前漢演義第三十九回 淮南討伐で矢が御駕を傷つけ、沛で郷里の人々と宴を開く (討淮南箭傷御駕 過沛中宴會鄉親)

高祖の病と樊噲の直言

高祖が病と称して群臣を避け続けるなか、樊噲が強引に押し入り「趙高の故事を忘れたか」と諫言、高祖は起き上がって応じた。実際は病というより、戚姫母子の処遇に思い悩んでの臥せりであった。

英布の謀反発覚

淮南王英布は、愛姫が中大夫賁赫から厚遇を受けたことを疑い、賁赫一族を殺害。逃れた賁赫は都へ入り謀反を告発、英布は挙兵に踏み切った。

太子出征案と四皓

病の癒えぬ高祖は太子に出征させようとするが、太子の賓客「商山四皓」が呂釈之を通じて反対を進言。呂后が高祖に泣いて訴え、結局高祖自らが親征することとなった。

薛公の献策

夏侯嬰の食客薛公が英布の反乱について上策・中策・下策を分析し、英布は保身を優先する下策を取るだろうと予測。その予測は的中した。

英布討伐

出征に際し張良は太子を将軍として関中の兵を統率させるよう進言。英布は荊・楚を打ち破って進むが、蘄州の会甄で高祖本隊と激突。高祖は矢傷を負いながらも勝利し、英布は敗走の末、長沙王呉臣の計により暗殺された。

沛での凱旋

帰途、高祖は故郷の沛県に立ち寄り、父老・子弟を招いて盛大な宴を開く。「大風起兮雲飛揚」の歌を自ら作って歌い、感極まって涙を流した。沛県の賦役を永久に免除し、当初は許さなかった隣の豊邑についても父老の懇願を受けて同様に免除した。

評語

韓信・彭越は謀反する前に誅殺されたが、英布は実際に挙兵した点で罪状の重さが異なる。ただし韓信・彭越の死が英布の危機感を煽り、反乱を誘発した面は否めない。功臣を次々と粛清しながら「猛士よ四方を守れ」と歌う高祖の姿には矛盾があるとの論評で結ばれる。