前漢演義第三十八回 第三十八回 (悍呂后毒計戮功臣 智陸生善言招蠻酋)
韓信の粛清
韓信は陳豨との密約に関与し、高祖の親征中に舎人の密告で謀反の嫌疑をかけられる。呂后は蕭何と謀り、偽の捷報で韓信を宮中に誘い出させて捕縛し、長楽殿で処刑した(後世「成るも蕭何、敗るるも蕭何」と評される故事)。韓信の三族も皆殺しにされた。
高祖の反応と蒯徹
高祖は呂后の処置をそのまま追認。韓信が「蒯徹の計を用いなかったことを悔いた」と言い残したと聞き、蒯徹を召喚して詰問する。蒯徹は「秦の鹿を逐う者には誰でもそれを狙う権利があった、犬が主人以外に吠えるのは当然」と弁じ、高祖はこれに免じて赦した。
彭越の粛清
彭越は陳豨討伐への出兵要請を病と称して拒み、高祖の疑いを招く。部下の密告により謀反の疑いをかけられて庶人に落とされ蜀へ流罪となるが、道中で呂后に呼び止められて洛陽に連れ戻され、呂后の進言によって誅殺・三族皆殺しとなった。遺体は塩漬けの肉にされ諸侯に配られた。
欒布の義挙
彭越の旧友欒布が禁を犯して祭祀を行い、高祖に処刑されかけるが、彭越がかつて漢のために果たした功績を堂々と弁じて高祖の心を動かし、赦されて都尉に任じられた。
梁の分封
梁の地を分割し、高祖の子恢・友をそれぞれ梁王・淮陽王に封じた。
趙佗の南越帰順
陸賈が南越王趙佗のもとへ赴く。当初無礼な態度をとった趙佗を、陸賈は利害を説いて説得し、趙佗は漢への臣従を約して財宝を贈った。陸賈は帰還後、詩書を重んじる自らの姿勢を疎んじた高祖に対し「馬上にて天下を取れても、馬上にて天下を治めることはできない」と諫め、秦の失敗と漢の成功を論じた『新語』十二篇を著した。
評語
韓信の謀反は舎人の一通の密告のみが根拠で真偽が定かでないまま、呂后が独断で処刑に及んだ。高祖は捕らえても殺さぬ寛容さを持っていたが、呂后はより苛烈で、誣告してでも殺し切ろうとする性格だったと指摘される。陸賈の南越招撫と『新語』の著述は、漢室に資する功績として高く評価される。