前漢演義第六十三回 国法により王恢は誅殺され、灌夫は座で罵り罪を得る (執國法王恢受誅 罵座客灌夫得罪)
王恢の処刑
帰朝した王恢は武帝に叱責される。単于に計略を見破られ撤退したのは自分の三万の兵を守るためだったと弁明するが、武帝の怒りは解けず、廷尉の議に従い処刑と決まる。恢は丞相田蚡に千金を贈って助命を頼み、田蚡は王太后に取り成しを求めるが、武帝は「敵の背後を突く機会がありながら動かなかった」ことを理由に許さず、恢は自ら命を絶った。武帝が太后一族の口添えを退けたのは、実は太后・田蚡への内心の反発もあってのことであった。
韓嫣の死と田蚡の増長
武帝の寵臣韓嫣は黄金の弾丸で鳥を撃つほどの奢侈を極め、江都王劉非への非礼をきっかけに王太后の怒りを買い、宮人との密通も発覚して賜死となった。武帝は韓嫣を惜しんだが、太后の意向を覆せなかった。
これを機に武帝は太后一族への不満を募らせる。丞相の座についた田蚡はますます驕り、豪邸を構え賄賂を集め、官吏の推薦を我が物顔で行った。武帝が「そなたの推薦が多すぎる、あとは自分で選ぶ」「(田蚡が官舎の拡張を願い出た際)ならばいっそ武庫でも取ったらどうか」と皮肉を返すほどであった。この確執も、武帝が王恢の助命を拒んだ一因であった。
竇嬰と灌夫の交誼
かつての丞相竇嬰は失脚して不遇をかこっていたが、旧知の灌夫だけは変わらず親交を続けた。灌夫は呉楚の乱で功を立てた武人だが、酒癖が悪く、竇太后の縁者を殴打した一件などで免官となり、都で竇嬰と行き来する日々を送っていた。
田蚡・竇嬰の宴席と確執の始まり
ある日灌夫が田蚡の屋敷を訪ね、雑談の流れで田蚡が竇嬰邸訪問を口にすると、灌夫はこれを真に受けて竇嬰に伝え、盛大な饗応の支度をさせる。ところが田蚡は当日昼過ぎまで現れず、ようやく訪れて宴が開かれた。酒に酔った灌夫が田蚡に舞を勧めても相手にされず、皮肉を言い立てて座を白けさせるが、竇嬰が取りなして事なきを得た。
その後、田蚡は竇嬰の肥沃な城南の田を譲るよう求めるが、竇嬰は拒み、灌夫もこれに加勢して田蚡側の使者を難詰した。田蚡は激怒し、灌夫一族の不正を口実に処罰を上奏しようとする一方、灌夫は田蚡がかつて淮南王劉安に「陛下に太子なきゆえ、いずれ大王が帝位を継ぐことになろう」と密かに取り入っていた事実を握っており、両者は互いを牽制する形で一旦は和解した。
灌夫、宴席で田蚡を罵る
元光四年、田蚡が燕王の娘を娶り、王太后の命で列侯・宗室が祝宴に招かれる。竇嬰は気の進まぬ灌夫を無理に伴って出席させた。宴席では田蚡への敬酒に誰もが恐縮して跪くのに対し、灌夫だけが不満を隠さず、酒を飲み残した田蚡に皮肉を言い、さらに程不識と私語していた臨汝侯灌賢を怒鳴りつけた。田蚡が「程・李両将軍への非礼だ」と挑発すると、灌夫は「斬られても構わぬ」と居直り、座は白け、客は次々と席を立った。
田蚡は灌夫を捕らえさせて詔命に対する不敬として弾劾し、その一族も一斉に捕らえて処刑してしまう。灌夫は獄に繋がれ、田蚡の不正を訴える手立てを失った。
竇嬰の直訴
竇嬰は自らが灌夫を宴に誘ったことを悔い、妻の制止を振り切って武帝に直訴する。武帝は竇嬰の言い分に理解を示し、翌日、王太后の住む長楽宮(東朝)で大臣を集めて審理することを命じた。竇嬰と田蚡は御前で灌夫の是非を争うことになる。
小子に詩あり。「刺虎不成終被噬、飛蛾狂撲自遭災」。
両者の弁論の行方は次回に譲る。
評語
王恢の処刑については前回で論じた通りである。田蚡が千金を受け取り太后に取り成しを頼んだ一件は、武帝が英明であれば本来ここで田蚡の相位を退け賢者に代えるべきであったが、そこまではせず、むしろ私憤から王恢だけを誅した観がある。竇嬰も相職を退いた後は隠退して余生を送るべきであったのに、なお都に留まって未練を残した。酒に任せて我を張る灌夫を友としたことも損の方が大きかった。田蚡へ無用の接近をし、無用に逆らい、無用に敵対して、ついには共倒れとなった。剛愎な者は灌夫を、優柔不断な者は竇嬰を鑑とすべきである。田蚡を責めるまでもなく、竇嬰・灌夫もまた自ら禍を招いたというべきであろう。