中張放(張安世の玄孫)が成帝を市中への微行に誘い、成帝は身分を隠して遊興にふけるようになった。
- 微行中、王根の邸が宮殿を模した豪奢な造りであることに成帝が激怒し、王音・王商・王立・王根らが恐懼して謝罪、太后の計らいで赦免された。
趙飛燕・趙合徳姉妹の入宮
- 成帝は陽阿公主邸で歌姫の飛燕を見初め入宮させた。飛燕(本姓馮氏)は妹の合徳とともに孤児同然の身から陽阿公主家で歌舞を学んだ経緯を持つ。
- 飛燕は寵を得て婕妤となり、のち妹の合徳も女官樊嫕の取り持ちで入宮、格別の寵愛を受けた(披香博士淖方成が「禍水」と評した逸話が語られる)。
許皇后の廃位
- 許皇后は寵の衰えを憂い、姉の許謁を通じて巫蠱を行わせたが発覚。趙飛燕がこれを告発し、許謁は処刑、許皇后は廃されて昭台宮に幽閉された。
- 巻き添えで疑われた班婕妤は堂々とした弁明で無罪となったが、身の危険を悟り自ら長信宮の太后のもとへ退いた。
趙飛燕の立后と諫言
- 太后は飛燕の出自の卑しさを理由に難色を示したが、太后の甥・淳于長の周旋で承諾させた。飛燕の義父趙臨も列侯に取り立てられた。
- 諫大夫劉輔は「腐った木は柱にできず、婢は君母にできない」と痛烈に反対する上奏を行い投獄されかけたが、辛慶忌ら重臣の連名嘆願で減刑された。
- 飛燕は皇后、合徳は昭儀となり、姉妹は交互に寵を受けた。
飛燕の乱行
- 飛燕は侍郎馮無方らと密通し、さらに子を得るため多くの男を引き入れて放埓を重ねた。侍郎慶安世との密会なども語られる。
評語
五侯の奢侈と趙氏姉妹の淫乱は成帝の昏愚を示すが、その根には王太后の甘やかしがある。太后が微行を戒めていれば趙氏の入宮もなく、班婕妤の賢を知りながら淳于長に惑わされて趙氏を立后させたのは太后の不明というほかない。